ときおり今勅撰和歌集を作ったらどうなるんだろうと考えることがあります。言うまでもなく勅撰和歌集は二十一冊あって最後の新葉和歌集は南朝のみで制作されこれはもうあからさまな政治的意図満載ですねとわかってしまうので準勅撰集と呼ばれるわけですが室町時代初期の弘和元年(一三八一年)以降作られていないのが歴史的事実です。
となると勅撰和歌集のルールとして――過去の勅撰集に洩れた秀歌が選ばれることはありますが――対象は弘和元年(一三八一年)から現代までということになります。現実味のない空想ではありますがもし新たに勅撰和歌集が作られるとすれば当然まず今上天皇の勅命が下ることになります。それから撰者が選ばれ撰歌が始まるわけですが対象となる期間が長いですから奏上までに十年はかかるでしょうね。
収録する歌の数ですが過去の勅撰集だと千から二千首ですがエゴの強い現代人の作業になりますからなんやかんやいって三千から五千首くらいの収録になりそうです。撰者を決めるところからして大変な騒ぎになるでしょうね。自分の歌を入集させたい歌人がなりふりかまわず撰者に賄賂を送るなどのスキャンダルも起きそうです。平安鎌倉室町時代でもあったことですから。
ただ万が一現代勅撰集が編まれれば短歌はさらにポピュラーな文学になるはずです。啄木より茂吉の方が入集が多いのは納得できないとか覗きで何度も警察のご厄介になった寺山修司は入集するのか俵万智と穂村弘はどっちがたくさん入集してるのかはたまたなぜ外されたのかとか喧喧諤諤でそれも楽しそうです。子規は「実朝以降和歌はいっこうにふるい申さずそうろう」と書きましたが決してそうではないことが誰の目にも明らかになると思います。
しかしもし現代勅撰集を編むとすれば整理しておかなければならない問題がありますね。言うまでもなく天皇と和歌(短歌)との関係です。天皇制はもちろん日本人すべてに関係する問題ですが文学ジャンルでは唯一短歌が天皇家と近しい関係にあります。今現在もそうです。誰もが納得できる回答は導き出しにくいですが考えておいた方がいい問題です。
天皇制と短歌の関係というのは歌壇では触れづらい話題だと思うのだが、しかしながら、毎年歌会始は行われる。(中略)
短歌と天皇制についていくつもの文章を書いてきた内野光子の『天皇の短歌は何を語るのか 現代短歌と天皇制』に収録されている「戦後六十四年、「歌会始」の現実」の最後の部分を引く。
どんな言い訳をしようと、国家権力に最も近い短歌の場所が歌会始ではないか。短歌の文学としての自立は、国家からの自立にほかならない。
これは正論である。正論ではあるけど、それでも現実として国家権力と近すぎる場所にあり続ける短歌は文学として自立していないのか。それを言うと、何かしらのかたちで国家に寄りかかる私たちも国家から自立できていないことになる。歌会始が国家権力と近いというのなら、歌人は歌会始からみんな離れてしまうか。たぶん、そんなことはそうそう出来ない。
とりあえず今は歌会始があるという現実を、両陛下や皇室の方々が歌を詠まれるという現実を、短歌が権力に近すぎる場所にある現実を自分の中で受け止めて、歌への評価とシステムへの評価を分けた方がいい。そこに数多の歌があるということを一回受け止めた方がいい。
(廣野翔一「歌壇時評 平成の終わりに」)
廣野さんの批評は「短歌研究」が「平成の大御歌と御歌」特集を組んだのを踏まえています。これについて瀬戸夏子さんが「「短歌研究」一月号の総力特集(中略)には屈託がなかった。ここでは短歌は天皇制ときれいに順接であった」「短歌においては御製がヒエラルキーの最上位である、という価値観、これまで戦後歌人がその矛盾に苦しんできながらもがいてきたはずのその現実を「短歌研究」一月号はなんの臆面もなくさらけだしてしまった」と批判しておられます。様々な議論を展開できる問題提起ですね。
