今号の特集は「助詞の微妙な世界」です。動詞のように活用しない付属語のことです。いわゆる「てにをは」でありましてたいていの場合絶対にこれでなくてはならないという使い方はなくて代替が利きます。だからこそ使い方にセンスが求められるところがあります。
こういった特集は角川俳句が得意としているところで定期的に切れ字の使い方などのノウハウ特集を組んでいます。角川俳句さんは一昔前のホットドックプレスのようなところがあってホットドックは「初めてのデート」や「初めてエッチ」といった上京したての大学生の恋愛と性の指南ノウハウ雑誌でした。角川俳句さんの対象読者は俳句初心者ですからルーティーンでしょっちゅう初歩的な俳句ノウハウ特集を組んでいるわけです。
同じく日本の伝統詩で定型詩でもありますからノウハウ的な特集はしばしば角川短歌さんでも組まれます。でも短歌の場合は俳句よりもノウハウを伝授しにくい面があります。俳句より十四文字長いだけなのですがそれは決定的な違いです。
啄木代表歌に「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る」がありますが五七五七七の型(調)がなければほとんど散文ですね。芭蕉「古池や蛙飛びこむ水の音」が絵のようであるのと対照的です。また「古池や」か「古池に」では読後感に大きな違いが出ます。俳句ではノウハウ的な添削や推敲はとても大事です。これに対して啄木の歌を「はたらけどはたらけどわが生活楽にならずぢつと手を見る」と「猶」を抜かし「ならざり」を「ならず」と記憶していても大勢に影響はない。
使い方に作家のセンスが表れるとはいえ助詞を含めた修辞は短歌にとって決定的ではないということです。簡単に言うといくら修辞を弄っても歌は良くならない。短歌の善し悪しは基本意味内容で決まるのです。
ダマスク生れの火夫がひと夜ねてかへる港の百合科植物
革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も
突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼
五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる
暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮しモスクワ
あはれ知命の命知らざれば束の間の秋銀箔のごとく満ちたり
鮮紅のダリアのあたり君がゆかずとも戦争ははじまつてゐる
胸奥の砂上楼閣・水中都市ことばこそそのそこひも知らね
朱の硯洗はむとしてまなことづわが墓建てらるる日も雪か
塚本邦雄
特集でお題「をへにの使い分け」で林和清さんが「指に、腋へ」を書いておられます。別に揶揄しているわけではないですが商業詩誌に一度も原稿を書いたことがない人は「助詞の使い方に敏感だなんてスゴイなぁ」と思われるかもしれません。しかしご安心ください。ほぼすべての作家が編集部からお題を与えられて初めて助詞の使い方などを意識するのです。こういった特集記事はいわゆる書き捨てで書き捨てるだけの筆力を持っていることがプロの要件の一つです。
面白い記事なので詳細は実際に雑誌を手にして読んでいただきたいと思いますが引用されている塚本さんの歌を読んで助詞とはまったく関係のないことを考えてしまいました。塚本さんは表現したい内容を持っていたんだなぁということです。特に初期にその傾向が強いですね。「ダマスク生れの火夫が」から「突風に生卵割れ」などは最初期に近い歌ですがイメージが鮮烈です。「液化してゆくピアノ」は反語的表現ですが読者の頭に残るのは黒々として存在感のあるグランドピアノでしょうね。
「港の百合科植物」「液化してゆくピアノ」「皇帝ペンギン飼育係」「突風に生卵割れ」といったイメージは作家が強い観念を抱えていてそれをモノに集約して表現しなければ観念が溢れ出してしまうという切迫感から生まれています。これが戦後だといえばまったくその通りでしょうね。ただ戦後をモノ的なイメージでまとめあげたから塚本さんは前衛歌人として多大な影響を次世代に与えたわけです。
