三月号には「小特集 第三の新人」が組まれていて、巻頭に江國香織さんが短編小説「あかるい場所」を書いておられる。で、ん? 江國さんって第三の新人だっけ、と思ってしまった。第三の新人といえば遠藤周作や北杜夫、安岡章太郎、吉行淳之介、庄野潤三だよなぁ、世代が違うよなぁと思ったのだがその通りだった。特集には「アンケート いま読みたい第三の新人作品」もあって、まさしく遠藤周作を始めとする戦後一九五〇年代の第三の新人がターゲットだった。つーことは江國さんに第三の新人特集を組むので小説をお願いしますと依頼したのだろうか。でも発表された小説は第三の新人とどういう関連があるんだろ。お父様の江國滋さんは第三の新人、じゃないよなぁ。かなーり不思議な感じがした。
腐葉土に埋もれてまどろみながら、彼女は思いだしている。あのあかるい場所、おずおずとさしだされたみずみずしいたべもの、それに、声――。鳥の声や蟬の声ならば彼女にも馴染みがあったが、それとは全然べつな声があの場所ではたくさん降ってきた。「デカイ」とか、「メスだけどな」とか「ほらリンゴ」とか。「きゅーり」とか。声は何種類もあって、高かったり低かったり、静かだったり朗らかだったりし、彼女はその一つずつの声の主を見ることはできなかったが、それが威嚇でも求愛でもないことはわかった。あかるい場所はときどき暗くなったが、暗くなっても声は聞こえた。「かきまぜ」とか「イザンバ」とか「けえりやした」とか。声はときどき弾けるように「あはは」といったり「きゃきゃきゃきゃ」といったりし、どうかしてそれが幾つも揃うと、どすんどすんと地響きのすることもあった。が、彼女はべつに恐ろしくはなかった。なにしろそれらは威嚇でも求愛でもなかったし、威嚇と求愛を、彼女は生涯でもっとも恐れたのだったから。
江國香織「あかるい場所」
とはいえ小説は秀作だった。「あかるい場所」は江國さんが得意とする童話タッチの短編、というより掌編小説である。四〇〇字原稿用紙で10枚くらいだろう。10枚で優れた小説が書けるのは驚異的なことだ。残酷なことを言えば多くの作家が200枚、300枚、時には500枚1000枚の小説を書いてしかし秀作のレベルに至り着かない。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は100枚弱の短編小説である。漱石の『坊っちゃん』は200枚強か。決して長い小説ではない。長い小説に物語と作家の思想を詰め込めば秀作になるのかといえば決してそうではない。10枚でも優れた小説は書ける。ただし難しい。
小説の主人公はメスのカブトムシだ。彼女の内面独白が希薄なエクリチュールとして展開される。なぜなら彼女はもう死にかけているからだ。ただ彼女は明るい場所にいて満ち足りている。「生涯でもっとも恐れた」ものは「威嚇と求愛」だがそれはもう襲ってこないからである。しかしそれらと無縁だったわけではない。
彼女の体はぼろぼろで、目はもうほとんど見えず、液体を吸うための口元の毛は干からびている。おまけに足は五本しかなかった。求愛者にのしかかられ(あのときは逃げきれず、観念するしかなかった)、信じられない激しさで事が展開したときに、一本取れてしまったのだ。でも、足一本で済んでよかったと彼女は思う。あれはほとんど格闘だった。誰かにのしかかられているという、その現在があまりにも巨大で時間はすっかり駆逐されてしまい、ただ目の前の、というか全身がからめとられている、行為だけがあった。しかもそれは果てしなく続くように思われ、たぶん自分はこのまま破壊され、息絶えるのだろうと彼女は半ば覚悟した。それならばそれで仕方がない、と運命を受け容れるつもりになったのだが、結果として息絶えたのは相手の方で(死んでしまえば、威嚇的な長い角が哀れだった)、彼女は足を一本失っただけで済んだ。
できれば避けたかった災難だったとはいえ、いまとなってはいい(あるいは鮮烈な)、思い出であるような気がする。相手の顔は憶えていないが、荒々しさと体の重さ、それに遮二無二事を成そうとする情熱は思いだせる。
同
