二〇一八年一月三十日に八十八歳でお亡くなりになった大峯あきらさんの追悼特集が組まれている。大阪大学、龍谷大学の教授を務められた宗教哲学者で俳人である。俳人としては「ホトトギス」系。スラリとした有季定型句をお詠みになった。
冬支度鷗もとほる村の空
短日に日本海鳴る下校かな
虫干や人の下り来る賤ヶ岳
杉山を餅配る子が越えてゆく
餅配り大和の畝のうつくしく
みづうみに四五枚洗ふ障子かな
金銀の木の芽の中の大和かな
薪を割る音して草は芳しき
みづうみに出ては戻るや稲雀
昼ごろに一人通りし深雪かな
こういった句に大峯さんの特徴が一番よく表れている。乱暴な言い方をすれば、とりたてて特徴のない有季定型句に忠実であることが最大の特徴なのだ。覇気がある、あるいは俳句の世界でなんとか独自性を発揮して目立ちたい、新しい俳句を作りたいと志向する若い作家にとっては、なんということもない俳句である。これも乱暴な言い方だが、俳句から作者名を取り除いてしまえば誰が詠んでもいいような句である。
ところがこういった個性のなさは、俳句の世界にどっぷりと精神を浸した作家にとっては大きな個性として働く。一句一句をじっくり読み込み、個性のない句に個性を認めてゆくような心性である。「みづうみに四五枚洗ふ障子かな」「金銀の木の芽の中の大和かな」といった句を口の中で何度も転がし、そこに大峯あきらの名前を重ねて独自性を見出してゆくのだ。有季定型を俳句的世界観としてアプリオリに肯定し、その中で個性を認めるのだ。このあたりの機微は経験した人でなければ理解しにくい。しかし間違っているわけではない。俳句の王道だとも言える。
俳句は突き詰めてゆけば大峯さんのような平明な有季定型句の行き着くはずである。大峯さんが冒険的な句を詠まなかったのは、その世代の特徴だと言えるかもしれない。簡単に言えば高濱虚子以後の俳句史が肉体化されている。子規の近現代俳句の揺籃期に、あらかたの新しい試みは試し尽くされたと言えないことはない。その結果を受けての虚子俳句である。つまり虚子的俳句の流れが、俳句王道としてあらかじめ設定されている。だから虚子をすっ飛ばし、新興俳句や重信的前衛俳句で俳句に興味を持った作家には「こんなの何が面白い」ということにもなりかねない。
しかし大峯さんのような句は弱いようでとても強靱なのだ。決して無理をせず美しい花鳥風月で句を完結させることは、俳句初心者の心を強く惹き付ける。多くの人が俳句を読み、詠むことに求めているのは現世の葛藤ではないということである。この俳句文学の基盤を否定して俳句が俳壇として、結社として成り立つのかと言えば、非常に難しいだろう。大峯さんの句は本家「ホトトギス」よりも「ホトトギス」的である。彼の句が多くの俳人たちに愛され、とりわけ俳句初心者の心を惹き付けた理由である。
フィヒテ全集鉄片のごと曝しけり
虫干や子規に聞きたき事ひとつ
吾子が嫁く宇陀は月夜の蛙かな
全集のフィヒテは古りぬ露の家
ベルギーに入りしと思ふ花野かな
簀戸入れて午から子規を読むつもり
本の中歩いて年が改まる
秋声のしきりなる日の書庫にをり
朝顔や仕事はかどる古机
祝ごとは受くべし草は芳しき
大峯さんの自我意識が表現された句だが、当然のことながら自我意識の主張は薄い。氏はカント系のフィヒテの研究者だったが、その内容にまで踏み込むことはない。「フィヒテ全集鉄片のごと曝しけり」「全集のフィヒテは古りぬ露の家」と表現されるだけである。私事が人生の大事件として表現されないのは、「吾子が嫁く宇陀は月夜の蛙かな」で明らかだろう。人の世の慶事弔事を熱もなく受け入れる姿勢は「祝ごとは受くべし草は芳しき」で表現されている。なべて事なし、である。人間存在はほとんど草木と変わらない。俳句という短い器で表現できることはたくさんあり、かつ一方で、表現できない内容をバッサリと切り捨てる。
