安井浩司「俳句と書」展のスタッフとして店番をする最大の楽しみは、名前は知っているがまだお会いしたことのない多くの俳人の方々に出会うことである。もちろん現代俳句を読み始めて20年くらい経つわけだから、活躍する俳人諸氏のお名前は数多く存じ上げているつもりだ。が、そうした方々との交流はおろか顔を合わせたこともほとんどない。だからこうして俳人の方々と出会えるのは、俳句作品を読むのに匹敵するくらいエキサイティングなことなのだ。
ギャラリーはビルの地下1階にあるが、歩道に面した入口の突き当たりにあるエレベーターで降りられるようになっている。開展して小一時間が経過した頃だった。エレベーターが到着した気配に入口の方を振り返ると、自動ドアのガラスを透かしてダークスーツにネクタイを締めたひとりの紳士が立っているのに気付いた。ゆっくりとスライドドアが開いて現れたその紳士は、清潔そうに切り揃えられた白い口髭を蓄えて、穏やかな表情を浮かべていた。
初日のこの日は、安井浩司氏に縁のある方々を御招きするオープニングレセプションを準備していたので、前もってどなたがいらっしゃるかおおよその見当はつけていたが、何しろ初対面の方ばかりなので、ギャラリーに入っていらっしゃっても御名前が分かるまではどう話しかけたらいいのかわからない。ところがなぜか、今しもお見えになられた紳士に限っては、御顔を拝見しただけでどなたであるか予感した。「元俳句評論同人の高橋龍さんかもしれない」と。隣で出迎えた安井氏のお弟子さんである豊口陽子さんが、「高橋龍さんですよ」と教えてくれた。予感は正解だった。
高橋氏とはここ十年近く年賀状のやり取りをさせていただいている。きっかけは私が所属する同人誌を高橋氏に献呈したことだ。同人誌で私は、俳句評論時代の高橋氏の盟友だった故大岡頌司の多行形式俳句を取り上げたことがあった。当時も今も大岡頌司を論じた文章は決して多いとはいえず、高橋氏が総合誌『俳句空間』に掲載した大岡頌司論がその当時はほとんど唯一といってもいいもので、私が大岡論を書くに当たって大いに参考にした記憶がある。そうした文章のみを通じて積み重なっていった高橋氏のイメージが、今回はじめて御本人にお目にかかった際の予感につながったようだ。
高橋氏は、展示された軸を一本一本吟味するかのようにゆっくり御覧になられた。片手にはステッキを握っていらっしゃったが、姿勢の良いしっかりとした足取りでギャラリーのなかをお歩きになられた。ひととおり御覧になった後で椅子を勧めると、傍にいらっしゃった俳人の酒巻英一郎さんを交えての思い出話に花が咲いた。酒巻さんは大岡頌司唯一のお弟子さんだったので、話題は俳句評論へと自然に移っていったのだった。なかでも俳句評論に入るきっかけになったエピソードはおもしろく、主宰であった高柳重信を取り巻く当時の若い俳人達の様子が、時代の空気と共に蘇ってくるかのように感じられた。高橋氏はこう語った。
私が俳句評論に入ったのは安井さんよりずっと後だった。当時の若手俳人のなかでは加藤郁乎がリーダー格で、その名は俳壇内に知れ渡っていたんだけど、ひょんなことから俳句友達が渡りをつけてきて、あるとき郁乎さんを訪ねることになった。こっちはふたり揃って駆け出しの身だったから緊張して出かけたわけなんだけど、郁乎さんに勧められて恐る恐る家に上がると、なんとそこに高柳重信が坐っていた。いきなり二人の大人物と対面して驚いたのなんの。二人とどんな話をしたかよく憶えてないけど、4人揃ったんでマージャンをやりながら酒を飲んだりして、結局その日は郁乎さん宅に泊まっちゃったんだな。そして翌朝起きてみたら俳句評論に入ることになってたってわけだ。どうも最初から高柳さんの策略だったと思うよ。
俳句評論に入るとすぐに高橋氏は、重信から俳句評論本誌の編集にも携るよう誘われたという。「当時の編集にいたのは大岡さんやら、折笠美秋やら寺田澄史やら強面ばかりだったから大変だったよ。」と懐かしんでお笑いになる。「そのころお出しになられた高橋さんの第一句集『草上船和賛』は、函が付いているのがオリジナルなんですか」と尋ねたところ、「あれは大岡さんの端渓社が開業して4冊目の句集だったんだけど、最初は函無しで出したんだよ。後から函だけ造ってもらったんだ。」とお答えになられた。
あぢさゐを地獄の花とおもひけり
『草上船和賛』(1974年)から一句引いた。この頃の高橋氏は擬古典調の文体による格調高い俳句をお書きになっていらっしゃったが、掲出した一句は自らの思考の断片を切り出して俳句形式に放り込んだような、ぶっきらぼうながら豪胆なダイナミズムに満ちており、地獄という俳句にあるまじき言葉が、「あぢさゐ」という古典調の表記と取り合わせの妙を成している。最近は「面(めん)」という同人誌を発刊されるなど、旺盛な創作を続けていらっしゃる御様子。その近作から2句引用する。
生前と死後一対に重信忌 『龍年纂』(2009)所収
わが家の二階に上る冬の旅 『異論』(2010)所収
師であった重信の影響力の大きさを、生きている間だけではなく死んだ後もなお続いているとして、改めて死者に対するリスペクトを捧げた前句。また、安井氏の代表句である「旅人よみえたる二階の灰かぐら」に、諧謔でもって応えるかのような後句。どちらも俳句の基本に立ち返り、師や友人に対する敬意と挨拶を表現した句である。
オープニングレセプションに向かうため席をお立ちになられた高橋氏は、「来年は大岡頌司没後十年だね。安井さんの次は大岡さんということで、何をやるか今から考えておいた方がいいんじゃないですか」と、酒巻さんと私を振り返ると次なる新たな宿題をお出しになられた。そして、「困ったらいつでも相談にのるよ」と、私たちを励ますように微笑んでギャラリーを後にされるのだった。
田沼泰彦
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