この原稿を書いているのは二〇二〇年の十二月二十三日のイブイブなのですがコロナの猛威が治まりません。コロナについてはいろんな人がいろんなことを発言していますが私が一番思うのは人間皆同じということかなぁ。大きな自我意識を抱えてどこかで自分は特別だと思いがちな人間もコロナの前では皆平等と言うとちょいと語弊があるかもしれませんが特別な人間なんていないんだなぁと考えてしまったわけです。
もちろん人間の世界には自ずと優劣がついてまわります。実ビジネスの世界はこれはもう熾烈極まりないですが文学の世界だって例外ではない。「角川短歌」に原稿が載るだけだってそりゃ大変な偉業だよねーと言えないことはないわけです。一生かかっても作品はおろかちょっとしたエッセイだって載せてもらえない歌人はいるわけですから。しかしそれが目的になってしまうと問題です。なんのための表現なのかについて定期的に考えておいた方がいい。
私自身の塚本邦雄初体験といえるものは、国語の教科書で出会った〈ずぶ濡れのラガー奔るを見おろせり未來にむけるものみな奔る〉だ。他に掲載されていた歌はすっかり忘れてしまったのに、何故かこの歌だけは覚えている。それは一読した時に感じた上句の肉体性と、下句に漂うそこはかとない悪意のようなものが、他のものと違っていて、当時の自分にとって気になってならなかったのである。(中略)この歌は『日本霊歌』の「死せるバルバラ」の中の一首で、前後には〈墓地よりもわれより優位にありてなかんづく若者の水彈ける墓石〉〈悲劇の創めなり鐵棒の靑年が黄なる地へ髪すれすれに垂り〉がある。一首単位とは全く違う表情で並んでおり、そこにある目線の鋭さが一首一首を強く印象づける。(中略)
塚本短歌を読み解くというのは自らの短歌観を見つめ直すことにつながる。それは、私性という呪縛に似た柱を超越したところに塚本の短歌があり、ひたすら言葉というものの持つ美や生理を余すところなく差し出されているような感覚があるからだと思う。
鶴田伊津「物語の内側と外側に」
「歌壇時評」で鶴田伊津さんが「物語の内側と外側に」というタイトルで書いておられます。鶴田さんの批評は「短歌はひとを救えるか。答えのない問いを投げかけてみる」で始まります。もちろん明確な答えを期待しての問いかけではありません。
サルトルのテーゼでいっとき盛んに議論がなされましたがリアルなことを言えば芸術では人の腹はいっぱいにならない。ジョン・レノンのイマジンで世界平和は達成できません。しかし「人はパンのみにて生きるにあらずも」また真実でありまして人は相当に追い詰められない限り遊びを見つけます。ギリギリまで追い詰められても笑ったりする。芸術の初源はそんなところにあります。
時間が経てば東日本大震災を経験したことのない人も増えるわけですが大震災は映像メディの発達によって被災地にいなかった人にも大きな衝撃を与えました。直後に文芸誌に盛んに「東日本大震災以降の文学」とか「東日本大震災で文学は変わる」といった特集や評論が掲載されました。しかし今じゃだーれもそんなことを覚えていない。行き詰まった文学の現状を原発アポカリプス幻想に便乗してなんとかしようとしたとしか思えないところがある。
大震災直後にはスポーツ選手や芸能人までしょんぼりしていましたね。「あんな悲惨なことが起こったのにこんな呑気なことしてていいのか」という思いにとらわれたからです。そこから気持ちを立て直して「人間は個々人がやるべきことやれるべきことをやるしかない」という方向に進むわけですがそれは文学も同じでしょうね。
天災の前で文学は無力です。戦争などの大きな社会動乱の前でも少なくともリアルタイムでは無力でしょうね。9.11が典型的ですが普段は世界平和を口にしていても同胞が無残に殺されればまず間違いなく世論は大きく揺らぎます。ダメダメと思っていてももはやどうしようもない方向に進んでゆくことはじゅうぶんあり得る。杓子定規な観念で現実世界は割り切れません。
