No.125『篠田桃紅 夢の浮橋』展
於・菊池寛実記念 智美術館
会期=2022/06/18~08/28
入館料=1,100円[一般]
カタログ=3,300円
ちょっと久しぶりの美術展時評です。美術展は開催されているのだが、あんまり好みじゃないというか、好みでなくてもこれは是非見なくちゃという美術展が開催されなかったのですねぇ。まだコロナ禍が治まっていないせいかもしれない。あるいは日本が不景気でお金が集まらず、意欲的美術展を開催するのが難しくなりつつあるのかも。秋はいわゆる芸術の季節と言われるが、美術展予告を見ていてもアリモノ展が多いなぁ。やっぱドーンと内外から貴重な作品を集めて美術展を開いていただきたいものです。
そんな中で菊池寛実記念 智美術館で『篠田桃紅 夢の浮橋』展が開かれた。この美術展時評で「菊池寛実記念 智美術館」開催の展覧会を取り上げるのは初めてである。菊池寛まで読むと文藝春秋社創設者の菊池寛を思い出してしまうがぜんぜん関係ありません。菊池寛実さんは戦前からの実業家で大富豪。通称カンジツだが正しい読みはヒロミ。菊池智さんは寛実さんの三女で実業家で現代美術コレクターだった。智美術館はその名のとおり智さんのコレクション中心の美術館である。
場所は超がつく一等地の東京港区虎ノ門。道一本隔ててホテルオークラである。周りは高層ビルやマンションだらけだが智美術館は比較的低層で、登録有形文化財に指定された大正十五年竣工の西洋館もある。昔の(今もか)大富豪はスゴイですなぁ。わたくし、昔建築関係の出版社に勤めていて建築ビジネス書を手がけていたので坪いくらやねんと考えてしまいました。ここにオフィスやマンション建てたらスゴイことになります。もち公益財団法人なのでこのままひっそりという感じで美術館は続いてゆくでしょうね。
『ある女主人の肖像』
菊池寛実記念 智美術館 Facebook より
今回の企画展には含まれていないが、『ある女主人の肖像』は智美術館にとって最も重要な作品の一つである。美術館創設者の菊池智と篠田桃紅は親交があり、智は美術館建設以前に建っていた菊池ゲストハウス広間壁面を飾るために桃紅に作品を依頼した。図版は見つからなかったが金銀と墨で描かれた装飾性の高い作品だったのだという。しかし智はこの作品に満足せずもっと精神性の高い作品を求めた。桃紅は「私の作品にNOという人はあなたぐらいよ」と言いながら新たに『ある女主人の肖像』を制作した。中心に書かれているのは女という字である。現在の智美術館の正面玄関に飾られている。
この逸話から智さんが高い審美眼を持っており、桃紅作品の真髄がその精神性にあると考えていたことがわかる。また桃紅が自己の作品に「NO」と言わせない作家だったこともわかる。自信家だとか我が儘だったというのとは違う。桃紅は優れたエッセイイストとしても知られるが、それを読むと常に自己の表現を疑っていた人である。その懐疑と逡巡の末に「これだ」という作品を制作した。これしかないはずという作品だから「NOとは言わせない」という強い矜持が生まれるのである。
『Just before Dawn 朝ぼらけ』
昭和三十五年(一九六〇年) 墨、銀泥、キャンバス 縦一一八・五×横二二四センチ 智美術館蔵
篠田桃紅は大正二年(一九一三年)生まれで令和三年(二〇二一年)――去年ですね――に百七歲の長寿でお亡くなりになった。智美術館での展覧会は追悼展でもある。
タイトルを英語表記にすると日本語が持っている湿った質感がなくなってしまうが、『Just before Dawn 朝ぼらけ』は篠田さん四十七歲の壮年期の作である。その頃にはすでに世界で認められた作家だった。昭和三十一年(一九五六年)から三十三年(五八年)には渡米してニューヨーク中心に活動してもいる。横二メートルを超える大作であることからわかるようにこの作品を飾れるのはそうとうに広い壁を持っているお金持ちか美術館くらいである。日本での肩書きは書家になることもあるが海外では抽象画家と紹介されることが多い。今回の展覧会でもこのコロナ禍に、外人さんの観覧者が非常に多いのにビックリした。
