第64回群像新人文学賞の正賞の受賞とはならなかったが、優秀作に選ばれた松永K三蔵さんの「カメオ」が掲載されている。正賞は石沢麻依さんの「貝に続く場所にて」と島口大樹さんんの「鳥がぼくらは祈り、」の受賞だったが、この二作に比べると「カメオ」は素直な作品である。純文学的要素が少し足りないのかもしれない。
ただ純文学とは何かという定義、あるいは共通認識が揺らいでいる。凝った文体で内容が深刻そうなら純文学になるわけではもちろんない。大衆小説的素直な起承転結文法を破るのが純文学のルールというわけでもない。
まあ極端な言い方だがエヴァにせよ鬼滅にせよ子どもから大人までを惹きつけるコンテンツには、単に面白いだけでなくいわゆる純文学的要素があるだろう。ビジュアル時代に小説は圧倒的に不利だが、そういった普遍的純文学的要素を持った作品はある程度の読者の支持を得られるのではないか。
高尚な純文学だから売れないというのは幻想だ。もう誰も文学者を社会を代表する知者やオピニオンリーダーだと思っていない。文学者の社会的特権性などほとんどなくなっている。もし文学と作家を何らかの形で復権させたいのなら質的転換が必要だろう。変化の早い時代に腰の重い作家がビビッドに反応できるはずもない。腰が重いならとことん沈み込むほど原理的な思考を持たなければ作家の存在意義はないのではないか。
とはいえ結局はなんらかの形で今の閉塞感を打ち破る作家が現れてこなければ何も変わらない。それまではじっと我慢しながら既存路線を引き継ぎ変化の方向性を探ってゆくしかないだろう。群像さんが正賞だけでなく優秀作を設け、作品を雑誌に掲載しているのはとてもいいことだと思う。
「お前ら、俺を舐めとんのやろ。引きこもりのおっさんやと思って、舐めとるから、いきなりこんな工事はじめるんやろ? 舐めとるから、いきなりアタック持って来て、粉のアタック。それで終いや言うんやろ。前の、お前とこのナントカいうの来たな。コンチワァとか言うて、東京ことば使いやがって、アホか! 普通お隣さんにはちゃあんと図面出してやな、説明するやろ普通。
――お? 説明会? ワシはそんな説明会は知らんど?(中略)ワシ、クレーマーちゃうど。無茶言うてないど。それでも無理や言うんやったら、せめて粉やなくて、タレの、タレのアタックにしよや。あ? あー液体や。だいだいわかるやろ、そんなもん。(後略)」
松永K三蔵「カメオ」
松永K三蔵さんの「カメオ」の主人公は神戸市の物流倉庫に勤務する高見(私)である。会社所有の遊閑地に倉庫を建てるので、私はその工程管理を命じられた。税金対策なのだろう、経理部主導で年度内完成が絶対条件である。しかし近隣住民対策で問題が起こる。建設地に隣接する家の男が様々な形で難癖をつけ、工事を妨害し始めたのである。
この男の名前が亀夫である。挨拶に行った私に亀夫は鬱屈した不満をぶつけるが、その記述は面白い。怒っているのだがどこかユーモラスだ。相手に隙を見せるが隙だと思ってそこを衝くとなお厄介なことになったりする。こういうおっさん、いるよなぁというリアリティがある。ただ亀夫は小説の導入に過ぎない。「亀夫」は「カメオ」にならなければならない。
「でも、ほんと、どないしよ。困ったわぁ。わたし今日、いっぺん戻らなあかんし・・・・・・。犬って新幹線乗れるんでしょうか?」とやはり亀夫の姉はこの矢庭に出現した犬の扱いに困り果てていたようだった。(中略)
「二、三日やんか。兄ちゃん、あんた車で来とるんやろ? こんな時くらい助けたりぃな。工事で散々迷惑かけとんやから、あんたトコ」
「ウチらも朝からガリガリやられて迷惑しとんのやでぇ」
「せや、せやわァ」とまわりの主婦に口々に言われて、私は黙った。
「後生です。お願いしますぅ」と亀夫の姉は眉をハの字に、口を窄め、手を合わせて拝むような恰好で私を見た。
