石原燃さんは一九七二年生まれで演劇ユニット「燈座」を主宰しておられる。お母様は小説家の津島佑子さんなので太宰治の孫ということになる。石原はペンネームで祖母の旧姓なのだという。七光りたくなかったという意思表示だろう。ただ情報化社会でサラブレッドあることを隠し通せるわけもない。
「赤い砂を蹴る」は石原さんの処女小説で芥川賞候補になった。誰もが気になるだろうことをストレートに言ってしまうと、そりゃ貴種なんだもの、優遇されるのは当たり前だ。僕だってもし芥川賞の選考に関わっていて石原さんが津島佑子の娘で太宰治の孫だという情報を得たら、作品次第だねーと言いながら、どうかいい作品でありますようにと心から願うだろう。元から話題性を持っている。作家もメディアも活用しない手はない。
ただ一昔前とインターネット情報化社会になった現代では文学を巡る状況がぜんぜん違う。昔は芥川賞作家は茫漠とした特権的純文学作家だった。しかし今は受賞後もだいたいわかってしまう。文学以外のエンタメがもの凄く増え質が上がっている時代に、芥川賞受賞作が多少売れてもその後が保証されるわけではまったくない。むしろ純文学に凝り固まるとその後が苦しくなる。そりゃ他人様から自分の仕事を評価され賞までいただいたら、にこやかに「ありがとうございます大変な名誉です」と言うのが大人の礼儀である。ただ現代では一方で「どうすっかなー、どうやったら生き延びられっかなー」と考えなければ先はない。
これも有り体に言うと、小説掲載ページが少ない文學界の、しかも巻頭に新人作家のデビュー作が掲載されるのは大変な優遇である。しかし石原さんはすでに演劇界で実績を残しておられる。魅力的なバックボーンもお持ちだ。またスタートラインは他の作家たちより少し前にせり出しているが作品次第なのも確か。「赤い砂を蹴る」は及第点以上の出来である。あとは飛び道具をどう使うのか、あるいは使わないのか、もし使ったとすればその先どうするのかだと思う。
ブラジルに行きたいと言っていたのは、私ではなく母だった。
芽衣子さんと友だちだったのも、母の方だ。
二十年前、夜中に酔っ払って、コンクリートの床のアトリエで転び、骨折した母の手伝いをしてくれる人として、友人に紹介されたのが芽衣子さんだった。はじめは骨折が治るまでという話だったのだが、なんだかんだとそれ以降も週に一度は母の家に来て、食事をつくってくれたり、庭の草むしりを手伝ってくれたり、デッサンのモデルになってくれたりしているのだと、母から聞いていた。母が芽衣子さんのしっかりした骨格をクロッキー帳に描き写している間、芽衣子さんはよくブラジルにいた頃の話を聞かせてくれたらしい。
石原燃「赤い砂を蹴る」
「赤い砂を蹴る」の主人公は私(千夏)で私の見聞と感情を書き綴る私小説である。母親の恭子は画家で、高齢になり転倒して骨折した際に日系ブラジル人の芽衣子をヘルパーに雇った。ただ気が合ったのだろう、怪我が完治しても母と芽衣子との交流は続いた。母ほど密ではないが私とも知り合いだった。
芽衣子は二十歳の時に雅尚と結婚して四十年も日本に住んでいるが、日本国籍を持っていない。日本に帰化するための書類を揃えるためにブラジルに帰省することにしたのだが、いっしょにブラジルに行かないかと私を誘ったのだった。母はもう亡くなっているが生前ブラジルに行って絵を描きたいと言っていた。私は画家ではないが、母が見たいと言っていたブラジルに行くことにした。
「赤い砂を蹴る」のように長い小説の場合、そして私を主人公にした私小説の場合、内容がまったくのフィクションだとは考えにくい。芽衣子のモデルは実在するのだろうし、私は実際にブラジルに行ったのではないかと思われる(もし完全なフィクションだとすれば、それはそれで凄いことである)。母親を小説家ではなく画家に設定するのも石原さんのように著名人を母親に持つ作家にはよくあることだ。ただこの小説の場合、それ以上の意義があるだろう。「赤い砂を蹴る」の焦点は実母だとは言えない。
「夜遅くなって、家に向かう坂道を登ってると思いだすの。帰りが遅くなるといつも怒られてたこと。今日はなんて言い訳するか、もう考えなくてもいいんだなって、ほっとするけど、寂しいのよ」
芽衣子さんはそういうと黙り込んだ。
東横線の駅から、芽衣子さんの家に向かう緩い坂道を思い浮かべる。
はじめて東京に来たとき、白い空に、枯れ木のような木々が寒々しくて、すき間なく並ぶ小さな家々を息苦しく感じたと言っていた。
ああ、そうか。母はこうやって、芽衣子さんの目で世界を見ていたのかもしれないな、と思う。そうして見ると、自分のよく知る世界が形を変えたり、知らないと思っていた世界が同じ形に見えたりする。
「あのさ、前に、雅尚さんが亡くなったあと、夜、家にいるのが嫌で、ひとりで電車に乗って、終点まで行って帰ってきたって言ってたじゃない?」(中略)
「言ったけど、なに?」