大和朝廷が巨大国家に成長してゆく過程で政治的かつ呪術的でもあった祝詞や長歌などから和歌が成立していったのは歴史的事実です。今の歌会始は無類の和歌好きだった明治天皇が設立した御歌所を戦後になって民主化したものですが天皇家が古代から現代に至るまで和歌を愛し詠み続ける伝統を持っているのも事実。和歌には常に天皇家が寄り添っていました。その歴史が今も目に見える形で残ったのが歌会始ですから「短歌は天皇制ときれいに順接」しているように見えます。
一方で廣野さんが書いておられるようにならば「国家権力と近すぎる場所にあり続ける短歌は文学として自立していないのか」という反論も湧き上がります。日本国の象徴である天皇の地位の高さ――外国から見れば政治権力を持たない実質的国王――と短歌の歴史を踏まえれば確かに「国家権力に最も近い短歌の場所が歌会始」(内野光子)で「短歌においては御製がヒエラルキーの最上位である、という価値観」(瀬戸夏子)があると言えないことはない。
しかし現実の商業歌誌は天皇家と無縁です。「短歌研究」誌にしても平成から令和への御代変わりに際して一般読者にアピールしそうな特集を組んで売上増を狙っただけです。皇族方は専門歌人ではないので厳しい作品批評は為されません。天皇家の歌は「ヒエラルキーの最上位」にあるというより象徴天皇制と同様に短歌文学の象徴に過ぎないと言うこともできます。文学の問題としてではなく大御歌と御歌から平成の世相を辿るのが「短歌研究」誌の特集意図です。
ただ「短歌研究」の特集が短歌文学の禁忌に触れパンドラの箱を開けてしまったような印象を与えるのも事実ですね。その理由は言うまでもなく先の大戦にあります。
戦争になるとどの国でも国粋主義が勃興します。戦意高揚のために古典文学が援用されることもしばしばです。日本では『万葉集』から「海行かば」が『古事記』から「撃ちてし止まむ」の章句が抜き出され軍歌として盛んに歌われました。戦中に長老・大家歌人たちが雪崩を打っていわゆる翼賛短歌を書いたのも事実です。
また短歌を詠んだのは銃後の歌人たちだけではありません。従軍兵士たちも戦地で遺書のように短歌を書きました。短歌は個々の意識の総合である民族意識に働きかけ同時に大将から学徒動員兵士に至るまで一兵士の使命感や覚悟それに厭戦や反戦の心情をも表現できる器だったのです。私性の文学で自我意識文学である短歌の特徴です。
つづめて言えば短歌と天皇家が同時に現れる際にわたしたちが感じるモヤモヤはとりわけ短歌が政治に利用されやすい文学なのではないかという危惧から生じています。実際もし先の大戦の時のような事態が起こったらという危機感は従軍歌人はもちろん戦中・戦後の歌人たちに非常に根強い。
しかし一方で歌壇を代表する歌人たちが歌会始選者となり宮内庁御用掛となって皇室の方々に歌の講義や指導などを行っています。誰だってこれは歌人が政治利用されているってことなんじゃなかろうかと考えてしまいますね。俳人や自由詩の詩人がいわゆる宮廷詩人になることはないわけですから。
しかししかし歌人が歌会始選者となったとしても文学としての短歌の場である商業歌誌などで自動的に彼らの短歌が高く評価されるわけではありません。むしろ逆です。歌壇で文学的評価が高い歌人が歌会始選者になっています。歌会始と歌壇は別だと言っていい。歌会始選者は有名歌人が歌壇を代表して短歌界を盛り上げるために勤める回り持ち当番のようなものだと言うこともできます。
しかししかしもし政府の方針などに抗議の声を上げる際に天皇家に親しみ政府から報酬を得ている歌人たちの言葉に説得力があるのだろうかという疑念も湧きます。危機の時代には当然なんらかの協力を求められるでしょうけどそれをおして「反対」の声を上げられるのか。短歌と天皇を巡る問題には歴史と観念と現実制度が複雑に絡み合っています。
