今月号の特集「没後十年 前登志夫」と「現代ならではのテーマをどう詠うか」はどこかで響き合っていますね。関係ない二本立て特集のようでいて底の方で通じています。こういったことはジャンルが勢いのある時によく起こります。振り返ってみると雑誌は時代を映す鏡ですが低調な時代には凡庸な作品や思考が並びます。活気あるときは作品や詩論や特集が有機的に関連しているような雰囲気が生まれる。「短歌」誌に有機的関係が感じられることは歌壇が活気づいている証左でしょうね。
前登志夫さんは大正十五年(一九二六年)生まれで平成二十年(二〇〇八年)に八十二歳でお亡くなりになった詩人・歌人・エッセイイストです。処女作は詩集『宇宙驛』でその後短歌に転向なさいました。師系は前川佐美雄。昭和二十六年(一九五一年)に故郷の吉野に帰り家業の林業に従事しながら歌を詠み続けました。歌人以外の読者にとっては吉野をテーマとした優れたエッセイイストの印象の方が強いでしょうね。短歌結社誌「山繭の会」の主宰でもありました。
「短歌研究」昭和三十一年十月号に「なぜ短詩型を選んだか」が掲載されている。大岡信、谷川俊太郎、高柳重信、岡井隆、そして前登志夫という当時の新鋭たちによる座談会である。この討論における前登志夫は一人異色だった。他のメンバーは世界や他のジャンルをどう考えるかという横の問題を意識しているのに、前登志夫だけは「縦の原則として伝統的な考え方」を視野に入れるから短歌を選んだ、つまり伝統が大切なんだと語っている。
昭和三十年といえば近代短歌から現代短歌に移ってゆく、新しい短歌の時代である。(中略)いわば新しさへ新しさへと短歌が動いた時代に、こともあろうに「縦の時間だ」「伝統だ」と主張する。なにが前登志夫をそうした選択を可能にしたのだろうか。
「アニミズムや宇宙的な生命感をもって山霊を歌う」(『名歌名句辞典』)、「故郷である吉野の歴史と民族を根底に、自然の精霊(すだま)、木霊(こだま)の響きを体現する」(『現代短歌大辞典』)。歌人前登志夫は概ねこのように特徴付けられる。吉野に根を下ろして日本の古層と交感する歌人ということになるが、もう一つ、どの解説もその発端の現代詩体験に触れている点も大切だろう。
(三枝昂之「没後十年に思う おたまじゃくしは池に涌くなり-遺産としての前登志夫」)
特集巻頭には三枝昂之さんによる必要十分な前登志夫論が掲載されています。短歌はもちろん散文を含む前登志夫文学の特徴が学問的民族学から伝承的土俗にまで至る興味にあるのは言うまでもありません。いっぽうで前さんはいわゆる前衛短歌の時代の人でした。前衛短歌は同時代の現代詩の影響を強く受けていました。今は〝現代詩とは何だったのか〟を再定義しなければならない時期に差しかかっていますが短歌が受けた影響は戦後詩と現代詩が入り混ざったものだったと言っていいと思います。
戦後詩は基本的には社会性表現です。単純な社会思想の表現ではありませんが個の独立不羈の精神性を基盤に鋭く社会と切り結ぼうとしました。これに対して現代詩は一種の反戦後詩として生まれました。あらゆるレベルで詩が思想や感性の〝伝達の道具〟になることを嫌いほぼ完全な抽象的言語構築物としての詩を目指しました。当然現代詩は意味的に難解――日常的意味としては読み解けないように作られているので当たり前ですが――になりました。ただそこで生まれた新たな修辞的成果は現代詩本来の意図を超えて短歌や俳句にも強い影響を与えたのです。
歌人の皆さんには塚本邦雄や岡井隆の作品を思い浮かべていただければ短歌が戦後詩と現代詩の影響をほぼ等分に受け取っていたことがすぐ理解できますね。前登志夫もまた同時代の自由詩から強い影響を受けました。処女作は詩集なのです。しかし前さんが短歌に転向したのはその可能性を信じ切れなかったことを示唆しています。それが同時代の前衛短歌に対する違和となり「縦の原則として伝統的な考え方」になったと言っていい。では前さんはそれをどこまで信じ切れていたのか。
夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ
前登志夫の代表作をどれにするかは様々な意見があるでしょうが「夕闇に」の一首が重要なのは確かです。わたしたちは当然前さんが〝本物の盗賊〟になることを期待します。乱暴狼藉を働くのか村の共同体に迎え入れられ王になるか普通の村人になるのかはわかりません。しかし〝没入〟を期待してしまうのです。だけど極論を言えば前さんは村に没入しなかったと思います。
