新たに「短歌研究」さんの時評を始めます。版元は変わりましたが短歌研究は昭和七年(一九三二年)創刊の歌誌で二十九年(五四年)創刊の角川短歌よりも歴史ある雑誌です。たくさんの歌誌の中でも短歌研究と角川短歌さんが双璧だと言っていいでしょうね。エンタメと初心者啓蒙色の強い角川短歌よりもその誌名通り短歌〝研究〟にウエイトを置いた雑誌です。
今号では討議「「前衛」とわれら「21世紀歌人」」がとても面白くてスリリングでした。参加者は坂井修一(昭和三十三年[一九五八年]生まれ)斉藤斎藤(昭和四十七年[七二年])石川美南(昭和五十五年[八〇年])寺井龍哉(平成四年[九二年])さんです。前衛短歌の時代をある程度肉体感覚で知っているのは坂井さんだけですが十歳ほどの違いで各年代の歌人を集めた討議です。討議のタイトルは「「前衛」とわれら「21世紀歌人」」ですが内容はほぼ令和二年(二〇二〇年)にお亡くなりになった岡井隆さんの歌業に絞られています。
角川短歌でも岡井さんの追悼として同様の討議が掲載されました。三枝昴之(昭和十九年[一九四四年]生まれ)永田和宏(昭和二十二年[四七年])小池光(昭和二十二年[四七年])大辻隆弘(昭和三十五年[六〇年])さんが参加者でお三人までが前衛短歌の同伴者でした。この討議では前期岡井を評価して後期岡井は文学的意義が薄いといった論調が主流でした。しかし短歌研究の討議はちょっと違いましたね。後期岡井隆を高く評価する歌人がいらっしゃいました。
その是非は別として多様な議論が為されるのはいいことです。どの文芸誌でも追悼になると美辞麗句が並ぶのが常ですが歌壇は違う。かなりの業績を残した歌人の追悼特集であっても歯に衣着せぬ論調になっています。こういった自由な風土があるのは歌壇だけでしょうね。
寺井 (前略)一番は、大前提として、社会全体、世代の全体で同じような感覚を共有しているということが、当時の人はすごく強い感じがします。もちろん相互の見解はいろいろ対立するのですが、当時書かれたものを読んで、論争が一応は成立しているということを、不思議だと思うし、今の我々とは違うなと思う。今の我々は、論争にあまりならないんです。お互いの違いは違いとして、それはそれですね、というところで、お互い踏み込まない感じがあるように思います。
討議「「前衛」とわれら「21世紀歌人」」
寺井龍哉さんの冒頭の発言に岡井さん評価が割れてゆく理由がはっきり示されているでしょうね。戦後という時代が終わったというより精神的戦後が完全に霧散したと言っていい現代にわたしたちは生きています。今後も加速度的に進んでゆく高度情報化社会ということもあって大文字の社会問題を立てにくい。もちろん政治にせよコロナにせよ社会問題は次々に浮上してきます。しかし一人の意見(思想)はあっという間に相対化されてしまう。共通の精神基盤としてのパラダイムがあるようでないわけです。
じゃあこのままでいいのかと言えばいいような気もするしダメなような気もするというのが――茫漠としていますが――ほとんどの人の感覚的回答だと思います。ただ戦後精神を確定した狂信的皇国主義から悲惨な太平洋戦争とその後の民主主義といった天変地異(に近い社会変動)は起こりそうにない。つまり人々を精神的に繋ぐパラダイムは今後も存在しないかもしれない。必然的に〈私〉のあり方が変わらざるを得ない時代になっています。
石川 (前略)ただ、岡井さんは「私」という強いカードをずっと握りしめて、それを持っているからこそいろいろ作風も変えていったし、いろんな試行もできたんですけれど、自分も含め、現代の歌人たちを見回したとき、岡井さんほど強い「私」への信頼と矜持みないなものは引き継げていないように感じるんです。岡井さんのテクニックだけが残って、手前にいるはずの強い作家性や強い「私」みたいなものは、良くも悪くも薄れてきている。岡井さんが亡くなったときに私が感じた不安は、常に作家として何をするかを考え続けていた人がいなくなってしまった心細さだったのかなと思っています。
同
前衛短歌を含むある時代特有の文学潮流が時代精神と言語表現の密接な結びつきから生まれたのは言うまでもありません。短歌に限らない戦後文学の一つの特徴(パラダイム)は〝飢餓〟です。俗な言い方をすれば〝(精神的にも肉体的にも)腹が減った〟ということ。だから高度に抽象的な精神から俗なエロスまで作品で表現することができた。その〝飢え〟をある時期に肉体的思想として感受した作家は岡井さんに限らず最後まで「私」の輪郭を失わずにいられる可能性があります。しかし現代ではそれはもはやない。霧散しました。にも関わらず頼れるのは「私」しかないかもしれない。
