「5・7・5の可能性」は日本近代文学館で定期的に行われている文学イベント「声のライブラリー」の再録である。ゲストが自作を朗読して、その後にホストを交えた座談会を行う。ゲストは高橋睦郎、恩田侑布子さんで、ホストは伊藤比呂美さんである。
高橋さんは若い頃から俳句短歌を詠んでおられる。大昔「饗宴」という同人詩誌があり、高橋さんのほか、鷲巣繁男、多田智満子さんらが同人だった。ハイブロウというか、ちょっと浮世離れした感のある詩誌だった。鷲巣さんは俳句・短歌を詠み、多田さんは歌人でもあった。「饗宴」が創刊されたのは昭和五十一年(一九七六年)で、まだまだ現代詩というか自由詩は元気だった。七〇年安保の余波が燻る時代だったから、「饗宴」のような紅旗征戎吾が事に非ずの姿勢が一服の清涼剤のように感じられたのだった。しかし時代は変わる。高橋さんは最近は俳句に力を入れておられるようだ。こういうところにも、現代詩というか自由詩の凋落が垣間見えますなぁ。短歌俳句の世界の方がまだ元気である。
恩田さんは「樸(あらき)」俳句会代表で、基本は俳句定型に沿った俳句をお詠みになるが、その作風は観念的独自性を持っている。俳句評論家としても優れている。大結社の主宰ではなく俳壇的勢力は弱いはずだが、熱心なファンがいる作家だ。その理由の一つに、俳句を外部の目線で相対化できていることがある。
伊藤さんは言うまでもなく一九八〇年代に詩の世界を一世風靡した女性詩を代表する詩人で小説家、エッセイイストである。伊藤さんの作品は時にショッキングで露骨で猥雑でもある。ただ対談や討議などに登場される時は天然な感じがする。しかしこの天然ぶりがなかなかクセモノなのだ。わざとそうしているとは言わないが、伊藤さんは本質的に〝制度の破壊者〟である。当たり前だと思われている制度的前提に疑義を差し挟み、壊し、本当に基本的なモノだけを露わにしてゆく。クセモノでキレモノなのだ。
恩田 私はあまりそういうふうには思わないで来ました。さっき禅というお話が出ましたが、私は子ども時代、経済的には困らなかったのですが、精神的にはとても辛い経験をしています。それで、山河の中に身を置くことと、古の美しい言葉や詩歌の世界に心の慰安を求める少女時代を過ごしました。周りの級友はアメリカ文化に傾倒していたときですので、あまり言い出せませんでしたが、ちょっとヘンテコな子どもだったのでしょう。仏教とか老荘思想のほうに関心が行ってしまったんです。勉強したいとか、知識を求めてというわけではないですよ。そういう本に手を伸ばさないとこの世にとどまっていられなかった切実な感じというか。自分が助かるためにそういう本を読んでいたんですね。
先ほど、比呂美さんが「俳句は禅みたい」とおっしゃっていたのは、とても鋭いところを突いていらっしゃると思いました。つまり、おこがましい言い方ですけれど、私の俳句での最終的な願いは、普段のおしゃべりでは言い得ない、言葉にできないものを表現したいと思っているからなのです。それは、禅の言葉で言えば「無」だし、老子だったら「道」のようなもの。これらは絶対に言葉にはできないのだけれど、そのほとりに行って、混沌や余白をふくよかにしたいという願いがある。
伊藤 わかる気がする。俳句全般が禅に近いというより、恩田さんの俳句が禅に近いんですね。今、実は禅僧の藤田一照さんに教わりながら『正法眼蔵』を読み進めているのだけれど、むっちゃくちゃわからない(笑)。
恩田 若い頃は、禅の公案のような俳句を作りたいと本気で願っていましたが、今はもうそんなことを思いません。「禅」なんてほど遠い煩悩だらけです。
(第91回声のライブラリー座談会「5・7・5の可能性」伊藤比呂美/高橋睦郎/恩田侑布子)
俳句が禅と相性がいいというのは、わかったようなわからないような話だろう。しかし日本の精神文化史を辿ればその通りである。俳句が成立したのは室町時代であり、禅文化全盛時代だった。平安末期の源平時代で日本人の精神は煌びやかな密教文化を離れたが、室町初期の南北朝の動乱がそれを決定的にした。寝返り、夜討ち、下克上が横行した時代であり、人々の精神は虚無主義に傾いていった。能や水墨画の流行も禅文化を背景としている。現世に恨みを残した幽鬼が舞台に現れ、絵画から色がなくなるのは尋常な事態ではない。もちろん俳句の大成者・芭蕉も禅に親しんでいた。禅というより老荘思想と言った方が正しいかもしれない。
