キセル火の中止(エポケ)を図れる旅人よ
『安井浩司『俳句と書』展』公式図録兼書籍の解説で田沼泰彦さんが書いておられるように、この句の『中止(エポケ)』や『旅人』には、詩人・西脇順三郎さんへのなんらかの挨拶が含まれていると思う。しかし安井さんの評論集『もどき招魂』や『海辺のアポリア』には、僕の記憶では西脇さんに関する言及はないはずである。西脇さんばかりではない。安井さんはかなり自由詩を読んでおられると思うが、ほかの現代詩人についてのエセーや評論もないのではあるまいか。これはちょっと残念なことである。
話は脱線するが、詩人さんの中には現代俳句に目ざめたきっかけが、吉岡実のエセー集『死児という絵』だったと言われる方がかなりいらっしゃる。『死児という絵』には富澤赤黄男、高柳重信、加藤郁乎、安井浩司、河原枇杷男らに関するエセーが収録されている。長くても原稿用紙5、6枚程度の掌篇である。しかしそれは読む人に多大な影響を与えたようなのだ。原稿など長ければいいわけじゃないと言われているようで考え込んでしまうが、吉岡さんの優れた審美眼が各俳人の本質を的確に表現しているためだろう。
公式図録兼書籍のインタビューを読むと、安井さんは創作に専念したいので評論やエセーはもう書かないとおっしゃっているようだ。しかし一読者としては、安井さんがどんな詩人の作品を読み、どうお考えになったのか知りたい気がする。インタビューでもいいかもしれないけれど、『My favorite poets』なんてタイトルで文学金魚で掌文の連載をお願いしてみたらどうだろう。石川さん、ご検討、よろしくお願いします(笑)。
本題に戻ると『キセル火の』は安井さんの第3句集『中止観』(昭和46年[1971年])の巻頭を飾る句である。この時期、安井さんの身辺はざわついていた。44年(69年)には飛騨高山に転居され、48年(73年)に秋田に居を据えられるまでの4年間を過ごされた。高山を訪れた金子弘保さんによって、安井浩司の純粋読者の会『お浩司唐門会』が設立されたのも高山時代である。句集『中止観』は高山で刊行され、秋田に戻られた翌年の49年(74年)に第4句集『阿父学』が出版されている。
密母集と題した本書は、約五年の春秋を費し、その間の作品百九十句を収載した第五冊目の作品集である。それが第五集とはいえ、第三集『中止観』をもって未見の旅に赴いたと自省する私は、『阿父学』に次ぐ本書がしんじつ第三句集のように思えてならない。
(安井浩司『密母集』後記 昭和五十四年[一九七九年])
『密母集』後記で安井さんは、『第三集『中止観』をもって未見の旅に赴いた』と書いておられる。高山で生まれた『中止観』は、安井文学に大きな転機をもたらしたのである。その詳細な検討は本稿のようなエセーではふさわしくないが、巻頭の『キセル火の』には安井さんの決意がこめられているのではないかと思う。
高山を訪れた方はおわかりだろうが、あそこはもう、本当に山の中である。特に夜が暗い。夜道を歩いていると、なにか自分が煮こごった闇の中を泳いでいるような気がすることがある。公式図録兼書籍には安井さんの生家前の写真が掲載されている。米代川河口に面した見晴らしのいい場所である。強い潮風が吹き付け、遠くには漁り火が見えていつも波の音が聞こえるはずだ。しかし深い山の中は違う。人家の灯りは動かず、風は人間を根底から不安にさせるような吹き方をする。密集した山の木々がざわめくことで風があると知れるのである。海辺と山の中では音と光の届き方が違う。
海辺に育った安井さんが、友人たちから離れた高山で、一人内省を深めていったのは確かだろうと思う。句集が『中止観』と銘打たれ、巻頭句が『中止(エポケ)を図れる』で始まっていることは、安井さんが何事かを中止・断念・忘却しようとしたことを示している。またこの時期、安井さんは文字通り『人生の旅人』だった。
旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考えよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の影に水草ののびる頃
(西脇順三郎『旅人かへらず』『一』全篇 昭和21年[1946年])
西脇は終戦直後の昭和21年(1946年)、53歳の時に詩集『旅人かへらず』を刊行した。昭和8年(1933年)40歳の時に、ギリシャ世界にまでその思考と感性を遡らせた詩集『Ambarvalia』(アンバルヴァリア)で鮮烈なデビューを飾ったモダニズム詩人は、戦後に再デビューする際には東洋的田園詩人に変貌していた。西脇は人間を草木となんらかわりない存在として捉えた。世界は永遠の相の元にあるが、人間はそこに生きる一瞬の旅人に過ぎない。ただ草木とは違い旅人には意識がある。西脇詩はそのような旅人が捉えた世界の諸相の描写である。
山に閉ざされた高山で、安井さんもまた西脇的な孤独な旅人の意識を深められたのだろう。ただ安井さんと西脇では、やはり旅人の質が違う。西脇詩の『汝もまた岩間からしみ出た/水霊にすぎない』といった断念は、一種の自我意識の棄却である。西脇は近現代人の常識である、世界と自我意識を対峙させてそこから一つの認識を導き出す方法を捨てた。自我意識をできるだけ空虚にして世界の多様に身を委ねたのである。その意味で西脇的な方法は正岡子規が提唱した写生俳句に近い。しかし安井さんは、自我意識の深部に沈降することで自我意識を抜けだそうとしているように思う。
キセル火の中止(エポケ)を図れる旅人よ
竹の子を見つつみられる天文台
石原に産褥の紙を焚きはじむ
眠時間ゆき過ぎの足へ蛇苺
沼べりに夢の機械の貝ねだり
『中止観』冒頭の5句である。これらの句で表現されているのは明らかに観念世界である。ただ観念は思想の形を取ることなく、あくまで見られた光景として描写されている。天に向けて伸びる竹の子は遙かな宇宙に向けられた天文台と重なり、一転して句は地上に戻る。現世の汚穢とされていた産褥の紙を焼く火が石原に見える。ただそれは夢の光景ではない。通常の眠りは許されず、睡眠は必ず過剰な行き過ぎにまで達しなければならない。そうすれば足に蛇苺が絡まり始めるだろう。実際に夢の世界に入り込んでも同じことだ。そこでは沼のほとりで夢の機械が奇妙な貝ねだりをしている。夢の中の機械ではない。夢が機械の形を取り、自身の似姿のような、触手を収縮させる貝をねだっているのである。沼はもちろん底なしに深いのだろう。
ここで描写されているのは、わたしたちが見慣れている世界が世界として出現する以前の、物と観念が不定形に絡み合う世界だ。そしてこれら作品世界は『キセル火の』から始まっている。キセル火は消えるのではない。キセル火であることを中止(エポケ=忘却)するのである。そこからわたしたちが知っている物と観念の世界の輪郭が失われ始める。キセル火は赤く熱いという一般概念を剥ぎ取られる。それは通常は作家の表現基盤として動かしがたい自我意識の溶解でもあるだろう。西脇のように自我意識が縮小しているのではない。むしろ自我意識に惑溺するようにその深部に下ってゆくことで、自我意識以前の奇妙な世界が見えてくるのである。
安井さんと西脇さんは、共に自我意識を確固たる表現基盤にしないという方法をとっている。しかしその質は異なる。『キセル火の』は同じ自我意識の棄却を目指しながら、まったく逆の方向に歩んでいった老詩人への、安井さんの挨拶の句だと読み解いても面白いのではないかと思う。
山本俊則
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■