では第二次世界大戦のような時代になったら歌人はまた政府を翼賛するのでしょうか。答えは当然「わからない」にならざるを得ませんね。その時にならないとわからない。平時の思想などあてにならないということです。意外な人があっさり政権を翼賛し意外な人が沈黙を含めて頑なに反体制を堅持するでしょうね。ただこういった問題を一度も真剣に考えたことがなければ時流に呑み込まれる可能性が高いと思います。
三枝 今回は編集部が三つのパートを設定して、その一つを日露戦争から昭和の大戦の終了までをナショナリズムという括りで一つの流れにしているわけですけど、この時代をどう考えるかというときに、歌人として最初にそういうことを意識したのは、やはり石川啄木ではないかと思うのです。(中略)明治のナショナリズムが文学者にとって危機的な様相を持っていることを、啄木は評論とか詩では精力的な一方で、短歌では、日々の暮らしの中に溶け込ませながら表現している。そこが後のプロレタリア短歌の人たちから見ると、まだまだ啄木は社会主義思想に未成熟だったという不満にもなるんだけど、プロレタリア短歌と啄木の短歌のなかに含まれたナショナリズムへの危機感のどっちが優れているかというと、啄木の方が一〇〇年経っても詩的な説得力がある。(中略)明治四十一年の作品にある〈わが家に安けき夢をゆるさざる国に生れて叛逆もせず〉です。(中略)一歩引いたところに持っていったからこそ、時代の危機感はむしろ歌の中で膨らむという詠い方が啄木にはあって、その後にも受け継がれているのではないかと思うわけです。
(三枝昂之×坂井修一「対談 これからの短歌 第1回」)
今号から三枝昂之さんと坂井修さんによる対談「これからの短歌」が連載されています。近代以降の短歌の歴史を総括するための対談です。第一回は「ナショナリズムと大戦の時代(一九〇五~四五年)」が議論の対象です。太平洋戦争へと突入してゆく流れが現れ始めたのは大正時代です。大逆事件が一つのメルクマールになりました。天皇制廃止をも視野に入れた社会主義者たちが権力によって弾圧された疑獄事件です。
三枝さんがおっしゃるように石川啄木は当時のナショナリズムに強い危機感を抱いていました。しかし「社会主義思想に未成熟だった」。声高に反体制の声を上げることなくその思想を「日々の暮らしの中に溶け込ませながら表現」しました。ただ今から振り返ると「プロレタリア短歌と啄木の短歌のなかに含まれたナショナリズムへの危機感のどっちが優れているかというと、啄木の方が一〇〇年経っても詩的な説得力がある」のは三枝さんが指摘なさった通りです。
ではなぜ啄木は同時代精神に不安を抱きながらストレートにそれを表現せず生活短歌を詠み続けたのでしょうか。単純ですが啄木が文学者だったからですね。文学者はたとえ孤立無援で無名で終わろうとも文学で表現したい主題を抱えた者たちです。啄木は文学で名を上げる野望を抱いていましたがその手段に社会政治思想の積極的発露は含まれていなかった。政治などに強い関心を示してもそれは文学にとっての従属要素に過ぎません。文学は政治的思想信条を表現するための道具ではないということです。
多くの場合文学者としての主題を失った者が体制を翼賛する側に回ってゆきます。かつては魅力的な主題を抱えていたのにそれを見失ってしまった者も含まれます。空洞化した主題に大きな社会的反響や地位・栄誉が入り込みそれが目的化するのです。
ただ平時には文学者の主題の強さはわかりにくい。危機の時代になって初めてその強度が試されるのです。老大家だろうと若いニューウエーブ歌人だろうと本質的に主題がない者は社会全体を巻き込む強烈な時流に流されます。目の前に地位や名誉をぶら下げられると危ないという予感があっても簡単にそれに釣られる。