ここで書かれているのはもちろん男女のセックスの喩である。男の身勝手な性欲とかレイプとか女性蔑視とかいうことを言い出しても仕方がない。この短編の設定では彼女にとって求愛が苦しく辛い思い出として描かれいるだけのことだ。それが嵐のように過ぎ去った過去であることの方が重要である。男の、オスは、彼女を傷つけたかもしれないが先に死ぬ。そして彼女に残るのは自分に向けられたオスの情熱の名残だけである。彼がどういう人であったのかは思い出せない。彼女は自足しているからだ。
彼女は作品の冒頭で様々な音や声を聞いている。彼女の中にそれらが雪崩れ込んでくる。比喩的に言えばお料理やおしゃべりやお化粧やオシャレが女性の中に流れ込んでくる。それらで十分に満たされるわけだが、自足を破る暴力として〝男〟という存在がある。そしてセックスを中心とした男の欲望は彼女にとって結局のところ空虚だ。しかし満たされた女にはそんな空虚が必要である。「いまとなってはいい(あるいは鮮烈な)、思い出であるような気がする」というのはそういうことである。
作品は「すべてが消えてなくなろうとしているいま、不思議な安らかさと共に彼女は思う。/あれは、たのしかった」で終わる。江國香織という作家最大の特徴は天から見下ろすような観念軸がハッキリ立っていることだ。「あれは、たのしかった」とはなかなか書けない。青臭いようだが文学は否定のための表現ではない。現世が舞台の小説は当然だが絶望や苦しみを抉るように描く。が、最終的には生の肯定に至り着かなければならない。江國さんの小説は生を肯定する。現代日本文学で最も優れた作家の一人である。
わたしは二つ並んでいる湯呑み茶碗のうちのいっぽうの下に茶托を敷こうとしたが、この時、どちらの湯呑み茶碗の下に敷くかについてのわずかな逡巡が生じた。はじめわたしから見て左の湯呑み茶碗のほうへ、それをそっと持ち上げるべく右手を伸ばしたのだったが、結局わたしが持ち上げ、その下に茶托を敷いたのはわたしから見て右の湯呑み茶碗だった。それからわたしはもういっぽうの、わたしから見て左側の湯呑み茶碗を右手でそっと摑んで、それを卓上から数センチほど持ち上げた。そしてわたしの左手を浮いている湯呑み茶碗の真下に、手のひらを上にした向きで置き、その手のひらを、中央部にごく浅い窪みを持つ形にした。持ち上げていた湯呑み茶碗をそこに載せた。(中略)わたしは、わたしの手が茶托よりもずっとぶ厚いということ、そのためにわたしの手のひらの上の湯呑み茶碗のほうが茶托に載っているそれと較べてだいぶ高い位置に座す格好になってしまっていることが気掛かりになりはじめていた。しかし、これはいかんともしようがなかった。(中略)しばらくこの状態を保っているうちに、この問題はすっかり気にならなくなってしまった。
チェルフィッチュ/岡田利規「消しゴム式」
今号には演劇カンパニー、チェルフィッチュ主宰の岡田利規さんが「消しゴム式」を書いておられる。小説に添付された岡田さんの自解「解説「消しゴム式」への道」によると、「小説「消しゴム式」は「消しゴム畑」第一回から第五回までを文章で写生したものです」「「消しゴム畑」というのはわたしたち演劇カンパニー、チェルフィッチュが美術家・金平徹氏とのコラボレーションとして取り組んでいるプロジェクトです。形式としては動画であり、(中略)動画を実際に見れば「消しゴム式」がそれの写生文であることがたちまち見て取れるはずです」とある。
小説「消しゴム式」は動画「消しゴム畑」に沿って五つのブロックに分かれ、すべて「わたしは○○した」の独白体である。改行は一切なくわたしの行為と内面独白、それに舞台となる家の中(部屋の中)の描写である。引用を読めばわかるが、私は部屋の中にある日用品を使ってなんらかの均衡状態を作り出そうと悪戦苦闘する。二つの湯呑みを茶托と手のひらに載せその高さを合わせようとしたり、棚と平行に腕を伸ばしてその上に本を並べようとしたりする。演劇的には一種のパフォーマンスとも言えるわけだが読者(観覧者)はやはり「なんのために?」が気になるだろう。