ただ禅が、漆黒の闇のような無に定住して悟りを開く宗教(精神的なあり方)だというのは間違いである。禅は世界を無、あるいは無常だと認識するが、無の底まで降りることが悟りであり、悟りを得れば禅者は猥雑な現世に戻ってくる。ここに禅という宗教(教え)の特徴がある。禅にとって悟りきったような顔をした宗教者はインチキなのだ。
こういった禅の心性のあり方は、十分創作の基盤になり得る。創作の核に据え得る強い思想だとも言える。無は現世の殷賑と紙一重だから無である。恩田さんのエロティックで煌びやかでありながら、静かな諦念を抱えている作風は禅の影響を強く受けている。伊藤比呂美は勘のいい作家であり、最近になって禅を学び始めているという。「むっちゃくちゃわからない」と初歩的な質問をぶつけながら必ずその本質を把握するだろう。
伊藤さんは「恩田さんの句も、手のひらの上に一句だけ載せてもらってよく味わって読めば、すごいなあこういう世界なのかと感じられる。だから、句集はあんなにたくさんの句を入れないで、五句ぐらいでいいんじゃないかと思う」とおっしゃっている。これもその通り。俳句が作家の名前とタイトルを冠して作品集を発表し始めたのは、おおむね大正初期頃からだ。室町から江戸の俳人は作品集をまとめることを重視しなかった。数句だろうと後世まで口誦される句があればそれで良しとした。歌人もまた家集という形で選歌を残すくらいだった。短歌俳句は本質的に数作代表作があれば良い。
優れた作家は必ず思想的な基盤を持っている。もちろん作品を書くことと平行して思想を得てゆく場合が多い。ただ俳人は、過去の優れた俳句作家は必ず強力な思想的基盤を持っていることをもっと強く意識した方がよい。とにかく作品を書く、とりあえず書くだけではダメなのである。思想を得ることは俳句を相対化して捉えるのに役立つ。俳壇内部にいて誉められるのと、外部からの視線に耐え得る作品を書くのには明確な違いがある。俳句を客観視できなければ外の視線に耐え得る作品は生まれない。
雛壇を灯す朝の仕事かな
テーブルの大きく白く冴え返る
薄氷に沈みて戻り来ず
水に泡生まるるやうに花に虻
蛇穴を出てしばらくをうはの空
最期の息を七日ほど
田螺鳴け亀も鳴け父送らむよ
大根の花弔ひのあとの雨
来合せて一山の花盛りかな
近づきて何かくべ足す花篝
ちちははの揃ふかの世やほととぎす
(高田正子「春日」)
文学は不思議なもので、雑誌などをパラパラめくっていると、あるページだけが浮き上がって見えることがある。そういうページに掲載されている作品は力がある。今月号では高田正子さんの「春日」連作がそうだった。
お父様を送ったことを題材にした連作だが、句は「雛壇を灯す朝の仕事かな」と煌びやかな情景から始まる。しかしすぐに「テーブルの大きく白く冴え返る」「薄氷に沈みて戻り来ず」と虚無に近い白に現実世界が還元される。こういった作品は典型的に、俳句が無と現世の殷賑を行き来する芸術であることを示している。「弔ひのあとの雨」があり、再び「来合せて一山の花盛りかな」と満開の桜に出会う。
痛切な悲しみを切々と表現するなら、誰が考えても短歌の方が表現の器として適切である。長さや形式に制限のない自由詩なら、近親者の様々な言動やその情景をも描けるだろう。ただ俳句は極限まで現実を切り詰める。抽象ではない形でミニマムな表現に昇華するのだ。
高田さんの「春日」連作で言えば、「ちちははの揃ふかの世やほととぎす」が絶唱になるだろう。「かの世」には内裏雛のように亡き父母が揃っている。季節は初夏に移ろっている。悲しみや絶望や虚脱感を直接的には表現せず、そのすべてを含む人間の感情を絵のように表現できるのが俳句の素晴らしさである。
岡野隆
■ 恩田侑布子さんの本 ■
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