今号の特集は「「明星」創刊一二〇年」です。言わずと知れた与謝野鉄幹主宰詩誌で与謝野晶子を最大のスターとしましたが石川啄木や北原白秋や吉井勇や木下杢太郎などそうそうたる歌人・詩人を輩出しました。いわゆる明治浪漫主義の牙城です。現代に至るまで日に影に「明星」浪漫主義の系譜は脈々と息づいています。
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな
与謝野晶子
こみ合へる電車の隅にちゞこまるゆふべゆうべの我のいとしさ
いそがしき生活のなかの時折の物思ひをば誰が爲にす
はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢつと手を見る
石川啄木
「明星」が生んだ二大スターの歌です。なんだか現代にも当てはまる男女の特徴が出ていますね。
小原眞紀子さんが『文学とセクシュアリティ―現代に読む『源氏物語』』で書いておられますが社会では男女平等が当然です。ただそれを文学の世界に持ち込む必要はない。ジェンダーとは無縁のところで文学は生み出されます。男女の感情的・思想的差異や対立がなければ文学は成り立ちません。古代『源氏物語』の時代からそうです。
晶子さんは若い頃は極端な言い方をすれば恋愛中毒です。少なくともそう読まれても仕方のない歌を臆面もなく書くことで短歌の世界に新境地を開いた。そしてイケメンを含めてキレイなものが好き。鉄幹さんがイケメンだったかは別として晶子さんの内面に美の規範がありそれが歌に結晶しています。現代女性歌人も同じですね。現代女性歌人も若い頃は必ずと言っていいほど何らかの形で晶子的恋愛や美意識を短歌の大きな武器にしています。
一方の啄木さんは社会の中の存在が歌の前提です。男は社会的動物だということです。文学では社会で成功して富と名声を得たというのでは表現が他者の心に食い込まない。むしろ脱落者である必要があります。俺はダメダメなのよと詠いながらどこか甘美。その抑圧され見捨てられたかのような個の孤独が読者に訴えかけるのです。高位高官の政治家や大企業のリッチな社長さんだろうと啄木的な孤独を味わう瞬間はある。男の子の存在は社会が前提になっているからです。現代男性歌人もこのスキームを思いっきり援用しますね。巨大で手強く無情な社会と戦っての情けなさだから男の子の短歌は魅力がある。
わが好きは妹が丸髷くぢら汁不動の呪文しら梅の花 与謝野鉄幹
強さをウリにすると鉄幹調になります。これはこれで男の子の短歌として魅力があります。まあ現代歌人でこんな傍若無人な歌を詠むのは佐佐木幸綱さんくらいでどちらかと言わなくても社会から疎外されたよるべない孤独の表現が多い。
話がちょっと飛びますが俵万智さんが早稲田大学在学中から幸綱ファンで著書を読み耽ったのは自分にないものを幸綱短歌が持ってたからでしょうね。あまりにかけ離れているから追っかけ的なファンになれる。また師・幸綱さんとはまったく違う俵万智調の確かさも生まれるわけです。
これらは「明星」派の作品面での先見性ですが一方で詩史的な意味でも「明星」は評価されなければなりません。今回の特集では詩史的評価の方にスポットライトが当たっていたように思います。しかしこれがなかなか一筋縄ではいかない。
この頃、根岸短歌会のなかで「明星」の歌を批判するために用いられた批評用語がある。それは「自我」と「我儘」という言葉である。
たとえば、(阪井)久良岐(子規門)の鉄幹宛書簡(「明星」明治33・10)のなかには「兄が威張るならば大にくちあみ自我流筆法で『自我鉄君』に向つて駄評を試みる筈であつた」という言葉がある。同様に(伊藤)左千夫の評論にも「二三の友人は、自我党の我儘者などを、ゆめ相手にするなかれと我輩に忠告せり」(「歌に就きて吾今日の考」「大帝国」明治33・10~11)という言葉もある。根岸短歌会のなかには、「明星」の歌人たちを「自我党」「我儘者」と揶揄する雰囲気があった。その中心が「自我鉄君」鉄幹だったのである。
だが、この「自我」「我儘」という言葉はもともとは鉄幹の言葉だった。鉄幹は「明星」誌上に掲載した「新詩社清規」のなかにこの言葉を使っている。曰く「一、我等は互に自我の詩を発揮せんとす」「一、かゝる我儘者の集りて、我儘を通さんとする結合を新詩社と名づく」。すなわち「自我」「我儘」は「明星」の歌のトレードマークだったのである。左千夫や久良岐はそれを逆手に取って鉄幹らを批判したことになる。
大辻隆弘「わがままな自我への反感」
「明星」創刊は明治三十三年(一九〇〇年)四月ですが御維新と同時に始まった政治・経済・工業・衣食住にまで及ぶ欧米文化・技術の大流入の混乱期を経てようやく地に足がついた新たな日本文学が生まれようとしていた時期でした。手当たり次第に目新しい欧米文化を移入・模倣するだけでなくその先がようやく見え始めた時期と言ってもいいですね。
「明星」の代名詞であるロマン主義は本来的には様々な意味を持ってます。竹久夢二的な星菫派と揶揄されがちですがそれは衰微したロマン主義のことです。本家ドイツのロマン主義の代表作家はゲーテです。『ファウスト』を思い起こせばすぐにわかりますがロマン派は本質的には総合文学を目指していました。『ファウスト』は戯曲であり小説であり詩でもあります。中世と近世のはざまにあってそれまでの知を総合的に捉えようとするのがロマン派の基本姿勢でした。