わたしはわたしがこれまでに遂行してきた行為については、その宛先はひらけたものであったつもりだった。つまり、宛先を持たない行為をしてきたつもりだった。これについてはこの先も同様でありたい。今後、遂行していくはずの行為についても、その宛先はひたすらひらけたものにしておきたい。つまり、宛先を持たない行為としてやっていきたい。ところが、わたしのやってきていることはもはやそうではないものになってきている気がする。行為を差し向ける宛先が認定されてしまってきている気がする。そんなことはないのかもしれない。取り越し苦労かもしれない。まだうまくやれているのかもしれない。果たして一体どちらなのだろう。(中略)わたしは、行為を向けるその宛先をできるだけ遠くにあるもの、具体的には遠近法の消失点すなわち無限遠点のようなものとして設定しなおすというのはどうだろうかと考えていた。そのようなものであれば、設定していることと何も設定していないことを実質的に等しくできるのではないか。
同
ある均衡を得ようとするわたしの一連の行為は「宛先を持たない行為」である。もしくはそうであるべきだ。しかしわたしは「行為を差し向ける宛先が認定されてしまってきている気がする」。では宛先がない無目的な行為というものは存在しないのか。わたしは〝ある〟と考える。「行為を向けるその宛先をできるだけ遠くにあるもの、具体的には遠近法の消失点すなわち無限遠点のようなものとして設定しなお」せばよい。それもまた宛先かもしれないが、宛先を無限遠点にすれば「設定していることと何も設定していないことを実質的に等しくできる」だろう。
僕は土方巽が生み出した暗黒舞踏末期になんとか引っかかった世代で小さな小屋で繰り広げられる舞踏に熱中した時期がある。それはまったく無目的な舞踏だった。ただ異様に熱っぽく過激だった。舞踏熱に浮かされたせいで当時まだ現在進行形だったアングラ演劇を見る(興味を持つ)のが遅れてしまった。過激な暗黒舞踏を見ていると「演劇みたいに決められた筋のあるヌルイ出し物なんぞ見てられるか」という感じになってくるのだ。
ただそれでもアングラ演劇は興味の範疇に侵入してくるもので、寺山修司や唐十郎の劇を見るようになった。寺山も唐も土方のアスベスト館に在籍したことがあるわけだから暗黒舞踏とアングラ演劇は兄弟姉妹のような関係だったのだ。演劇は新劇的舞台が基本だが、そこでは空間が固定され時間軸は一定方向に伸びている。しかし特に唐戯曲はそうではない。比喩的な言い方になるが複数の多面体が存在している。各多面体は一つ一つ違う空間を持ち時間軸を持つ。それが突然面と面を合わせて関係が生じる。見知らぬ女が「兄さん、あなた、死んだ兄さんでしょ!」と叫ぶ。男の中に兄であった過去の、異世界の記憶が蘇る。限定された舞台の上で空間と時間軸が歪むのである。
テレビドラマや新劇に慣れ親しんだ人には唐戯曲は支離滅裂だろう。ただ人間の精神世界は唐戯曲に近い。その濃厚な精神世界の一部が現実世界となって表出していると言えるほどだ。
しかし可変的な分子構造のようなアングラ演劇は一九九〇年代くらいで終わってしまった。唐的演劇は演劇技法の一つとなったが誰もその世界生成の仕組みそのものを受け継げなかった。暗黒舞踏はもっと悲惨で土方の死後あっという間に霧散してしまった。徒手空拳で未踏の表現領域を追い求める前衛は遅くとも一九九〇年代で完全に終わったと言っていい。現代詩の終焉も一九九〇年代でピタリと時期を同じくしている。
「消しゴム式」(「消しゴム畑」)のような小説(舞台)だけでなく様々な試みをなさっているが、岡田さんのチェルフィッチュは基本的に前衛だ。なぜ今の時代に前衛であり続けられるのか、正直に言えば不可解だ。しかし目の離せない貴重な試みだと思う。
土方は「肉体は経験を越えない」と言って動かなくなった。ヨーゼフ・ボイスの初期のアクションと同様に、動けば未知ではなく既知になってしまうから棒のように突っ立ったままになった。しかし最晩年の「東北歌舞伎」は歌舞伎という名がついていたが、能に近い極めて様式的な舞踏だった。前衛舞踏も前衛演劇も、どん詰まりにまで達すれば動けなくなるか様式化するか二つに一つの選択肢しかないだろう。では「消しゴム式」系のチェルフィッチュの前衛はどこに行くのか。興味がある。
大篠夏彦
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