俳句界の大勢はなべてコトナシである。もちろん個々の俳人は様々に工夫を凝らして作品を書いている。しかし大局的に見れば、風景の内面化という操作を通して平板になりがちな写生表現にアクセントを付けていることが多い。東日本大震災の時と同様にコロナを句題にした作品も増えているが、俳句でコロナ禍の生活苦を謡うのは難しい。超俗的な視点で一気にコロナ禍を相対化したいところだが、複雑な現代社会でそんな表現を簡単に得られるわけもない。「○○すべき」「いや○○すべき」と情報は嫌になるほど溢れかえっている。それを天から俯瞰して相対化できるような賢人はいない。
俳句界は凪いだ海のようだが、兄弟姉妹の短歌界は揺れに揺れている。口語短歌からニューウエーブへの流れはもはや後戻りすることはない。歌人は――特に若い内は――口語短歌を詠む作家が大半を占めるようになるだろう。年齢を重ねるにつれてじょじょに古典短歌に回帰してゆくはずだが、口語短歌の影響は短歌に間違いなく新たな表現地平を加える。活気ある若手の口語短歌から、新たな短歌的現代性を表現する作品が出てくる可能性もある。
自由詩の世界が現代詩の消滅によって青息吐息になっているのは言うまでもない。ただどん底になれば必ず反転の狼煙を上げる作家が出るのが文学の世界の常である。今の自由詩はまだ底値になっておらず、どん底への転落まっしぐらということころか。
小説界も揺れている。芥川賞や直木賞という小説文壇で最も有名な賞を受賞しても、かつてのように作家たちは無邪気に喜ばなくなった。宝くじに当たったような幸運と困難が舞い込んだくらいの対応だ。それもそのはずで、年に二回、最大四人に与えられる新人賞である。俳壇歌壇自由詩壇のことを考えればわかるように、そんな簡単に優秀な作家が現れるはずもない。受賞しても十年、二十年後の活躍が保証されはしないのだ。またどんどん本の売れ行きが落ちている時代に、現実社会風俗と密接に結びついた作品を書く小説家が呑気でいられるはずもない。変化はじょじょに起こるだろうが、今まで通りには行かないというコンセンサスはすでに成立している。
俳句は間違いなくお遊び文芸の側面を持っているので、これからもなべて無事で変化なしという姿勢はあってもいい。ただ俳句は文学でもある。そっちの生命線も失うわけにはいかない。誰かがその、俳壇ではもしかすると損な役回りを担わなければならない。
しかし俳句以外のジャンルの混迷を見ればわかるように、現代に即した新たな、だが古典的でもあるような俳句文学の模索はなかなか難しい。俳句ほど基盤のしっかりした文学はないのだ。こういう時はまず、俳句文学の原理に遡って考えるのが遠回りのようで近道だろう。
栗山理一は『俳諧史』で「俳諧」の語は中国より渡来したもので、「俳、戯也」「諧、和也」とする『説文』や『爾雅』などの中国古辞書の解が原義となると指摘している。俳諧連歌は室町末期から興隆し「俳」自体もしだいに変質深化、止揚されて芭蕉の俳諧理念として結晶していったのである。
平安末の歌人藤原清輔の『奥義抄』では俳諧の内容が大きく四つに分けられている。これも栗山理一の『俳諧史』に導かれて紹介する。第一に「談笑・和解」、第二に「利口・風刺」、第三に「狂」、第四に「即興性」を加えることが、できるとしている。山本健吉の「挨拶と滑稽」論で俳句の核をなす三本柱としてあげられていたのも挨拶・滑稽・即興であり、談笑の場としての座も俳句の特質としてあげられている。
高野ムツオ「「俳」を巡って」
明治維新まで日本文化は中国文化の圧倒的影響下にあったわけだから、俳諧の基本定義は中国古典にまで遡れるはずである。高野ムツオさんは栗山理一さんの『俳諧史』を援用して、俳諧は『説文』『爾雅』の「俳、戯也」「諧、和也」から、平安時代の藤原清輔『奥義抄』の「談笑・和解」「利口・風刺」「狂」「即興性」へと四つに分化・展開していったと論じておられる。
もちろん俳句の絶対的始祖である芭蕉から多くの人が想起するのは「雅」である。しかしこれは芭蕉が独自に付加した要素である。芭蕉文学の基本が門弟や友人知人らとの座の場にあり、即詠が基本だったのは言うまでもない。また雅な芭蕉俳句は徹底した俗に立脚している。観念的な美や倫理を詠むことはないのだ。なんの変哲もない身辺の俗事を雅な表現にまで高めている。
単純化して言えば「戯」と「和」から始まった俳諧が、俗な座と切り離せないのは半ば必然である。始めから俗世の遊びの要素があるわけで、しかつめらしい真面目さが優れた俳句を生むとは限らない。ただ遊びは時として意外な方向に人間精神を導く。気楽な仲間内の遊びの中に真剣勝負が入り交じるのが座というものだ。新たな表現、新たな世界認識が生まれたりする。またそれが俳句独自の特性である。
高野さんは「「俳」を巡って」を三橋敏雄の講演から始めている。ある講演で三橋は「俳句は読んで字のごとく人非人のやること」だと言ったのだという。冗談めかした言葉ではあるが、これもまた正しい俳句理解である。俳句は「私はこう思う」「こう考える」の自我意識表現と徹底して相性が悪い。それは短歌の独断場だ。俳句はむしろ、人ではないような超俗的な高みから俗世を相対化したがる表現である。ただ人間は俗世と無縁に生きてゆくことはできない。だから「狂」が必要になる。
『奥義抄』の俳諧の滑稽で述べられていた特性の一つ「狂」について触れてみたい。また『字統』に拠る。「狂」とは神威によって「匡救しがたいもの、その霊力の誤って作用するものを」称するとある。『説文』には「噛み癖のある猛犬」を指すともある。つまり、神や王という権威に従うことなく、むやみやたらに反抗し害を与えるものが「狂」ということになる。栗山理一は『俳諧史』で、「正統よりは反正統、非理の理を選ぶ破格の精神」が「狂」とされていると説く。「風狂」という語もここから生まれた。寒山拾得もまた「風狂夫」「風狂子」と呼ばれた。一休宗純も常軌を逸した行動でありながらも悟りへ至る境地を風狂と称した。物質的かつ世俗的価値に反目し、自らが価値と信ずる精神世界を命を懸けて求める、それが「狂」なのである。俳諧、そして俳句もまたそのつつましい実践の一つなのではなかろうか。
(同)
俳句の原則的理論としては必要十分だろう。高野さんの「狂」の説明によって、俳句がなぜ極端な禅の修行者の言動と相性がいいのかわかるはずである。彼らは世俗の汚濁にどっぷりつかりながら狂によってそれを超脱しようとした。それが俳句の「人非」という定義につながってくる。
ただもちろんエセ寒山拾得、エセ一休はいつの世にも満ちている。座に遊び即興で自在に俳句を詠み、俗世で暮らしながらそれを超えるような狂を求めるのは簡単ではない。しかし原理を言えば、そこに俳句の革新、あるいは現代的更新の可能性がある。現代を俳句に当てはめるのではなく、俳句の核を捉えて現代を表現するわけである。
岡野隆
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