実にシンプルな作品である。描けそうといえばまったくその通りで、似たような作品は作ることができるだろう。しかしじっと眺めていると、ああこれ以上線も色も動かないと思えてくる。日本画は多かれ少なかれそういうところがあるが、図録等の写真ではその素晴らしさ、繊細さが伝わりにくい。篠田さんの黒はただの黒ではない。実物をじっくり見ればわかる。また見続けていると大作なのだが遠近感が失われてくるようなところがある。求心的なのだ。美術的時評としてはそぐわない言い方かもしれないが、篠田作品は作風の変化を楽しむよりも、じっくり一点を眺め続けた方がその世界観がよくわかるところがある。
エッセイ集『おもいのほかの』
冬樹社刊 昭和六十年(一九八五年)
僕が桃紅さんの存在を知ったのは一九八〇年代である。エッセイ集『おもいのほかの』は東京神田の東京堂で買った。今回崩れかかった書庫をひっくり返して探し回ったら出てきた。忘れていたのだが、買った時に表紙にかかっていた「桃紅ファンへ贈る 直筆署名本」というタスキも本に挟み込んであった。東京堂書店の店員さんが販促のために作ったのだと思う。今は書店もオワコン化し始めていて、東京堂も岩波ブックセンターも一番本を売りやすい一階がカフェになっている。本よりカフェの方が儲かるんでしょうね。
それはともかく当時は井上有一が有名になり始めた時期だった。建築出版に入社する前に僕は文学出版で働いていて、有一はすでに亡くなっていたが何度か取材で有一ブーム仕掛け人画廊ウナックトウキョウ店主の海上雅臣さんにお会いしたことがある。まーいろんな意味でスゴイ方でお話していても押されっぱなしだった。
ウナックで扱う有一の書の値段は、当時ですら「えっ」と思うほど高かった。ちょいと書きにくいがお弟子をたくさん抱える現代書家は生前それなりの値段がつく。が、没後に高値がつく専門書家はほとんどいない。魯山人が「専門陶芸家と書家の作品はつまらん」と言ったのもある程度はうなずける。しかし有一作品には有名油絵画家のような値段がついていた。墨書では見たことがなかった。しかもそれがポンポン売れていた。もちろん今は当時の値段どころではない。お金はないが美術品をポツポツ買い始めていたので、海上さんを見ていて画商の力を思い知った。有一の書が魅力的だから高値でも買う人がいたのは言うまでもない。ただ美術の世界では画商の〝売る力〟を無視出来ないんだということがよーくわかった。有一作品はほぼ海上さん独占販売で彼が値段をつけ実際に売った(売れた)からだ。画家に信念がいるのと同様に画商にも信念がいる。
東京堂書店の店員さんがコピータスキに書いているように、桃紅ファンはたくさんいたが当時は知る人ぞ知るといった感じの書家で画家だった。僕は桃紅さんの書をどこかで見ていい書家だなぁと思っていた。エッセイもお書きになっていることは知らなかったが署名本だから買った。カクカクとした感じの桃紅さんの書が好きだったのである。一点ものは無理でもリトグラフがあるのは知っていたので欲しかったが手が出なかった。有一の書と同様に桃紅作品もとても高くなってしまった。お金がないというのは寂しいことですなぁ。
『Ishi no Ue 甃のうへ』
平成二年(一九九〇年) 銀泥、紺紙 縦一一三・五×横一八六・五センチ ノーマンH.トルーマン蔵
『Ishi no Ue 甃のうへ』は日本の王朝経典に倣ったかのような紺紙銀泥作品である。三好達治の詩『甃のうへ』が書かれている。
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
達治は萩原朔太郎と並ぶ北原白秋門の双璧である。ただ朔太郎が『月に吠える』で意味的にも形式的にも完全に自由な表現で現代にまで続く自由詩の基礎を確立したのに対し、達治は文語体にこだわった抒情詩人だった。そのため現代では達治の詩を好む人は少なくなってしまったが『甃のうへ』は『雪』(「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」の二行詩)と並ぶ達治代表作で傑作である。
桃紅さんは詩でも短歌でも文語体で、内容もたおやかな作品を好んで書にした。ただその筆は強い。桃紅さんの書はカクカクしていると書いたが抒情的内容の詩だからそれが生きる。意図的な詩の選択だと思う。桃紅さんの書中心の作品を見ると、この作家の骨格が漢字――漢詩的中国文化と中国書の表現にあることがはっきりわかる。撞着的な言い方になってしまうが、女性の書家の作品でありながらとても男性的な書なのだ。