少し年長の坂井修一さんだけは「私」の興味の赴くままに短歌や自由詩や評論を書いた後期岡井隆に否定的ですが「そういう岡井さんの私的な文脈は、あるところからこの世界では全く無意味になったのではないかという気がするんです」と発言しておられます。坂井さんの発言も正しいと思います。岡井さんの戦後文学的な私への信頼に裏付けられた私性の作品や評論が現代的文脈の「私」の表現に寄与するとは思えないところがある。時代の変化と同期して「私」の質は変わらなければならない。
斉藤 (前略)あと、前衛短歌の前衛っぽくない継承としては、冒頭でも話しましたが、もう一つの現実を書くことかなと。(中略)(佐藤)佐太郎の写生は、一回性の現象だけでなく、現象の背後にある世界の法則をも写しているようなところがあるし、葛原(妙子)も幻というより、この世にあり得たもう一つの現実を、そしてこの現実とあの現実をつなぐ世界の摂理を写しているようなところがあって、佐太郎―葛原というラインが、平出奔さんの「Victim」(「短歌研究」九月号)など、さいきんの若手にみられる「可能世界の転写」につながってゆくのかもしれません。
同
斉藤さんのおっしゃる「可能世界の転写」が今後の文学の一つの焦点になってゆく可能性は十分にあります。これは原則的な大潮流のお話ですが作家の無垢なオリジナリティなどもはやない時代にわたしたちは生きています。オリジナリティは必ず何かの粉本に基づいていることがすぐにわかってしまう時代です。つまりわたしたちの表現は一種の引用の織物ということになります。
この創作=引用の織物を紡ぐ作家の私は戦後的な強烈な個性を持った私ではあり得ません。希薄な輪郭の私です。にも関わらず私は表現から絶対に排除できません。輪郭以上に私の存在格を薄め消滅させることができないのはもちろんそれを強めてゆくことは現代では表現の幅を狭めることになってしまいます。
この新しい〈私〉の表現をどのように確立してゆくのかがしばらくは現代文学のアポリアになるでしょうね。私は希薄化しますが消し去れないわけですから私は私以上のなんらかの公(パブリック)に抜け出さなければならない。この点では文学は以前と全く変わっていません。つまり「可能世界の転写」の表現が一つの優れた方法であってもそれが私に終始する限り表現としては弱い。穂村弘さんの短歌が大きな支持を集めている理由もそんなところにあるのかもしれません。彼の短歌には誰もが存在内に抱いているアルケーの風景があります。
死の自由われにもありて翳のごと初夏の町ゆく犬殺し
盬水に沈める苺、平和語るときたれの目も異邦人めき
城のごときものそそりたつ靑年の内部、怒れる眼より覗けば
タワー・クレーンより赤き煤ふりしきる明日は齒の神經抜かれむ
不思議なる平和がつづきゐて空に肌すり合す白き氣球ら
晩夏 脱出するあてはたと莫しプールにはぎつしり人ら詰まりて
剥製の鷲の内部にきりもなく綿塡めてその暗がり充たす
早春の蠟色の獨活 なきがらのうつくしき死の一つの凍死
塚本邦雄「日本砂漠」より
今号には昭和三十一年(一九五六年)十一月に岐阜市で発行された短歌同人誌「假説」第八号に掲載された塚本邦雄さんの連作短歌「日本砂漠」が掲載されています。改作されて歌集に収録された歌もありますが未発表短歌を含みます。お馴染みといえばお馴染みの塚本節です。
ただ前衛短歌の双璧と謳われましたがやはり岡井短歌より塚本短歌の方が文学として長生きするのではないかと思います。理由の一つは彼の短歌が人間の想像界に根ざしているから。人間能力の可能性は今後どんどん狭められてゆくでしょうが想像界は最後の砦として残ると思います。また塚本短歌は意外なほど視覚的です。多くの短歌で風景が〝見える〟。
短歌に限らず二十一世紀文学では「私」が大きなアポリアになると思いますが私が極私に閉じれば閉じるほど表現は曖昧になり意味不明になってゆく傾向があります。当然ですね。極私は基本的に私にしか関係のない事柄を歌うわけですから。しかしそれはアポリアからの逃避になる可能性が高い。
私の希薄化は複雑な表現ではなく単純な表現を必要としているところがあります。そうでなければ私から公ー私へと抜けられない。塚本短歌は意味複雑と言えば複雑なのですがその思想と表現の結びつきが鮮烈な風景として表れるという特徴も持っています。複雑な読みはできますがイメージも意味も一義的には単純であることが多い。つまり曖昧な韜晦を嫌って断定した。勇気ある作家でした。
高嶋秋穂
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