土岐善麿に「あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ」という歌があります。善麿は反戦でしたが歌の表現は様々なことを考えさせます。当時の徴兵は男だけでしたから女たちが旗を振って若者たちを戦地に送り出しました。古井由吉は戦争開始直後は女たちが東条英機のブロマイドなどを持っていたと書き残しています。それが雲行き怪しくなると女たちは「あんたこの戦争どうなんのよこれからどうすんのよ」と男たちに詰め寄り始める。社会的動物である男たちは即座に変われない。「そんなこと言ったって」と口ごもる。日本社会全体に即せば「あなたは勝つものとおもってゐましたか」という女の言葉はそれほど純ではないかもしれない。しかしここから戦後は始まるわけです。
前置きが長くなりましたが塚本の短歌は平時のものです。彼の短歌には戦時中には表現できなかったあるいは露わにできなかった思想がこめられています。しかしそれが杓子定規な反戦に留まらなかったから塚本は塚本なのです。鶴田さんの「ずぶ濡れのラガー奔るを見おろせり未來にむけるものみな奔る」の下の句に「そこはかとない悪意のようなもの」があるというのは正しい読解でしょうね。未来はそんなにバラ色ではない。
文学は天変地異的な動乱の前に基本的には無力ですがそういった危機的状況になればそれまでしてきたことが試されます。塚本短歌には「ことばを私有せよ」と書いた飯島耕一と同じような戦後文学の強さがあります。それは「私性という呪縛に似た柱を超越」しています。一方で文学はその初発は私性表現でもあるわけです。特に短歌はそうですね。
最後には歌が残ると言いたれどおのれの歌にあらぬさびしさ
わがいだく不安は常に吾のみのものにてあれば世はこともなし
大島史洋『どんぐり』
先輩はありがたきかな、なあヤナギ、咲くとは思はず花は咲くんだ
棺なる母のひたひにひたひ寄せ思ひもかけず泣き崩れたり
柳宣宏『丈六』
言葉のよそ行き感は全くない。日常の中に生まれるさまざまな感情からこぼれ出てしまったような歌の言葉に無理は感じない。(中略)歌になったことで感情が輪郭を持ち、定まったような感がある。日常は何もしなくても過ぎてゆくが、感情は泡沫のように浮かんで消え、そして忘れ去られてしまう。確かにあったのに、その欠片も残らない。しかし、歌になったものは消えない。その時その時の「真実」を湛えてあり続ける。
同
大島史洋さんの歌も柳宣宏さんの歌もある種の絶唱です。それが鶴田さんの言うように「物語」を喚起させるわけですがこれも鶴田さんが書いておられますが物語には「内側」と「外側」がある。小説で言えば「内側」とは私の内面を描く私小説であり「外側」とはプロットのある架空の物語ということになるでしょうか。もちろん両者ともに作家の自我意識(私性)が表現基盤であることに変わりはありません。
内面を描く際はできるだけ作為が見えない方がいい。作為がない独白・告白体の絶唱の方が読者に訴えかけるわけです。石川啄木の短歌などが典型的でしょうね。これに対して外側はより大きな世界に接続しています。内面を探っていたのでは届かない事象や観念も描き出すことができます。内面を大きな社会にまで昇華できる言語表現を得られる可能性があるということです。塚本短歌は典型的に外側に属します。塚本前衛短歌が彼の内面を超えて短歌界全体の共通認識・共通表現のパラダイムになった理由です。
もちろん内側・外側はどちらも文学にとって重要です。しかし一人の作家が自在に内側と外側を行き来するのは難しい。岡井隆さんは前衛短歌以降の激しい時代の変化にさらされたこともあり晩年は外側から内側の表現に傾きました。岡井ファンにとってはそれも素晴らしい歌になるかもしれませんが評価は微妙になるような気がします。これも短歌以外の例で言いますと自由詩の詩人が抒情詩と現代詩を同時に書くのは難しいわけです。
また内側中心であろうと外側中心であろうと作家の表現は社会の大きな変化に直面したときにその強さが試されます。文化が豊かな社会の上澄みであるのは厳然たる事実です。現代人はそれを思いっきり享受しています。しかし変化は必ず起こりそれによって個は激しく動揺します。追い詰められる時を想定して普段から追い詰められて創作を行わなければならないということでしょうね。内側が外側に突き抜け外側が内側に食い込む創作が理想であるわけですから。
高嶋秋穂
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