もちろん戦後の年月がどんどん過ぎてゆくと塚本さんならではの表現も緩くなってきます。「胸奥の砂上楼閣・水中都市ことばこそそのそこひも知らね」などが典型的です。「胸奥」「砂上」「水中」といった言葉にもはや観念のモノ化はありません。ちょっと厳しいことを言うと「そこひも知らね」と逃げを打つことになります。初期はこういった書き方はしなかった。ただ塚本さんには「朱の硯洗はむとしてまなことづわが墓建てらるる日も雪か」という衰弱表現が許されています。彼は短歌で生死の境を見た作家です。
みずうみの岸にボートが置かれあり匙のごとくに雪を掬いて
ゆうぐれの駅に立ちいるどの人も靴を支点にながき影ひく
基地をみな沖縄に入れて蓋をする指が見えおり 手に生える指
恥じらいを今も捨てえず夏の陽に顔灼かれつつデモに混じりぬ
数十人テロで死んだといふ記事を指にずらして末尾まで読む
吉川宏志
塚本さんに続いて引用されていたのが吉川宏志さんの歌です。助詞にはまったく関係なく吉本隆明の『戦後詩史論』を思い出してしまいました。吉本さんは戦後詩の詩人で批評家ですが七〇年代くらいから弛んでくる戦後詩の風土を確か「修辞的な現在」と呼んでおられました。思想が失われ生活を基盤とした修辞(言語的なテクニック)に詩人たちが流れ始めた時代状況を総括した言葉です。
吉川さんの短歌を読んでそれを思い出しました。「ゆうぐれの駅に立ちいるどの人も靴を支点にながき影ひく」は秀歌ですがもはや人間を支えるのはほんのわずかな靴の踵しかないのかもしれません。デモやテロの記事といった作家の政治主張が顔を出す歌よりも観念が影に流れてゆくようなよるべなさが戦後の短歌の一つの必然でもありました。
葦の間に木の舟ひとつ捨ててあり舳先を濁る水に浸して
澄みながら暮れゆく空を病むひとの辺にゆきかよふときに見たりき
ブラインドの羽根にひとさしゆびを載せ雨を見てゐた野を移る雨を
背を反らし浅き嗽ひをするひとよあなたの喉に水はせせらぐ
かなしみの腋へ腕をさしいれてこれの世の人を支へむとしつ
大辻隆弘
最後に引用されていたのが大辻隆弘さんの歌でこれはもう時代状況とは関係ありません。写生歌です。写生といってもいろんな方法がありますが大辻さんは現実世界から一歩身を引いて対象を描写しておられます。塚本さんの社会状況全般を捉えようとする構えの大きな歌とも吉川さんの生活の中の煩悶や不安を表現した歌とも違います。一歩引いたところから現実世界を見て写生しています。すると自ずから現実の写しではない短歌が生まれて来るのです。
「背を反らし浅き嗽ひをするひとよあなたの喉に水はせせらぐ」などがの歌が典型でしょうね。現実が少しだけ非現実的な響きに変わっています。こういった歌は作家性うんぬんを言う前に短歌の基本だと思います。まあどの作歌の歌も助詞の使い方は肉体感覚で決めていて作歌の瞬間は内容表現で頭がいっぱいだったと思いますけれど。
銭湯の暖簾の揺れる路地裏を知ってる人だけくる理髪店
両の手の十本にあうだけの客をいただき理髪店やる
ころがった石ころを撫でる仕事なら六十年は続かなかった
自転車なら乗れるといった老人がゆらゆら漕いで髪刈りにくる
角度きめ鋏砥ぎおりある日ふと死んだら綺麗な鋏を遺そう
辞めないでワシがくるからと客はいうあなたと会えれば辞めないでしょう
あの世まで夫を呼びに行けないから次の客には待ってねという
井川京子「ろじうらの理髪店」
今号でいいなと思ったのは井川京子さんの「ろじうらの理髪店」連作でした。短歌には様々な質の作品があります。社会を歌い老いを歌い恋を歌ったりします。現代詩のように新しい表現を追い求める歌人もいます。しかし井川さんのような短歌が結局は一番強いのではないのかと思います。
もしたまたま井川さんの「ろじうらの理髪店」に入って待ち時間に井川さんのいわば理髪店歌集を読んだとすれば僕は買って帰るでしょうね。短歌ではモノは具象は実体のある現実表現は強いのです。歌を読めば読者それぞれの心に「ろじうらの理髪店」が見えてくるはずです。
高嶋秋穂
■ 塚本邦雄さんの本 ■
■ 吉川宏志さんの本 ■
■ 大辻隆弘さんの本 ■
■ 林和清さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■