虫の夜の星空に浮く地球かな
金星の生まれたてなるとんどかな
青空の太陽系に羽子をつく
月はいま地球の裏か磯遊び
まだ若きこの惑星に南瓜咲く
凍る夜の星晨めぐる音すなり
狐火や襖つづきの長廊下
初日出てすこし止まりて上るなり
いつまでも花のうしろにある日かな
草枯れて地球あまねく日が当り
地球を相対化するような俳句である。遠くから地球を眺めている。そこに哲学者としての大峯さんの思想が表現されているのかと言えば、そうとは言えないと思う。むしろ虚子的有季定型句を少しだけ逸脱する俳句として書かれたのではなかろうか。
大峯さんは昭和四年(一九二九年)生まれだから、戦中派であり六〇年、七〇年安保も経験している。高度経済成長期など、戦後の世の中の大きな変化も体験した。しかしそれらは句でほとんど表現されない。「虫の夜の星空に浮く地球かな」「草枯れて地球あまねく日が当り」と地球上で起こる雑事が小さな騒乱として相対化されている。
それが俳句なのだろうか。そうだとも言えるし、そうではないとも言える。ただ大峯さんが、あえて社会的雑事を相対化しようとしたのは確かである。そのために「地球」や「太陽系」といった大きな構えが必要とされたのだろう。こういった切り捨ては一つの俳風として成立する。虚子系俳句としては、ここまでで限界ということでもある。
烏瓜仏ごころも恋も赤し
花咲けば命一つといふことを
くらがりに女美し親鸞忌
人は死に竹は皮脱ぐまひるかな
花どきの峠にかかる柩かな
竹植ゑて一蝶すぐに絡みけり
初空といふ大いなるものの下
秋風やはがねとなりし蜘蛛の糸
日輪の燃ゆる音ある蕨かな
水涸れて昼月にある浮力かな
地上の自然現象に作家の心理を重ねた句である。「烏瓜仏ごころも恋も赤し」には仏心も恋心も同じという大峯さんの思想が表現されている。「人は死に竹は皮脱ぐまひるかな」「花どきの峠にかかる柩かな」では人間の死の無常が、変わることのない自然の巡りに重ね合わされている。「日輪の燃ゆる音ある蕨かな」は自然賛歌である。こういった句で留まるのか、別の形で俳句を詠み始めるのかは、俳人にとって大きな問題である。
年を取ってから俳句でも詠もうと俳壇に参入して来る人たちは、人生に疲れ、枯れていることもあって大峯さん的な方法に親近感を持つだろう。カルチャースクールや結社の新同人募集的会合で俳句の面白さに触れた人たちも同様である。ただ俳句を文学として捉え、多かれ少なかれ独自の表現が現代文学の要件だと考える若い作家はそうではあるまい。後者の場合、意気軒昂であればあるほど大峯さん的な有季定型句から離反してゆくことになる。ただそれが必ずしも正しい俳句の道だと言えないところが俳句の難しいところである。
言いにくいが大峯さんはお亡くなりになったが、氏のようにはっきりとした意志で、俳句で表現できない、表現しない事柄をバッサリと切り落とした形で模範的な作品を書き、俳句初心者を力強く導く俳人はこれからも絶えず現れてくるだろう。欠員が出れば誰かがその穴を埋め、それが安定して続く。
ただ俳句が大峯さん的な安定した作風が俳句の大勢だからこそ、若くて意欲的な俳人たちの、俳句王道を離れるかのような前衛的作品も必要なのである。俳句はそれを泡立てる刺激を必要としている。ただ中間がない。中間を求めようとすれば、伝統俳句から見ても前衛俳句から見ても半端な作品になりがちだ。しかしなぜ両極端に傾きがちなのかは、今一度真剣に考えた方がいいと思う。
岡野隆
■ 金魚屋の本 ■