「前に聞いたときは、淋しいと思ったけど、いま思うと、あれ、正しいなと思って。(後略)」
同
「赤い砂を蹴る」は私を含む女たちを描く小説である。芽衣子はバックパッカーの雅尚と結婚して日本に来たのだが、晩年の雅尚はアル中で要介護状態になり、その上芽衣子に暴力を振るった。夫を憎むこともできたわけだが、日本に身寄りのない日系ブラジル人で優しい性格だったことあり、芽衣子は夫の理不尽に耐えて世話をした。ただその分、芽衣子は荒れることになった雅尚の精神を深く理解もしていた。
雅尚はそれなりに裕福な家の子でボンボンだった。父親は会社を経営していたが雅尚が子供の頃に亡くなってしまった。母親は会社役員になって働き、女手一つで雅尚と姉を育てた。それが重荷となった。芽衣子は私に雅尚は、「お義母さんを喜ばせることも、逃げることもできなくなって、お酒に逃げて、身体壊して、私に怒鳴ることしかできなくなった」と言う。その関係は微妙に私と母に重なる。
芽衣子に誘われてブラジルに行った以上、私の主な話し相手は芽衣子である。小説のかなりの部分も芽衣子の回想(を聞いた私の記述)になっている。そこに微妙に私と母の関係が重なってくる。
母の腕をつかんで、黒い水晶体をのぞきこんだ。
「まだ描きたいものがあるんでしょう。ブラジル行くって言ってたんでしょう。」
かすかに、母が笑った気がした。
扉が開いて、さっきの看護師が医者を連れて戻ってきた。(中略)
「なんとかならないですか。痰取ったら良くなりませんか?」
――――もういいよ、千夏。もういい。(中略)
芽衣子さんは口元に手を当て、大きな目に涙をためている。
――――ごめんね、理想を信じすぎて。
「私は。」
母の白い耳に口元を近づけて、大きな声でゆっくりと話しかけた。
「私はかわいそうな子じゃないよ。」
黒い水晶体が盛り上がって、透明の水が流れ落ちた。母の身体の白さが増していく。
「お母さん、聞こえる? 私はかわいそうじゃない。嫌だったことは忘れない。でも生きていくよ。」
母の身体から最後の力が抜けた。もう言葉は続けられなかった。
芽衣子さんが声をあげて泣いていた。
同
芽衣子と雅尚の生活、そして彼女が雅尚を見送った話を聞いているうちに私は母の臨終の様子を思い出す。この箇所に「赤い砂を蹴る」という小説の主題がこめられているのは言うまでもない。ただ主題のウエイトは私に苦しみと混乱をもたらした母そのものを描くことにはない。「私はかわいそうな子じゃない」「嫌だったことは忘れない。でも生きていくよ」にある。この、恐らく実際とは異なるだろう母の臨終の小説的〝再構成〟によって、私は母を相対化しているのだろう。
いつか聞いた芽衣子さんの声だけが頭の奥で響く。
「私は後悔してるわけじゃない。(中略)
あの人と結婚して、日本に来た。その選択を私は肯定したい。
ただね、思いだしてもらいたかった、私がどんな場所で生まれて、どういう風に育ったのか。世界はひとつじゃないってことを。あの人が入院して、新薬で歩けなくなっちゃったとき、思ったのよね。ああ、これでブラジルには連れて行けなくなっちゃったなって。いまわかった、私、あの人をもう一度ブラジルに連れて行きたかったのね。」
明るく、乾いた声だった。どこか遠くから聞こえてくる声のようでもあり、私の内側から聞こえてくる声のようでもある。
同
小説の最後を締めくくるのは芽衣子の回想であり、それを巡る私と芽衣子の対話である。芽衣子は夫の雅尚に苦しめられ、雅尚の姉、つまり芽衣子の義姉は母に苦しめられたと泣いた。私は母との一筋縄ではいかない思い出を抱えている。しかし私と芽衣子は、女たちは先に進む。「世界はひとつじゃない」からである。そのために日本から遠く離れたアルケーのようなブラジルの農園に私は行く必要があったのだろう。
「赤い砂を蹴る」の内容は盛りだくさんである。芽衣子の故郷のブラジルの農園は、ブラジルのような広大な国では珍しくないのだろうが特殊な環境だ。農園の人たちはもう移民三世、四世になるのに普段から日本語を話し、芽衣子はブラジルの公用語のポルトガル語は下手なのだと言う。閉じて孤立した日本である。そういった特殊さに惹きつけられて石原さんはそこを小説の舞台にしたのだろう。
ただ内容が盛りだくさんである分、「赤い砂を蹴る」の主題がやや拡散している印象は否めない。魅力的な孤立集落のブラジルの日系人村は、母や女たちの主題とは別に様々な形で展開できる。また私の心性はいわば母そのものへの興味と母の死去後に別れており、それを同時に表現するのは難しい。
しかし小説は、いったん書き出してしまうと作家が抱えている主題をすべてを書き尽くせと促して止まない表現である。石原さんのように強い主題を持っている作家はなおそうだろう。口火を切ってしまったのだから、さらに魅力的な小説を期待できるように思う。
大篠夏彦
■ 石原燃さんの本 ■
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