女子高生のミクはふとしたきっかけで社会人サークルに参加することになった。一足先に大人の世界の仲間入りするつもりで。満たされているはずなのに満たされない、思春期の女の子の心を描く辻原登奨励小説賞佳作の新鮮なビルドゥングスロマン!
by 金魚屋編集部
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私は特別な女の子になれているはずだった。だって、特別な一日を過ごしたから。夜、寝る前にあの日にもらった化粧水をつける。あれから毎朝、起きてくるのが楽しい。それに、今日は彼の大学の学祭だった。リオナさんが選んでくれた服があるから、服装に悩むことはなかった。キャンパスでだって浮かないはず。出発前に一度、部屋の全身鏡で自分を見てみる。
「あれ?」
頬がいつもより赤い。よく見てみると、湿疹ができているようだ。どうしよう。慌てて、化粧品売り場でもらったサンプルのファンデーションで赤みを隠す。明るいところでは透けて見えるかもしれないけど、仕方がない。どうせなら、と思い口紅とアイシャドウもつけてみた。慣れないから、アイシャドウの左右の濃さを加減するのがむずかしい。もう一度鏡をのぞき込む。やっぱり、湿疹がうまく隠れていない。ママの化粧箱から頬紅を借りて、炎症を起こしていないほうに少し塗ってみた。髪の毛をストレートアイロンで内巻きにする。これで上手くごまかせたかもしれない。大事な日なのに、憂鬱だった。
慌てて家を出て、彼の通う大学に向かう。駅に着くと、改札を出た瞬間から人であふれていてなかなか動けなかった。人の波に乗ってやっと校門にたどり着く。複数のグループが、来校者に声をかけている。男子二人組が、話しかけてきた。
「一人? だったら案内しちゃうよ。俺ら、サークル棟の前でチョコバナナ売ってるから一本どう? おまけするよ」
バナナの着ぐるみの間から笑顔が見える。親切だけど、目立ちすぎるから一緒に歩きたくない。
「そうだそうだ。早慶大学名物だからね」
なぜかこちらは普段着。ダンボールで作ったチョコバナナの看板を首からかけている。
「どこにでもあるけどここにしかないよ。バナナーーポテトナーーー! 放送研究会のチョコバナナを皆さんでどうぞ」
叫んでいる。ポテトも売っていると誤解されそうだけど、いいのだろうか。
「D 26のお店に行きたいんですけど」
招待チケットを見せる。
「あー。テニサーの『Sunday』ね。一応案内はするけど、やめといたほうがいいよ。チャラサーで有名だからさ」
バナナの着ぐるみを着た人が言う。
「テニサーの女子に振られたからって、適当なこと言うなよ」
「まだ振られてません。ずっと返事を待ってるだけです!」
「強い口調で話すの、やめてくれない? 女の子、ちょっと引いてるから」
「その着ぐるみのせいだろ。ふざけんなよ」
「いいアイディアだと思ったんだけどな。作るのに時間かかったのに、勝手にやったことだから布代は自腹って言われてさ」
「当然だろ。誰が払うんだよそんなもん」
言い争いをしながらも、模擬店まで連れて行ってくれた。彼は焼きそばにソースをかけているところだった。同じサークルの人とお揃いのTシャツを着ていて、私は部外者な感じがした。
「ミク、ほんとに来たんだ!」
チケットを渡した時、彼ははじめて私に気がついた。ブースの中にいる人が全員こちらを見た。青のりを振りかけたり、生姜を刻んだり、トレーを用意したりしている。
「もしかして例の女子高生?」
「マジかよ。やっぱり女子高生ってオーラが違うな」
「本当だったんだ。やるな、タカヒロ。見直したよ」
「制服かと思った」
「変なこと言うなよ。ミクは春から、杏花女子大に進学するんだ」
「お嬢じゃんか。いい子見つけたな」
私のことを、陰で女子高生って言ってたんだ。事実だけど、自分ではそれだけじゃないと思ってた。アドバイスしてもらう前よりも垢抜けたし、私らしさが出ていると思う。ささやかなことだけれど、変わろうとしている私に気づいてくれたらいいと思っていた。
女子大生の間にいる私はありふれていて、フツーでしかなかった。それとも私は、自分でそれを自覚していて、今限定の女子高生ブランドをひけらかしてチヤホヤされに来たのだろうか。そうではないはずなのに。感じることは、居心地の悪さだった。せっかく、会えたのに。
「忙しそうなので、失礼しますね。お邪魔してしまってすみませんでした」
「礼儀正しくていい子だな」
