正確に数えていないが藤野可織さんの「ねむらないひめたち」は50枚くらいの短編である。小説巻末には「京都市交響楽団×藤野可織 オーケストラストリーコンサート ねむらないひめたち」の広告が掲載されている。どういった内容(音だけなのか文字テキストの朗読を含むのかなど)はわからないが、「ねむらないひめたち」を交響楽団の演奏で表現しようという試みであるようだ。いろんな試みが行われているんですね。いいことだと思う。
「出して!」あたしはドアじゃなくてバルコニーの窓をこぶしで叩いて泣いた。
「もうちょっとだよ」ママかパパがあたしをうしろから抱っこして、窓から引き離した。「もうちょっとの我慢だよ」
「うそつき!」あたしは叫んだ。あたしはなにが起こっているのか知っていた。人類は、未知の伝染病に冒されていた。感染経路は不明。症状は身体の硬直と昏睡。病院はすでに眠り続ける患者でいっぱいだった。昏睡から覚めた患者は、世界中で一例も見られなかった。みんな眠ると眠りっぱなしだった。それがどのようにしてはじまったのか誰も知らなかったし、どのようにして終わるのかもわからなかった。ましてやママやパパにわかるわけがない。
藤野可織「ねむらないひめたち」
「ねむらないひめたち」の主人公は9歲のソラコ(あたし)で、4歲年上で13歲のお姉ちゃんがいる。パパとママと37階のタワーマンションに住んでいる。ごく平凡な姉妹として描かれているが、異様なのは外界である。
世界には原因不明の伝染病が蔓延していてそれに冒されると昏睡状態になってしまう。ただの昏睡ではなく「砂色の飴」に覆われてしまうのだ。それを切り裂いて穴を開けたりすると「中身がどろどろの液体になってこぼれてしまってあとには殻しか残らない」のだという。
この設定で誰もが思い起こすのは昨今のコロナ禍だろう。昏睡状態になって飴色の殻に覆われるわけではなく、まったくの原因不明で対処策がないというわけではないが、「ねむらないひめたち」の家族のようにコロナ禍で外出は制限されている。あたしのパパとママもテレワークをしていて家に閉じこもっている。タワーマンションの37階は陸の孤島だが、それがさらに孤島化しているわけである。
しかしコロナ禍をヒントにはしているが、「ねむらないひめたち」のテーマはコロナとはほぼ関係がないようだ。
そしたら、あたしのつま先がぐうぜんママのアラビアのぽってりしたカップアンドソーサーのカップをひっかけて、でもあたしはそれがまさか足元の隙間から外に落ちちゃうなんて思ってもみなかったし、絶対わざとじゃない。
「ねえあたしにも見せてよ!」風でかぶさってくるのがあたしの髪の毛なのかお姉ちゃんの髪の毛なのかわかんないまま払いのけてやっとのことでお姉ちゃんの肘を摑んだら、
「あっ」とお姉ちゃんがつぶやいた。「え、うそ、死んじゃった」
死んじゃった?
同
パパとママも飴色の殻に覆われて昏睡状態になってしまい、姉妹は二人で陸の孤島の37階に住み続けている。ママが買い溜めしてくれていたので食糧などには困らない。しかし退屈だ。あたしはママのスマート眼鏡で外界にアクセスする。しかしアクセス方法が不用意だったのでロリコン男たちを引き付けてしまう。アクセス場所(住所)もわかる形でネットにアクセスしてしまったのだ。
ロリコン男がタワーマンションの下までやってきてネット経由で話しかけてくる。バルコニーは風が強いのでコンクリートの床に敷いたラグが飛ばされないように様々な物を置き石代わりにしていたのだが、わたしのつま先がその一つのカップに触れ、それが落下して地上のロリコン男の額に命中してしまう。あたしとお姉ちゃんは伝染病が蔓延する前からバルコニーに出てお姉ちゃんが双眼鏡を覗いてターゲットを決め、あたしが水鉄砲で撃つスナイパーごっこをしていたが、遊びのスナイパーごっこが本当の狙撃(殺し)になってしまった。
僕はたまたま男に生まれてしまったので、こういった小説を読むと「すいませんねぇ」という気持ちになってしまうのだが、小説的に言えばこれは女性作家の特権的テーマ設定でもある。男が書いてもあまりリアリティがない。
姉妹は偶然始まった殺し(リアルスナイパー)を意図的に続ける。ロリコン男をタワーマンションの下に呼び出して物を落として殺しまくる。タワーマンショ下の路上はロリコン男たちの死体でいっぱいだ。ではこの小説の主題はロリコン男成敗にあるのだろうか。
「あなたたちは未来へ行きなさい」おばさんは言った。
「未来に行ったらなにがあるの」あたしは尋ねた。
「あなたたちの人生が」舞台にはライトがついていた。舞台はものすごく広かった。あたしたち家族が住んでいたマンションの部屋全部よりも広いかもしれない。「今のままでは、なにもかもを保留にさせられたまま年だけとって死んでいってしまう。あなたたちの人生は、100年後にあるんだよ」
「それってキスしたりとか?」あたしはふと思いついて言った。
「ちょっとソラコ」お姉ちゃんがたしなめた。
「そうだよ」おばさんは真面目だった。「新しい人類だって当然、繁殖していくでしょ。100年後ならきっと恋をして、その相手といっしょになって、子どもをつくって家庭を築くことができる」
同
姉妹はロリコン男殺しを続けるが、ついにロリコン男が非常階段からバルコニーに浸入して来てしまう。それを救ってくれたのが13人の〝おばさん〟たちだった。13番目のおばさんは生物学者でかつ孤立児童の保護団体の一人で、「あなたたちみたいに、蛹になれない子どもたちを保護しています」と言う。おばさんによると謎の伝染病はウイルスなどによる疾病ではなく「(人間の)体の中に蛹化をうながすスイッチがあって、それが今、それぞれのタイミングでいっせいに起こっている」。
要するになぜかはわからないが、元々人間の中にあったスイッチが作動して飴色の殻に包まれる昏睡状態に陥り、100年後に新たな人類として再生するということのようだ。おばさんは「私たちには想像もつかない生物へと進化する」のだとも言う。
じゃあ姉妹が素晴らしい未来、新しい人類へと生まれ変わる蛹になるのかといえば、ならない。スイッチも作動しない。おばさんたちに連れられて姉妹がやって来たのは大きな劇場で、その客席には子供たちの蛹が並んでいる。おばさんたちは未来の新人類になる子供たちを蛹にして保護しているのだ。蛹化した大人はどうなるんだろう、大人は新人類になれないのかなと思うが、それは説明がない。
姉妹はタワーマンションに住んでいた時と同様に劇場の4階で寝起きし、子どもの蛹を盗みに来る、恐らくロリコン的男たちをボーガンで射殺するスナイパー仕事を続ける。「子どもの蛹にドリルで穴をあけてストローをつっこんでちゅうちゅう飲めば長生きするって信じてる人もいるし、そういう人に蛹を売りつける人もいる」とある。素晴らしい新人類になれるならみんな蛹になりたがりそうなものだが、そういうわけでもないようだ。火事場泥棒的に子どもを狙う男たちを殺すのが姉妹の仕事であり目的、らしい。
よくわからない小説というものはある。論理的に説明できなくても直観で理解できる小説はそこには含まれない。本当によくわからないのだ。「ねむらないひめたち」は何を表現しようとしているのか僕にはよくわからない。すいません。
大篠夏彦
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