恩田侑布子さんの連載「偏愛俳人館」第8回は橋閒石。正直「閒石ぃ?」と思ってしまった。今に続いている主宰句誌があるわけでなく、これといった弟子もいない(と思う)ので、現在ではあまり読まれることのない俳人である。『橋閒石全句集』は持っているが、途中で読むのをやめてしまった。言い訳になるが頭から読んでいったせいかもしれない。
恩田さんは「(閒石の)文運の栄誉は最晩年に集中しました。傘寿を自祝した第七句集『和栲』で第十八回蛇笏賞を受賞します。このとき、選考委員の誰も橋閒石と面識がないことが話題になりました。このエピソードには二つの意味があります。一つは、このときの蛇笏賞が政治的配慮とは無縁の作品本位の選考であったこと。いま一つは、閒石が初老期までは平凡な俳人に過ぎなかったことです」と書いておられる。恩田さんは閒石が閒石となるのは第十句集『微光』以降だと書いておられる。全集は後半から読むべきだったのですね。
このたび『橋閒石全句集』を第一句集『雪』から『朱明』『無刻』『風景』第五句集『荒栲』まで精読して暗澹としました。平凡、たるみ、頭脳操作の句のオンパレード。五十代の『無刻』でも〈生殖の女拾へる海盤車乾き〉〈股ずれの起ち居裏手に芹を伸ばし〉のようにメタファーの自壊とイメージの雑駁さが目立つ句ばかりなのです。ようやく一千六百七十三句のことばの死体実験場のなかから次の一句に出会うことができました。抽象化に初めて成功し、閒石が真の橋閒石を探りあてた句です。
棺出るとき風景に橋かかる 54~60歳『風景』
(恩田侑布子 連載 偏愛俳人館 第8回 橋閒石「終焉のむつの花」)
現代まで続く有季定型写生の俳句の基本に慣れた俳人には、「棺出るとき」の句が「抽象化に初めて成功」した句だとはにわかに納得できないだろう。「生殖の女拾へる海盤車乾き」と同様のわけのわからない句に思えるのではないかと思う。それは当然のことであり、恩田さんの探求する俳句が有季定型写生を少しだけ逸脱した独自のだからだと言ってもいいかと思う。恩田さんは実に微妙なところを衝いておられるわけだ。
俳句は閒石にとって、子規の求める近代文学とは別の精神風土に立脚するものでした。子規の写生は印象鮮明を求める散文にこそふさわしく、短詩の俳句にはあてはまらない。俳句のいのちは象徴だといいます。その醇乎とした象徴主義は『和栲』に確立されます。
階段が無くて海鼠の日暮れかな 75~80歳『和栲』
空蟬のからくれないに砕けたり
お浄土がそこにあかさたなすび咲く
(恩田侑布子 連載 偏愛俳人館 第8回 橋閒石「終焉のむつの花」)
閒石は独立した俳句、つまり発句を確立し、その基盤として写生を最重要とした子規を厳しく批判した。芭蕉を俳句の祖と考えたのは子規と同じだが、「蕉風の根底をなしている」のは「連句芸術」だと論じ、「俳句の如き短詩型に於いて、もっぱら写生による印象明瞭を理想とするのは謬りであって、暗示的象徴主義こそすべての詩の本質であり、殊に短い詩に於いてはその生命とも言うべきものです」と言った。
閒石、そしてその思考と俳句を是認する恩田さんの立場には一理ある。大勢として明治維新以降現在に至るまで子規―虚子的な有季定型写生が俳句の王道であることは、それが揺るぎない俳句の基盤であることを示唆している。しかしそこに安住すれば俳句はすぐに堕落する。作家の独自性を伸ばす余地を押し込め、誰が作家でもいいような平凡句の羅列になってしまう。
写生を批判する立場は子規死後からあった。虚子と双璧の碧梧桐は写生派だったが、写生俳句の中に複雑な世相や感情を詰め込もうとした。それは最終的には五七五の自壊と言わざるを得ない句になってしまうわけだが、俳句定型を崩さずにそこに深みをもたらす方法は恐らく象徴しかないだろう。連句というより句と句の間にある飛躍が象徴を生むわけだ。ただそれを俳句のような短い表現で掬い取るのは難しい。
「具象が象徴の力を帯びて幻影となるまでに単純清澄となる」ことを求めたみちのりは終焉の第十句集『微光』でいっそう優艶な達成を見せます。学長職など世俗のほだしを離れ、若さからも自我からも解放され、ほんとうに自由になったのです。ほどけた老年のユーフォニア(多幸感)がここにあります。
ほのぼのと芹つむ火宅こそよけれ 84~89歳『微光』
ラテン語の風格にして夏蜜柑
銀河系のとある酒場のヒヤシンス
(同)
閒石が処女句集を出したのは戦後の昭和二十六年(一九五一年)であり、生前最後の句集『微光』は平成四年(一九九二年)刊である。句集だけ見れば戦後俳人だが、生まれは明治三十六年(一九〇三年)だ。明治の、戦前の精神風土から生まれた俳人だと言っていい。
現代に固執せずに俳句史を大局的に眺めれば、ほとんどの試みは戦前に出尽くしている。極端な試みだったが象徴的句風を確立したのは富澤赤黄男だろう。高柳重信や金子兜太の、前衛俳句と呼ばれるが、作家の強い自我意識を全面的に押し出した俳句の源流は戦前の新興俳句にある。また口語俳句は井泉水や一碧楼らがすでに手をつけている。戦後はそれらの先行する試みを、安定した豊かな社会の中で、一定の限界まで追い求めていった歩みだと言えないことはない。
恩田さんが閒石の象徴主義的な俳句に可能性を見出しているのは、それが必ずしも前衛という、つまりは無理な語法や喩に頼らない俳風だからでもあるだろう。「具象が象徴の力を帯びて幻影となるまでに単純清澄となる」とあるように、閒石の俳句の基本は、写生ではないにせよ「具象」だ。これを大きく逸脱すると、俳句はどこかで俳句の姿を見失ってしまうことになる。
俳句の新しい可能性は実に狭い。過去の俳句史を振り返れば一目瞭然だが、鬼面人を威すような表現は斬新だが、いずれ必ず俳句の歴史から消え去ってしまう。古典的に俳句の原理を抑え、なおかつ斬新な表現はなかなか見つからない。「象徴」はその大きな可能性の一つだろう。
岡野隆
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