「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。
by 小松剛生
『グッドフェローズ』に憧れて
『グッドフェローズ』という古い映画に、何でも2度言う男、という人物が登場する。
「新聞を」
「新聞を」
映画の結末がどんなだったかはいまいち覚えていないけれど、その場面だけは覚えている。
僕は新聞を定期購読していないし(日本の家庭には新聞を定期購読する文化がある、していない家庭も多いけど)、キオスクで新聞を買ったこともない。なぜか定期購読していない新聞はキオスクで買うべきだという偏見が、僕の中にある。
「新聞を」
「新聞を」
僕の人生に、それを言うタイミングは1度もない。
知り合いに魚屋がいる。
魚屋とは文字通り、魚を売るお店をもっている人のことをいう。
少なくとも、彼はそうだ。
駅前の小さな商店街でそのお店を仕切る彼のいちばんお気に入りのTシャツが、前面に「アイ ラブ ミート(わたしはお肉を愛してる」とプリントされたもので、その一張羅(いっちょうら)を店番しているときにもしょっちゅう着ているのを目にする。
「せめて仕事しているときくらい、違うのを着ればいいのに」
僕がそう言うと。
「俺がなぜ魚屋をやっているか、わかるか?」
逆に訊き返された。
質問を質問で返すのはよくないよ、と注意しようかとも思ったけれど、彼は僕よりも物事の本質を理解している人のような気がしたので、それはやめた。
「魚が好きだからじゃないの?」
「それもあるけど、1番の理由はネクタイを締めなくて済むからだ。企業理念的な何かで自由な服を着ていられない仕事にはつきたくなかったから、魚屋をやってるんだ」
ネガティブな理由を元に本職を決めるのはよくないよ、と注意しようかとも思ったけれど、彼は僕よりも物事の本質を理解している人のような気がしたので、それはやめた。
「魚屋がお肉好きの服を着るのは、企業理念的にどうなんだろう」
「お前は物事の薄っぺらい面しか見てないな」
ずばり、指摘されてしまった。
「そうかもしれない」
「いいか、これは肉が好きだっていう言葉以上に、自分の好きなものを自由にアピールしていいんだよっていう、信念がここにあるんだ。体制に屈しない、多数決に負けないロックな精神がこのTシャツに表現されてるんだよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」と、彼は言った。
ロックな精神、という言葉の意味はよくわからなかったけど、なんとなく素敵な響きがそこに感じられた。それを彼に告げると、彼は僕の背中をどん、と叩いた。
「お前もなかなかわかってきたじゃないか」
褒められた。
『グッドフェローズ』という古い映画に、囚人たちがステーキを焼いて食べる場面がある。画面からガーリックの良い香りが漂ってくるような気さえする。魚屋の言う「ロックな精神」が、そこにはあるような気もした。
僕はといえば、今もスーツを着てネクタイを締めて、ヨーロッパではあり得ないレベルの満員電車に揺られる毎日を過ごしている。
途中、キオスクで新聞を買う。
「新聞を」
そして心の中でもう一度「新聞を」と唱える。
アイ ラブ ミート。
僕はべつに彼らの真似をしているわけじゃない。
ただ真似をしているだけと思ったかもしれない君も1度、やってみるといい。ロックな精神は君に屈しないし、真似することを禁忌ともしていない。
君がそれを理解したそのとき。
きっと君だけの魚屋が君の背中を叩いてくれるにちがいない。
おわり
スープーマンの秘密
スーパーマンが変身するための電話ボックスを管理する仕事につきたい。
現実にはスーパーマンなんていないから、僕は存在しない電話ボックスを管理することになる。
誰かがそこで受話器を外すのを、僕はひとりで待っている。
できることなら、そこで永遠に来ることのないスーパーマンを待っていたい。
スープーマン?
