10月8日から14日まで開催の『安井浩司「俳句と書」』展公式図録兼書籍の中で、酒巻英一郎氏が『お浩司唐門会(通称「唐門会」)』について書いておられる。唐門会は金子弘保氏を中心に、酒巻英一郎氏を中核メンバーとて結成された安井浩司の純粋読者の会である。設立は昭和四十八年(一九七三年)である。
この会は二つの面で重要である。一つは唐門会が、安井氏の文学の創作現場に深く関わっていたことである。安井氏や酒巻氏の文章から、安井氏の句集のいくつかの表題は金子氏が付けたことがわかっている。また金子氏や酒巻氏は、安井に創作の参考になるような書籍を積極的に提供していたらしい。もう一つは唐門会所蔵の安井コレクションである。墨書が多いが、唐門会所蔵作品には安井氏の生原稿ばかりでなく、未発表稿も数多く含まれている。資料は未整理のままだが、将来、貴重な資料になるだろう。
失礼な言い方かもしれないが、安井氏は俳句の世界では相当な変わり者である。単に俳句が難解だ、といっているわけではない。難解な句も多いが、安井氏の俳句はむしろ正統的な俳句の骨格を有している。変わり者というのはその姿勢である。氏はほとんど俳壇と接点がなく、個人的に親しい文学者も数えるほどしかいないようだ。安井氏が自ら望んだこととはいえ、それは彼の文学の評価を大きく遅らせている。非常に高い質と量の作品を生み出しながら、安井氏は俳壇で名の通った賞すらだたの一つも受賞していない。現実を見ればわかるが、必ず優れた作品に賞が授与されるというわけではない。人付き合いが重要なのだ。
しかしもちろんそれはあくまで世俗的評価である。安井氏は俳句文学にとって最も核心的な試みを行い続けている。また安井氏は今現在も先へ先へと進もうとされているようだ。今回の『安井浩司「俳句と書」』展がそのいい例だと思う。墨書を書いておられることは知っていたが、墨書展開催は驚きだった。安井氏くらい墨書展のイメージから遠い俳人はいない。だから今回の墨書展は、一般的な俳人が開くそれとは自ずと異なるものになるだろう。それは時間が経てば経つほどはっきりしてくるはずである。
また唐門会所蔵作品を見せてもらうと、安井氏がどういう作家なのかがおぼろにわかってくる。この作家は次々に切り捨てていくのだ。もう可能性のないもの、終わったものを切り捨て、前へ前へと進んでいく。だからこそ普通の作家ならきっと愛蔵しておくだろう作品を惜しげもなく唐門会に譲っている。安井氏には『孤高の俳人』という呼称がふさわしいが、その中核は彼の文学思想にある。なんびとも踏んだことのない未踏の領域を目指すから孤独になるのだ。好んで一人になったわけではあるまい。誰もついてこれなかったのである。
現在、金魚屋編集部は、酒巻英一郎氏保管・所蔵の唐門会コレクションを数百点借り受けている。墨書展の公式図録兼書籍に写真図版を掲載するためにお借りしたものだが、当然、全部は掲載できていない。そこで文学金魚の方でその一部を紹介してはどうかという話しになった。第一回目は安井氏の短冊墨書作品である。
全部ではないだろうが、酒巻氏からお借りした短冊作品は三十四点あった。面白いことに、安井氏は公式図録兼書籍のロングインタビューで、『俳人の書というのは、実を言うと、ほとんどが短冊なんです。でも、私はこの短冊が大嫌いなんです。(中略)短冊書くの、嫌なんです。なぜかと言いますと、安井浩司が自分の作品を短冊に書いて、それがマッチしたら、もう安井の俳句も終わりだからです。短冊にマッチするような作品を書くようでは、もうダメだと思いますね。(中略)なんだか短冊って、線香の匂いがしませんか』と語っておられる。
安井氏は後ろを振り返る人ではないから、唐門会所蔵短冊作品は、初期の方の安井墨書作品だと考えられる。それは書体からもうかがい知ることができる。安井氏は永田耕衣の弟子だが、昭和四十年(一九六五年)に京都で開催された耕衣墨書展を見に行って衝撃を受けている。安井氏二十九歳の時のことである。安井氏の短冊墨書作品には、明らかに耕衣氏の筆法の影響を受けた作品が多い。中には耕衣そっくりの書風作品もある。これは相当に書に堪能な人でなければできない。ロングインタビューで安井氏は自分は書の素人だと言っているが、そんな言葉を真に受けてはいけないだろうと思う。
個々の句の評釈や収録句集の特定などは時間がなくてできないが、ここでは金魚屋が借り受けた安井浩司短冊作品全三十四点を一挙公開する。ひとまずは純粋な資料として皆さんの参考にしていたきたい。
岡野隆
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