同
悩みの種だった亀夫は唐突に脳溢血で死んでしまった。ただ亀夫は犬を飼っていた。大人しい犬だがどこか奇妙な感じで私もその犬のことが気になっていた。葬儀のために亀夫の姉が来るが、亀夫が犬を飼っていたことを知って狼狽する。姉はマンション住まいで犬を飼えないが、葬儀で慌ただしいので二三日、私に犬を預かって欲しいと懇願する。近所の主婦たちが加勢したこともあり、私は渋々犬を預かることにした。私の住むマンションもペット飼育禁止である。
この犬を私はカメオと呼ぶことになる。半ば当然だが亀夫の姉が教えてくれた電話番号は不通で、その住所もわからない。犬はどうやらブルテリアという犬種で元は闘犬だ。マンションの住人にバレないように散歩もさせずに狭いマンションに押し込めておけるような犬ではなく、私はじょじょに犬を持て余すようになる。
するとカメオは跳びはねるように立ち上がり、背中を弓なりに撓らせて猛然と駆け出した。車の前を掠め、瞬間、ヘッドライトの光に火花が散るように体毛が煌めいた。カメオはライトが照らす光の道を真っ直ぐに駆けて行き、そのまま、その先の草叢に乾いた音を立てて跳び込んだ。
一瞬のことだった。私は呆気にとられた。僅かな躊躇いも見せず、私の方をちらりとも見ずに、カメオは草叢の中に消えた。カメオを飲み込んだ草叢はもう何事もなかったかのように、枝葉ひとつ揺れていなかった。
これで終いなのだろうか――。私は信じられない思いでその場に佇んでいた。私は矛盾する「期待」を捨てきれなかった。草叢の奥の木立の中からガサリと首を出すカメオを、私は待った。あまりにも呆気ない幕切れに、寧ろ私は不可解な動揺を感じていた。
やがて静寂が闇から立ち上がり、虫の音が湧き立って来ると、それが闇とともに積り、その中に没するかのように思った時、私は「カメオーッ!」と叫んだ。
同
私が会社に行っている間に吠えるのだろう、カメオを飼っていることはペット飼育禁止規則にうるさい住人に知れ、住人代表と管理会社の人が私の部屋を訪ねて来るようになった。居留守を使ったが一時しのぎである。私はカメオを山の中に捨てようと決意する。深夜カメオを車に乗せ山道を彷徨う。
私は散々逡巡する。杓子定規に言えばペット遺棄は犯罪である。倫理的にも無責任だ。私はカメオに判断を委ねることにした。山の中の空き地でカメオのハーネスを外してやると、カメオは一目散に駆け出し草叢の中に跳び込んで姿が見えなくなった。戻ってくる気配はない。
私が「カメオーッ!」と叫んだのは、短期間とはいえカメオが飼い主の自分に懐いていたのではないかと期待していたからである。しかし私はカメオを山中に置き去りにしようともしていた。矛盾だがこういった心理は人間にはありがちだろう。
また倉庫建設は年度内に間に合ったが、施工違反で完了検査の許可が下りないというトラブルが発生した。そのため結果として年度内竣工は間に合わず私は会社から譴責処分を受けることになった。一直線に走り去ったカメオには、会社人間である私の自由への願望が投影されているのかもしれない。
今ひとつ焦点がクッキリしない小説だと思う。亀夫がカメオに変わるまでが長すぎる。またカメオを捨てるかどうか逡巡する私の心理葛藤も長い割に深みがない。これが狂気に近い葛藤にまで至れば純文学、ということになるだろうが、そうなれば全体構成を練り直さなければならない。
ただ小説作法としてはキチンと仕上がっている。優秀作で商業文芸誌に作品を掲載してもらえるのはもの凄くラッキーなことだと思う。このワンチャンスを活かして次は是非驚くような作品を書いていただきたい。
大篠夏彦
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