このロマン派に真っ先に反応したのがドイツ留学を経た森鷗外でした。鷗外は小説家として知られますが晩年に力を入れたのは史伝です。戯曲も短歌も俳句も新体詩も書いています。評論や翻訳も多い。また翻訳で一番労力をかけたのは『ファウスト』です。鷗外の弟の三木竹二は演劇好きで「歌舞伎」などの雑誌を編集し劇評を手がけました。形にはなりませんでしたが初期の鷗外が目指していたのは『ファウスト』的な総合文学だった気配があります。
この総合文学は「明星」にも見られます。「明星」が短歌だけでなく俳句や新体詩(自由詩)の母体になり新美術の紹介誌でもあったのは言うまでもありません。また鉄幹処女出版は『東西南北』です。全方位的に文学の可能性を模索していた。その中心になったのが自我意識文学の積極的受容でした。
ただ自我意識は元々短歌と非常に相性が良かった。『古今』の時代になると短歌は完全にわたしはこう思うこう感じるの自我意識表現文学になります。歌人の歌集は平安の昔から作家の名前が冠せられる家集です。しかし俳句は違います。俳句では作家個々の作品集がやがて一冊の『歳時記』にまとめられます。俳句とは『歳時記』と呼ばれる一冊の書物だと言っていい面があります。短歌では歌人が主体なのに対して俳句では俳句=歳時記が主体であり主人公なのです。
また自我意識表現である短歌は他者への強い興味を生み物語の母体になりました。『源氏物語』を始めとする王朝文学全盛期は和歌全盛期の後に生まれます。もちろん維新以降の自我意識は漱石が生涯戦うことになる残酷なまでの人間の利己主義に集約されるわけですが「明星」派はそこまで自我意識を追い詰めていない。短歌的自我意識の基盤に新たに流入したちょっとだけ我が儘な欧米的自我意識を付加したと言っていいでしょうね。
「明星」の同時代雑誌には鷗外の「しがらみ草紙」や佐佐木信綱「心の花」や子規「ホトトギス」などがありました。ロマン主義への共感もあり鷗外は「明星」に好意的でした。信綱の「心の花」は歌誌とはいえ高踏的な国文学雑誌でしたね。「明星」に対立することになったのは子規「ホトトギス」です。
子規は明治三十四年(一九〇一年)の『墨汁一滴』に「両者(鉄幹と子規)の短歌全く標準を異にす、鉄幹是ならば子規非なり、子規是ならば鉄幹非なり、鉄幹と子規は併称すべきものに非ず」と書きました。必ずしも党派争いだとは言えないと思います。子規は原理的古典主義者であり短歌が自我意識文学を〝含む〟ことを知っていた。子規晩年の『仰臥漫録』などは芥川が指摘したように明らかに私小説を先取りしています。客観写生の守護者のイメージが強いですが子規は短歌的自我意識表現を極端に肥大化させて最晩年の散文を書いています。
つまり子規は短歌は鉄幹が説く自我意識-「自我」「我儘」の方向に真っ直ぐには伸びていかないだろうと見切っていた。子規門では子規『万葉』重視の姿勢を杓子定規に捉えて写生短歌が金科玉条になっていきますが子規自身はもっと柔軟でした。短歌の初源まで思考を遡らせていた。それはともかくとして子規は鉄幹のように伝統的な短歌的自我意識に欧米から新たにもたらされた自我意識(個人主義)表現を付加しただけではダメだと考えていたと言ってよい。
実際子規が予感した通りになります。鉄幹「明星」の自我意識文学は新し味はありましたが落とし所を持っていませんでした。明治維新以降の日本文学がすべて欧米的自我意識文学になってゆく中でその独自性を失っていった。当初は新鮮でしたが「明星」的自我意識表現は相対的にぬるくなる。厳しく残酷な自我意識は自然主義小説が担い短歌を始めとする詩では別のヴィジョンが必要になった。しかし鉄幹はそれを見出せない。「明星」から白秋や勇や杢太郎が離反します。鉄幹は若い文学者からその可能性を見切られたわけです。この頃時代の動きは急で「明星」凋落も意外と早かったですよね。
例外は子規ということになりますね。子規は自我意識文学全盛の時代に非自我意識文学――それは日本文学の大きな富でもあります――を明らかにしたわけですから。俳句は明らかに非自我意識文学で子規写生理論はそれを完璧に実践しています。
鷗外もじょじょに「明星」から距離を取ってゆきます。初期ロマン派の夢を日本文学に落とし込むにはどうしたらよいのかを考えるようになるわけです。ロマン主義小説から『半日』などの自然主義小説を手がけ歴史小説を経て史伝に向かってゆく鷗外の軌跡は反動的に映るでしょうね。しかしそこには鷗外流の欧米文学から日本文学への転換があります。「明星」は舶来物的なバタ臭さから抜けられませんでしたよね。
ただもちろん「明星」は今も振り返って考える価値のある一大ムーブメントです。「明星」は明治と大正・昭和に挟まれた可能性の坩堝のような時期に大きなハブとして機能しました。様々な文学思考・試行が「明星」で交錯しその一部が未来に生き延びその大半が時代の泡沫として消えていった。
「明星」は考え始めるときりがないくらい面白いですね。様々な角度からの検討が可能です。また「角川短歌」で大特集を組んでいただければと思います。
高嶋秋穂
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