死者も樹も生ふる場所を過ぎこぼしきたれるは木の実か罪か
鈍器あり春の嵐を黄に染める花粉は挽けるこの樹より噴く
さくは咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝の斧は
山に照る冬のひかりの渦巻けば刃物を持ちて果樹園に来つ
何かが起こりそうで起こらない。理知が前さんを最後のところ踏みとどまらせているような気配です。これ以上土俗というか民族の精神性に没入すれば嘘つきになるということでもあると思います。そういったシャーマンのような嘘つき詩人は戦後の一九七〇年代くらいからポツポツ現れ始めますが戦中派で短期間ですが召集された前さんにはできなかったのだと思います。
すみれ色の夜明けのひうちほのぼのと掌ににぎりしめ少年ねむる
しろがねに沼のこほれるあけぼのを人あゆみくる花びら踏みて
文句のつけようのない審美的に美しい歌ですが希薄でもあります。前さんが正直だからこういった希薄な歌が生まれたのでしょうね。民族や土俗が高次観念(高次イメージ)にまで昇華されています。それは美しいのですがもはや地上の出来事ではない。高く評価できますが〝泥にまみれた垂直的伝統〟の具体的な手触りはないのです。
しぐれ雨土に沁み入る山畑のサフランの花、もう駄目かといふ
なんといふ初夢なるや人間の手に負へぬほどのロボット生るる
ゲーム脳のそのつめたさをおそれつつ夏の巌にひぐらしを聴く
大変言いにくいのですが晩年の前さんの短歌は崩れたと思います。修辞はそのままにその世界観を維持できなくなっています。なぜそんなことが起こったのか。極論を言えば現代俳句の終わりが民族性への遡行という前さんの選択――同時代の前衛短歌へのアンチテーゼ――を弱めたと思います。誰も言わないでしょうがこのような崩れは岡井隆さんらにも指摘できます。
今号には「現代ならではのテーマをどう詠うか」の特集も組まれていますが現代人はすべからく現代的影響を受けます。現代的テーマを風俗と捉えれば時代ごとに様々な短歌を列挙できますが本質はそこにはない。結局は時代ごとの修辞――その生まれ来る本源的現代性をどう捉えるのかが詩人の真髄です。少しでも選択を誤るとなにをどう工夫しても最後には作品世界の崩れをもたらすのです。
異なってくる、と言ったのは必ずしもいい意味ばかりでなくて、毛穴がひらいていても、ああどうせかならず閉じる、とひらきながら思ってしまう、慣れてしまう、高を括る、ひらいて閉じるを繰りかえしに疲れてしまうということで、いや、疲れてしまう、と言ったのは必ずしもわるい意味ばかりではないし、疲れてしまうものは仕方ない。問題なのは、実際その繰りかえしに疲れてるのに、短歌を詠んだり読んだりするときにだけ毛穴をひらき、〆切が過ぎたら毛穴を閉じるような器用な真似ができるようになるうちに、自分のいま毛穴がひらいているか閉じてるのかもわからなくなる、たましいが生きながら死ぬ、そういうひとの発言や歌は、歌や発言からそういうひととわかってしまう、わかってしまうのはわたしがいま疲れているとわかっているからで、しばらくしてわたしはこの疲れを忘れることができ、また毛穴がひらいたり閉じたりする都度ばかみたいに驚けるわたしにもどることができるのか、あるいはこの箇所の疲れは回復することはないのか、それはわからない。少なくとも疲れている、といういまの認知を忘れないようにしたい、疲れに嘘をつかないでいたい、閉じているのにひらいているふりをしてしまえば、この先わたしの歌はずっと軽いままだろうという、動かしがたい予感ならある。
(斉藤斎藤「論考 短歌の重さとは-テーマ・文体 乗せなすぎてもいけない」)
句読点はありますがのべつ調の短歌のように一連なりの散文なのでワンセンテンスすべてを引用しました。歌壇では斉藤齋藤さんの評価は今のところペンディングというところでしょうが新たな才能を感じさせる作家です。引用の歌論の意味は必ずしもわからなくてかまいません。表現が撞着的で斉藤さんが撞着的に悩み藻掻いていることが伝わればそれで十分というスタイルの散文です。ただここからどこへ一歩踏み出すのかは重要な分岐点です。
「乗せなすぎてもいけない」の「いけない」の否定形にずっと留まっているわけにはいかないのです。必ず選択する瞬間はやって来る。どういう選択をするにせよ選択すれば歌壇はそれを支持するでしょうね。そのくらいの懐の深さはあります。ただこういった悩み深い作家が次々に現れてくるのだから短歌の世界は健全です。
高嶋秋穂
■ 金魚屋の本 ■