世界は変わった! 紙に印刷された文字の小説を読む時代から、VRでリアルに小説世界を体験できるようになったのだ。恋愛も冒険も、純文学的苦悩も目の前にリアルな動画として再現され、読者(視聴者)はそれを我がことのように体験できる! しかしいつの世の中でも悪いヤツが、秩序を乱す輩がいるもので・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、極めてリアルな近未来小説!
by 遠藤徹
十三、『三四郎』第三章 肌の白い女、よし子(下編)
f:見舞いー二人の女―
f―1:よし子
帰りがけに三四郎は、病院の妹への届け物を頼まれる。
「もう心が躍ってるわよね。『三四郎は大いにうれしかった』『三四郎は新しい四角な帽子をかぶっている。この帽子をかぶって病院に行けるのがちょっと得意である』とまあ、東京帝国大学生として、池の畔であった当人であるかもしれない女性に会いに行けるのが素直にうれしいわけよね。まだ何にも学問的成果をあげていないのに、記号としての制帽をつけることで、自分が何者かであると錯覚する姿はちょっと哀れだけど、純粋ともいえるわよね」
「でまあ、期待は外れるわけだけど」
「でも、これがほんとうに外れなのかどうかも微妙なところよね」
病室の戸を開けてみると、そこには『目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女』がいる。それはあの池の女ではなく、野々宮の妹のよし子である。特徴的なのはその『遠い心持ちのする目』であって、三四郎はそれを『高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただ流れるように動く』そういう目つきだとたとえている。
「これは、池の女との明らかな対象性よね。近づいてきて、入り込んでくる、自己誇示と裏腹の媚びを示す池の女とは対照的に、泰然自若として、媚びるところがないってことでしょ」
「そうだね、三四郎は彼女の表情に『ものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一』を見い出すんだよね。そしてその統一の感じは『三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である』とまで書かれている。憂鬱と快活という対極にあるものが、彼女のなかには自然に和合しているというのだから、実に複雑な感じがするよね」
『「おはいりなさい」』とまるで古い知り合いに対するように声をかける野々宮の妹よし子。そうしてにこりと笑うと、『青白いうちに、なつかしい暖かみができた』とある。青白さは憂鬱、そして暖かみは快活に対応するわけだ。とはいえ、青白いとあるところからすると、よし子は色白なのかもしれない。だから、黒い肌にこだわる三四郎のストライクゾーンには入ってこないのかもしれない。むろん、青白いのは病気のせいだという可能性もあるけれども。
「部屋に入る三四郎の頭にはなぜか故郷の母の影がひらめくのよね」
「そう、よし子は、三四郎の母と重なるところをもった女性ということになるね。三四郎が謎を感じることもなく、恐怖を感じることもない、安心できる女性というわけだ」
「昨夜の轢死事件のことを尋ねられて、『「こわかったでしょう」』といわれるけど、三四郎は答えないわよね」
「そう、ただ三四郎は自分の方へ顔を向けた『女の首のまがりぐあいをながめていた』だけなんだね。答えなかったのは、半分は答えに窮したからだけど、もう半分は『答えるのを忘れたのである』とあるよね。なぜかというと、三四郎は女の首を眺めるのに夢中になっていたからなわけだ。リビドー全開の三四郎の面目躍如ってところだね。ここでも読書=体験ならではのぞくっとする感覚を俺たちは共有したよね」
「ええ、実際よし子の方も『気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした』とあるもの。よっぽどじいっと、食い入るように見てたってことよね。ほんと、無自覚にせよ三四郎、ちょっと女をじろじろ見すぎじゃないかしら」
f―2:リボンをつけた女
「で、やばいと感じて三四郎は部屋を出るわけだけど、その帰りに今度は池の女に遭遇する。池の女は、同時に絵のなかの女でもある。最初に見た時も団扇をもって綺麗な着物を来た女であり、花をもってそのにおいをかぎながら歩く女であった。つまり、池の女の振る舞いは、常にどの瞬間を切り取っても絵になるように演出されているわけだ。自己演出を旨とする女は常に自分を作り物として提示する。だから絵として現れるんだね。その演出効果に、三四郎は苦も無く嵌められる。『透明な空気のカンバスの中に暗く描かれた女の影』を見て『三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができる』んだからね」
「そして、ここでもまた池とのつながりが強調されるのよね。女の着物の色について、三四郎は『大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである』と描写するんだから。わざわざ、女と大学の池を三四郎はもう一度結びつけているわけよね」
病院の廊下で、二人は一度すれ違うのだが、女は振り返る。
「ここで近づいてくる前に、一瞬この女性は奇妙なポーズを取るよね」
そうなのだ。三四郎が後ろを振り向いたときこんな情景を目にする。女の『右の肩が、後へ引けて、左の手が腰に沿ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指にあまったところが、さらりと開いている』という光景である。それは一瞬のことで、女はすぐにもとの通りに向き直るのではあるけれども。
「この一瞬のポーズってやっぱり、絵を意識してると思わないか」
