高校入試
フジテレビ系 土曜 23:10~
脚本・湊かなえのエデュケーショナル・ミステリーだという。聞き慣れないカテゴライズだが、確かに学校を舞台としたミステリーとは違う。たまたま学校で人が殺されるというのでなく、危険にさらされるのは「入学試験」だからだ。つまりは教育の、いや教育機関にとっての “キモ” である。
誰かが入学試験を潰そうとしている。誰もが犯人である可能性がある。まあ、構造としては少し前の NHK ドラマに、誰かが結婚式を潰そうとしている、というのがあって、それとよく似ている。
とはいえ結婚式はイベントに過ぎず、潰したところで結婚そのものは壊せない。だからミステリーの謎はストーリーを繋ぐ口実となるのみで、コミカルタッチで人情の機微を追うことにしかならない。それに対して、入学試験を潰すというのは制度そのものを壊すことになる。人の死に匹敵するかどうかはわからないが、それが危険にさらされることがサスペンサブルとはなり得る。
入学試験前後の数日間のことを凝縮して 1 クールのドラマにしようとしていると見受けられるが、これも先の NHK ドラマが結婚式一日のことを全五回だか六回だかで放送していたのと共通する。が、この点についても、こちらのドラマの方がより効果が上がっている。結婚式ドラマでは様々な人の視点で、その立場を説明することで、それだけの回数まで引っ張ることしかできなかった。が、この高校入試ドラマでは、ゆっくりした時間の進み方そのものが「事の重大性」を匂わせる。
通常の 1 クール、三ヶ月で、ドラマの中の時間はどのくらい過ぎてゆくのか。特に時間軸を意識した仕掛けを持たないドラマなら、長くて一年くらいではないか。様々な季節を過ぎて、物事の趨勢がほぼ決まるくらいの期間だ。これが NHK 大河とか朝の連続とかになると、人が生まれてから死ぬまでぐらいになる。つまりドラマというのは長くなればなるほど、それが表現する時間軸は指数関数的に拡がるわけだ。
ドラマの始まる季節に始まり、終わる季節に終わる、ちょうど三ヶ月間を描くドラマにしても、放送されない六日間にも物事は進んだことになっているのであって、 つまりは “ 省略 ” によって成り立っている。視聴者とキャラクターの二本の時間軸はときに馴れ合い、ときに知らん顔しながら、いい按配に自然に進んでゆく。
考えてみれば、視聴者とTVドラマとの間には、妙に高度なコンセンサスがあるものだ。「来週へ続く」が文字通り、先週のドラマが終わった瞬間からでなくとも、誰も戸惑ったりはしない。むしろ物分りのよい “ 省略 ” を施すことなく、飛躍もなく、ただ出来事がみっしり描かれていることに戸惑う。それがもし TV らしからぬテンションに高まっていれば傑作だ。ごうごうたる非難と低視聴率にはあえぐかもしれないが。
主演・長澤まさみは帰国子女でズケズケ言うという設定だが、こういったドラマのコンセプトの中で、そう突出した印象はない。小さいテレビで見ると、誰だかわからないぐらいだ。おそらく今後の「謎解き」で活躍しはじめるのだろうが。高校入試という、必ずしも嬉しくない時間のみっしりしたリアリティを担っているのは今のところ、高橋ひとみの演じるヒステリックな女教師である。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■