スーパーマン、だよ。
「なにそれ」
「知らないかな」
僕はクリーニングに出しておいたコートをとりに来ていた。
コートはクリーニングに出すべきだと思う。
自分で洗うとなるとすこし大変だし、ちゃんと洗うにはそれなりに良い洗濯機が必要になる。
昔、勤めていた会社の上司が僕に「洗濯機は良いものを買えよ」と言っていたのを思い出す。
「良い洗濯機って、どんな洗濯機ですか」
「ある程度、値段の張るやつだな」
そう言って、上司は新人社員の1ヶ月分の給料ほどの値段を口にした。
家庭用の洗濯機としては、それはけっこうな額だったように思えた。「そんな高いの、買えませんよ」
「ばか」
ばか。
上司はもう一度言った。
良い洗濯機を買うのは絶対損しないぞ。
どうせ買うことになるんだから、早いほうがいいじゃないか。
あのときは上司の言葉を無視してしまったけど、今にして思えば、なんとなくわかるような気もする。
「ねえ」
「ん」
「スープーマンって、なに」
僕はもう訂正しようとは思わなかった。
冷静に考えれば、スーパーマンもスープーマンも、そんな変わらないような気がしたからだ。
些細なことを気にするには、人生はすこし短すぎる気がした。
「なんていうか、とにかくすごい人なんだ」
「ふうん」
人なんだ?
うん。
たぶん、と僕は続けた。
「そして、空を飛ぶことができる」
「スープーマンが?」
たぶん、と僕は心の中でうなずいた。
このクリーニング屋は不思議なことに、コートの取り扱いを専門にしていた。
たぶん、町中の人たちがコートを洗いにこの店を訪れている、
小さな町だけど、町中の人たちのコートというとけっこうな数になるらしい。彼女はそれを誇りにもしていた。
「世界中のコートを洗っている気分になる」
どこか誇らしげにそう言って、彼女は胸を張って見せたりする。
彼女は自分の母親とたった2人で、この店を切り盛りしている。
昼食はいつも母親が昨夜作り置きをしていた赤カブのスープと、あとテキトーな何か。
「そういう意味では、アタシもスープーマンね」
彼女は誇らしげに言った。
たぶん、と僕もうなずいた。
それを言うなら君はスープウーマンじゃないかな、とは言わないでおくことにした。些細なことを気にするには、人生はすこし短すぎる気がした。
僕は良い洗濯機をもっているわけじゃないから、無駄な時間を過ごすわけにはいかない。
僕はコートを受け取って、店を出た。
仕事に戻るころには、上空の雲が勢いよく流れ始めていた。
雨が降る前に仕事場に戻ることができそうだ。
スープーマンが変身するための電話ボックスを管理する仕事につきたい。
現実にはスープーマンなんていないから、僕は存在しない電話ボックスを管理することになる。
誰かがそこで受話器を外すのを、僕はひとりで待っている。
できることなら。
そこでスープーマンを待っていたい。
おわり
全部ソラニンのせい
ワープしたい。
する。
それが彼の口癖だった。
しょっちゅう、というわけではないけれど、わりとよく言う程度には、その言葉を発していた。
フォークを決め球にもつ野球の投手がカーブを投げるくらいの頻度で、彼はそれを言っていた。
「たまにはフォークを投げなよ」
わたしは言ってみた。
「え」と、彼が言った。
ワープ。
わたしが知る限り、それはある地点からある地点へ、一瞬で移動することを言う。
あくまでわたしのイメージだけど、なるべく遠い距離を移動することを言う。
たぶん。
その単語はゲームや漫画や小説などで目にする機会が多い気がする。ゲームや漫画や小説に疎い人にとっては、あまり馴染みのない言葉かもしれない。
少なくとも野球では、ワープという言葉はあまり登場しない。
彼はそれをしたいと言う。
できることなら、彼の望みを叶えてあげたい。
じゃがいもの皮を剥いて、鍋に放り込む彼の背中を見ているうちに、そう思うようになった。
なぜかはわからない。
もしかしたら、とわたしは思った。
じゃがいもの芽にはソラニンという毒性の成分が含まれることを、小学校の理科の授業か何かで教わった気がする。
そのソラニンが空気中を介して、わたしに影響を及ぼしたのかもしれない。
だからわたしは悪くない。
すべてはソラニンのせいだ。
「ねえ」
わたしは彼に声をかけてみた。
「なに」
「わたしもたまにはカーブ投げてみようかな」
わたしは言ってみた。
「え」と、彼が言った。
おわり
(第43回 了)
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