背を向けたのに、彼は送ってくれなかった。サークルの女子が来て、彼に話しかけたからかもしれない。
「今年のミスも『Sunday』から出るかな?」
そんな会話を聞きながら、私は人ゴミに紛れて帰っていった。
家の流しで顔を洗っていると、洗顔料がしみた。タオルも、刺激が強く感じる。
「どうしたの? ほっぺたが腫れてるように見えるけど」
ママが心配するくらい、頬の赤味は悪化していた。よくわかんない、と答えると
「洗面台に成分表示のない化粧水が置いてあったから、瓶だけ残して中身は捨てた。怪しげなものを肌につけちゃダメよ」
という。怒っていいのか感謝していいのか判断がつかなかった。幸い、休みの日だったので学校に行くときにはかぶれはだいぶ引いていた。また、眠くて仕方がない日々が戻ってきた。朝になるとそんなことは忘れてしまうけど、毎晩、小さく死んでいるような気になる。パソコンのスイッチを切るように、自分のスイッチを切る。夜だけじゃない。最近はふと目が覚めて、やっと眠っていたことに気付くこともある。たまに、自分は起きながら眠っているのではないかとさえ思う。
化粧水は日常を変えてはくれなかった。すぐにだるくなった。遊びに行っても、池袋駅からサンシャインまで歩くだけで疲れてしまう。高校生が体力のピークだなんて、嘘だと思う。私がソニープラザをひやかしている間、様々な業界が史上最年少を更新していて、私はどの分野にも当てはまらないどころか引っかかりもしないまま高校生活を空費していた。来年には高校野球に出場する人たちは全て年下で、けどそれは当たり前でフツーなことだった。埋れていて、どこにでもいるということ。ありふれているということが気楽で、とてもしんどい。
「A組の田中さん、あれ、目やったよね?」
「バレバレじゃない?」
「メス入れてるのかな?」
「あきらかに入ってる。可愛くなったけど男子も内心、ドン引きだもんね」
エスカレーターの途中で、他校の女子が話している。スマホの画像を拡大しているらしい。
「もとに戻せないだろうね。でも、もともと美人だったみたいにふるまってるのがすごいムカつく。お嬢ぶってるけど、そもそもお嬢だったらそんなの親が許すわけないじゃんね」
「わかる。クラスで十番目が本当の実力だよね」
軽々と一線を超えてしまった人のことを、時々羨ましく思うこともある。けど、その他大勢の中に逃げ込めないとなったら、その方がもっとしんどい。そうしたら、向こう側に行った人同士でコミュニティを作るのだろうか。まるで、自分が普通であるかのようにかばい合って。お互いの異端性に耐えられなくなったとき、彼らはどこに逃げるのだろう。それとも、お互いがやってしまったことをなかったことにして、他の人を仲間に引き入れようとするのだろうか。まるで、ドッジボールの外野のように。たまに、外にいることを羨まれながら。
普通の女の子である私たちは、何かをなくさないようにと言われる。
その、何かは卵みたいに繊細で、すぐに壊れてしまうと言い聞かされてきた。だから、目を離さないように。道端で落とさないように。無遠慮な人にさわられたりしないように。一定の期間まで。
それが、いつまでであるかは誰も教えてくれない。もしかしたら一生、得体の知れないものを見張れと言われ続けるのかもしれない。
疲れた。家で、リオナさんからもらった本をパラパラと眺める。ファッション雑誌のようなかんじで写真がたくさん並んでいる。付箋のページを開いてみると、コメントが書いてあった。全部が私のためだと思うと嬉しい。
|昨日はありがとう。今週の土曜日にラグビーの試合があるから来ない?(^ ^)ミクの作ったお弁当が食べたいな。
スマホを手に取ると、タカヒロからLINEが届いていることに気が付いた。別にいいけど、女の子なら誰でも自分でお弁当くらい作れると思ってるわけ? できない私が悪いの? 一応、受験が終わったばっかりなんですけど。もやもやするから、しばらくスルーすることに決めた。昨日のことを思い出して、涙が出てくる。全米を泣かせることに絶対的な価値があるこの世界で、とても小さな単位で生きている私。こういうのを無力感というのだろうか。再び、本を開く。休日の日のコーディネートの章に、ラッパーのような格好をした人のスナップがあった。付箋を貼っていないのに「たぶんこういう服、着ないよね。でも意外と、似合ったりして」とコメントしてあった。
(第04回 了)
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