亡き母の裁縫箱に残されし御手玉ひとつが何か寂しき
夏つばめ飛び去りし後の巣箱にて朝の光は虚しきばかり
トンネルを出づれば青き若狭なる海の輝き夢のごとしも
愛犬のまぼろしながら淀川の堤を行けば我に従き来る
出陣の前の帰省に幼かる我を抱きあげし兄を忘れず
若くして戦死の兄の奥津城に母は声なく泣きゐし姿
南洋の戦ひに果てし兄なれば海ゆかばの歌を悲しむ
(高比良みどり「海ゆかば」)
今号では高比良みどりさんの「海ゆかば」が秀作でした。作家の内面探求が親しい死者たちを引き連れるように動いてゆきます。愛犬を含む様々な死者たちが作家とともに歩んでいます。そして最後に戦死した兄が現れる。
高比良さんの「海ゆかば」は生活短歌と体制批判短歌の中間に位置していますね。個の日常的感情が社会的事象にまで広がってゆく。「南洋の戦ひに果てし兄なれば海ゆかばの歌を悲しむ」をもう一歩進めれば体制批判短歌が生まれるはずです。
比喩的に言えば危機の時代には多かれ少なかれ作家の主題がどちらのベクトルにあるのか問われます。体制批判をすれば自らが弾圧される。迎合すれば作家主題の空虚が露わになる。生活に否応なく入り込んでくる社会事象を詠おうとすれば韜晦だけでなく時には沈黙も必要になります。太平洋戦争中の作家たちの多くがいずれかの道を辿りました。
さて冒頭に戻って現代勅撰和歌集です。はっきり政治的意図がないことを明らかにできれば面白い試みだと思いますが現実には日本国憲法を改正するのと同じくらい難しいでしょうね。
ただもし実現するとすれば短歌と天皇に関連するモヤモヤの位置にいる歌人たちが自分たちの思想行動信条等々を明らかにするのが初手でしょうね。前衛歌人として知られる岡井隆さんが歌会始選者となり宮内庁御用掛になった時に多くの人が「まあいいけど〝ん?〟だよね」と感じました。啄木や昭和短歌の研究者でもある三枝昴之さんも歌会始選者です。
三枝さんは「時代の危機と向き合う短歌」というシンポジウムを行う際に主宰短歌団体を作り「強権に確執を醸す歌人の会」と名付けたと対談で語っておられます。しかし部外者には歌会始選者と「強権に確執を醸す歌人の会」がどーも「順接」しない。
歌壇は俳壇よりも〝文学〟としての短歌を重視しています。一方で俳壇と同じように〝習い事〟としての短歌伝統も脈々と続いています。俳壇には「俳句は結局習い事」と居直っていい風土がありますが短歌の場合は文学なのか習い事なのかどっちつかずです。その間にグレーゾーンが広がっていると言っていいでしょうね。歌会始選者はこのグレーゾーンに含まれるような気がします。
歌人に限りませんが政府を厳しく批判しながら一方で政府が与えてくれる栄誉褒章を〝別口〟としていただく文学者はたくさんいます。文学者の評価は作品ですから現世でどんな勲章をもらっていてもかまわないとは言えます。ほとんどの人がそんなことを気にしません。「偉い人だったんだな」と感心してくれます。断ったなどと聞くとむしろ「剣呑な人だなぁ」と言われたりもします。
しかし今は情報化時代でそれは今後さらに進んでゆきます。明らかにノンポリならなにも問題ないかもしれませんが政治・社会問題に強い関心を示す文学者はある程度その思想行動信条をはっきりさせた方がいいでしょうね。短歌を文学として捉えるのならグレーゾーンは少ない方がいいわけです。結社や歌会始などは短歌の伝統で必要不可欠なグレーゾーンなら面倒くさがらずにその仕組みや意義をできるだけ明らかにした方がいい。
たいていの場合グレーゾーンは情報を公開すれば消え去ります。角川短歌誌で歌会始選者の皆様を集めて討議を行っていただければスッキリするかもしれません。
高嶋秋穂
■ 三枝昂之さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■