「すごく不自然よね。左手を前につきだして、そのさきにハンカチを広げて垂らすわけでしょ。なんか、日本舞踊の所作とか、歌舞伎の所作の決めポーズのようにも見えるわよね」
「詳しくはわからないけど、読書だと読み飛ばしそうなこういう場面も、読書=体験すると、目の前で彼女が実際に動くわけだから、気になってしかたがないよね」
「それから、この女性の特徴は効果的に目線を使うことよね。池のほとりで初めて会ったときは黒目をすばやく動かして、三四郎をちらりと見るでしょ。そう、見たことをちゃんと意識させるように見るわけよ。この病院の場面では、二、三歩目を伏せて近づいてから、突然顔をあげて『まともに男を見た』ってあるじゃない。男としてはどきっとするわよね。そういう目線の使い方が抜群に作為的でうまいと思うわ」
やってみせようかと高満寺が言い出したので、丁重にお断りした。
「それから、三四郎による女の観察が続く。二重瞼とか、切れ長の目とか、目立って黒い眉毛とか、きれいな歯とか、やっぱり三四郎は女をじろじろ観察するわけだよね」
「特に彼が気に入ってるのは彼女の肌の色よね。『この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照である』と、肌の色が白と対照的な色であることが重要な点として指摘されているもの。そして、白い物を塗ってはいるけれど、『本来の地を隠すほどに無趣味ではない』と、白粉を塗ってもやはり地肌の色がわかることがよき趣味とされているわけだものね」
「確かに、よし子に対しては、こういう肌の色の評価の仕方は一切していないからね」
女は三四郎に挨拶をし、十五号室の所在を尋ねる。それは、さっきまで自分が行っていたよし子の部屋である。こうして、池の女と野々宮とが再び結びつく。
「でも、勘ぐってみるならば、ここにも怪しい部分はあるね」
「どういうこと?」
「野々宮と池の女が親しくて、よし子が少し前から入院しているのだとすれば、この女はすでに以前にもよし子の見舞いに来たことがある可能性もあるって言うことだよ」
「ああ、つまり、わざと知らないふりをして尋ねってこと?」
「そう。そういう可能性も勘ぐりたくなるような、わざとらしさがこの女性に関しては随所に伺われるっていうことだ」
「ややこしい女に引っかかったものね、三四郎も」
「そうだね。うぶな三四郎にはほんとうに手に負えない感じだよな。病院を出た三四郎は、女が結んでいたリボンの色を思い出す。そして『そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出したとき、三四郎は急に足が重くなった』とつながる。三四郎はすでに、女の思惑通りに翻弄され始めているわけだね」
そう、こうして、三四郎の内面に、三角関係の可能性が意識され始めることになるわけだ。
そこへ、与次郎が声をかける。そして、三四郎の気を逸らそうとするかのごとく、『「きょうはイタリー人がマカロニをいかにして食うかという講義を聞いた」』と、肩すかしを食らわすようなとぼけた話をする。
「これは、当時の大学の講義のレベルを茶化しているともとれる。他方で、講義のなかでそういう雑談レベルのことしか把握していないという、与次郎の学生としてのレベルを揶揄しているともとれるね」
「いずれにせよ、お粗末だわ」
三四郎は、薄いリボンをつけるのは酷暑のときだけじゃないのかと、マカロニの食べ方と同レベルの質問を与次郎に投げかけるが、与次郎は『「○○教授に聞くがいい」』と取り合わない。日常生活レベルのたわいもないことを、教授に聞けという与次郎も変だし、同時に、マカロニの食べ方だのリボンをつける季節だの言い出すことで、いったい学問ってなんなのかがわからなくなってしまうという効果もこのやりとりは醸し出しもしている。
「二人の女の登場によって、三四郎の大学生活が、学問の世界から女性への関心へと置き換えられたことが、この章ではよく描かれているわね」
そう、この小説は、学問を志す若者を描いているのではなく、ひたぶるに女の尻を追いかける若者の姿を描き出しているのである。ということが、わかってきた。果たして、このことは、犯人割り出しの参考となるのやらどうやら。
この章を整理しておこう。
新学期が始まるが三四郎は授業になじめない。そんな三四郎が、授業より図書館に重きを置くようになるのは、与次郎という選科生の導きによるものである。野々宮が妹の見舞いに行った夜、野々宮の家に泊まった三四郎は近所で起こった女の轢死事件に遭遇する。そして、そこには、原作にはない、悲しみと復讐を意味する花束が、何者かによって手向けられていた。寄る辺ない戦争未亡人らへの共感と、彼女たちの怒りへの報復の約束、とそれを解釈してもよいのだろうか? 届け物を頼まれた三四郎は、野々宮の妹よし子を見舞い、同じくよし子の見舞いに来た池の女に再会する。池の女の頭には、かつて野々宮が買ったものと同じリボンが結ばれている。
「三四郎は学問にも、轢死した女の置かれた社会的状況にも深い興味を示すことはないんだよな」
「そうね、唯一彼が反応したのは、池の女の頭に結ばれていたリボンが、先だって野々宮が買ったものと同じものだという点だけなのよね」
「学問よりも、社会よりも女なんだな」
「仕方ないわ。それが、彼にとってのリアルなわけだもの」
「とすれば、殺人犯は三四郎とは考えにくいね」
「どうして?」
「だって、花束を置いたのが三四郎だったとは考えにくいことになるからだよ」
「そうね。でも、まだ花束の主が犯人だっていう証拠はないわよ」
(第18回 了)
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* 『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』は毎月15日に更新されます。
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