『Yume no Ukihashi 夢の浮橋』
平成二年(一九九〇年) 縦八六×横一一六センチ リトグラフ、手彩 智美術館蔵
『Yume no Ukihashi 夢の浮橋』はリトグラフ作品の代表作の一つ。一義的には藤原定家「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」を踏まえているのだろう。しかし表現主題は「夜」「夢」「浮橋」「峰」「横雲」の連想でありその綜合だと言ってよい。
描かれている線、形、ひっかき傷、色、そのどれを「浮橋」や「横雲」として捉えてもよい。形はあり、しかし移ろいゆくものをこれでしか表現できないという形で定着した具象抽象画である。桃紅さんの抽象作品は動きや変化を表現するのではなく静止した形や色から動きが生じるタイプの表現である。
せっかく『おもいのほかの』を掘り出したのでパラパラ読み返すと「私の小屋のあるあたりから見る不二の東側の稜線を、私は昔から、この世の線というもののなかの線だと思ってきた。その線は何とも言いようがないが、あえて言えば、山を見る時の心の静かな昂ぶりに添うもの、とでも言うほかはない。見れば心がおののくのである」と書いておられる。
また焚き火に関するエッセイで「あの、えもいわれぬ美しい葉を、灰にしてしまうことに、何のおそれも持たなかったとしたら、私は荒っぽ過ぎる・・・・・・だから、灰は、風がきて、どこかへ飛んでも、どこかに在るし、濡れて溶けても土の中に在ると思い、有ったものが無になったとは、思おうとしない。うつろったのだと思おうとする。そのうつろい方を心に留めようと、言いきかせる」とも書いておられる。
つかめない線を形にし、うつろいゆくものを形にして表現するのが桃紅芸術の真髄である。そのために墨の黒色がある。あまり書きすぎると面倒臭くなるのでやめるが玄之又玄である。
『篠田桃紅 夢の浮橋』展図録より
桃紅さんは僕には思い入れのある作家で、彼女の作品を知りエッセイ集『おもいのほかの』を読んだ一九八五年に僕はまだ二十代だった。そのころはいわゆる男根主義的思想――男性優位思想という意味ではなく、抽象観念的思想と表現に取り憑かれていた。しかし『おもいのほかの』などの桃紅さんのエッセイを読んで「んん?」と考え始めたようなところがあった。世界の半分しか見えていないのではないかという感覚が湧き出したのだった。
桃紅さんのエッセイは女性らしい思い出や観察に満ちている。季節折々の瑞々しい野菜のおいしさ、小さい頃大好きだった綺麗な和菓子のお話、素晴らしい着物の帯の色や質感などである。そういった繊細な生活の機微にほぼ無縁で生きて来た乱暴なオトコノコだったわけだが、桃紅さんのエッセイを読んで女性的なる世界、自分には見えていない世の中の半分の豊かさが茫漠と浮き上がって来た。それまでほとんど読んでいなかった女性作家の作品を読み始めたのは桃紅さんのエッセイがきっかけだった。
ただ奇妙なのは超男性的とまでは言えないが、桃紅さんの書の強さだった。抽象作品も省略と断絶と言えるほど確信に満ちている。桃紅さんほどステレオタイプな女性的抒情と無縁な作家はいない。
今回の展覧会の図録で桃紅さんの画商で友人でコレクターでもあるノーマンH.トルーマンさんが「常々、美術商として学んだことは全て桃紅さんから教わったと明言しています。桃紅さんからは美術のいろはから始まり、その世界での立ち振る舞いを学びました」と書いておられる。ああなるほどと思った。
当然といえば当然だが桃紅さんは美術の世界で闘っておられた。気の弱い女性であったはずもない。ただ桃紅さんは生物学的にもジェンダー(社会的性差)としても女性であることを真正面から引き受けた上で一人の人間として闘っておられたと思う。作品を見てそう思う。適切な表現かどうかはわからないが、女性だからその内面に男(性性)を飼っておられたような気配だ。男の場合はその逆が必要ということになろう。男性作家が世界の半分を占める女性性に鈍感なら表現は世界の半分止まりになる。やっぱ桃紅作品、一点欲しいですねぇ。
鶴山裕司
(2022 / 08 /21 13枚)
■ 鶴山裕司さんの本 ■
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