アメリカに半月ほど仕事で行っていたとき、テキサスでニール・ヤングのコンサートを見たことがある。事前にチケットを買っていたわけではなく、たまたま車でコンサート会場の前を通りかかったらでっかいポスターが貼ってあった。「ニール・ヤングのコンサートか、行きたいなぁ」と言ったら、数日後、現地の同僚から「ニールのコンサート、行く? 一枚チケットが余っちゃった人がいるんだよ」と言われたのだった。「いいの?」と聞くと「プラチナチケットってわけじゃないから」と同僚は笑った。
当日、何度か仕事したことのあるアメリカ人と待ち合わせてコンサートに行った。一度目か二度目かの妻との間にできた子供と会う日にニールのコンサートに行くことになっていたのだが、都合が悪くなって来られなくなったそうだ。パパの趣味が子供には合わなかったのかもしれない。「会うのは別の日にしてもらったからいいんだけど」と背丈は僕と同じくらいだけど、身体の厚味は倍はあるアメリカ人はちょっと寂しそうに言った。
ぞろぞろとコンサート会場に向かう観客の年齢層は高かった。オジサン、オバサンがほとんどだった。僕らももちろんオジサンである。ステージに登場したニールもやっぱりオジサンで、記憶の中よりずいぶん太っていた。ほんとに簡素というか荒っぽいライブで、ニールは普段着のまま好きな曲を演奏しに来ましたという雰囲気だった。好きなだけ歌い、好きなだけギターソロを続ける。そんなニールにバックバンド、クレージー・ホーシーズが音を合わせてゆく。ただ〝俺様〟的な傍若無人さはなく、バンドも観客もじょじょに自分のペースに巻き込んでゆく。「ああ、ニール・ヤングは変わってないなぁ」と思ったのだった。
Helpless
Neil Young
There is a town in North Ontario
Dream comfort memory to spare
And in my mind I still need a place to go
All my changes were there
Blue, blue windows behind the stars
Yellow moon on the rise
Big birds flying across the sky
Throwing shadows on our eyes
Leave us
Helpless, helpless, helpless, helpless
Babe, can you hear me now?
The chains are locked and tied across the door
Baby, sing with me somehow
Blue, blue windows behind the stars
Yellow moon on the rise
Big birds flying across the sky
Throwing shadows on our eyes
Leave us
Helpless, helpless, helpless, helpless
ヘルプレス
ニール・ヤング
ノース・オンタリオに町があってね
夢と心地いい思い出が詰まってる
僕の心の中には今でも行かなきゃならない場所があるんだ
そこですべての変化が起こったんだからね
輝く星々の後ろには青い、すごく青い窓が連なっていて
黄色いお月様がのぼってゆく
大きな鳥たちが空を横切って飛び
その影を僕らの目に投げかける
僕らを置き去りにして
助けなんてない、誰も助けてくれない、助けなんて、来ないんだ
ベイビー、僕の声が聞こえるかい?
ドアはチェーンでロックされ締めつけられてる
ベイビー、お願いだから僕といっしょに歌ってくれよ
輝く星々の後ろには青い、すごく青い窓が連なっていて
黄色いお月様がのぼってゆく
大きな鳥たちが空を横切って飛び
その影を僕らの目に投げかける
僕らを置き去りにして
助けなんてない、誰も助けてくれない、助けなんて、来ないんだ
『ヘルプレス』はニール・ヤング作詞作曲だが、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの一九七〇年発売のアルバムに収録された曲である。ニールはカナダ人で、トロントで生まれたが子供の頃にオンタリオ州に引っ越しそこで小児麻痺を患った。『ヘルプレス』はだから彼の自伝的作品ということになる。病床から窓を、星と月を、そして飛び立つ大きな鳥を見ていた少年の頃を歌った作品だとも言える。
ただ〝helpless〟――助けが来ない、誰も助けてくれないというのは、少年少女の頃に誰もが抱くさみしさではないだろうか。大人になった僕らは子供は可愛いと思う。無邪気で楽しそうだとも。だけど子供は孤独を抱えている。ほとんど純粋な孤独だ。それは〝絶望〟と呼ぶにふさわしい孤独だが、理由なんてない。だから誰も助けられない。助けてくれない。子供が大人になるということは、この絶望に慣れ、折り合いをつけてゆくことではないかと思う。
Heart Of Gold
Neil Young
I want to live
I want to give
I’ve been a miner for a heart of gold
It’s these expressions
I never give
That keep me searching for a heart of gold
And I’m getting old
Keep me searching for a heart of gold
And I’m getting old
I’ve been to Hollywood
I’ve been to Redwood
I crossed the ocean for a heart of gold
I’ve been in my mind
It’s such a fine line
That keeps me searching for a heart of gold
And I’m getting old
Keeps me searching for a heart of gold
And I’m getting old
ハート・オブ・ゴールド
ニール・ヤング
僕は生きたい
僕は与えたい
僕はたった一つの心の金脈を探し続けてる鉱夫だ
こんな言い方しかできないけど
それは僕が決して与えられない何かなんだ
だから心の金脈を探してる
僕は年老いていくけど
ハート・オブ・ゴールドを探し続けてる
僕は年老いていくんだけど
ハリウッドに行ったよ
レッドウッドにも
心の金脈を探して海も渡った
僕はずっと心の中に持ち続けている
あの繊細で細い一筋を
だから心の金脈を探してる
僕は年老いていくけど
ハート・オブ・ゴールドを探し続けてる
僕は年老いていくんだけど
『ハート・オブ・ゴールド』は一九七二年発売のアルバム『ハーベスト』に収録された曲である。ナッシュビルで録音されたが、ニールはカントリー調の曲を満月の夜にしかレコーディングしなかったという、真偽不明のゴシップ記事を読んだ記憶がある。リリース当時、邦題は『孤独の旅路』になっていたが、今なら『ハート・オブ・ゴールド』でいいんじゃないか。「僕は鉱夫だ」と歌っているのだから「心の金脈」くらいの意味だろう。
ソングライターは嘘つきで正直だ。ヒット曲が出なくなれば平気で節を折る。ただキャリアの最初に正直な曲で成功をつかんだソングライターは、どうにかして原点に戻ろうとあがく。ニール・ヤングもそんなソングライターの一人で、九〇年代には試行錯誤を続けたが、じょじょに自分本来の音楽と折り合いをつけるようになっていった。今やロック・レジェンドの一人だが、ニールらしい磊落さで心の金脈を探し続けている。
音楽に限らないが、どのジャンルでも〝最初に〟なにかを成し遂げた人は偉大だ。フォーク・ロックの世界ではニール・ヤングやボブ・ディランは本当に偉大なミュージシャンだと思う。ときどきニールとボブは、フォーク・ロックの世界で光と影なんじゃないかと思うことがある。ニールはマイペースで飾らないコンサートを開き続けている。新譜を出す時も、ネット上で音源を公開して気に入ったらダウンロードするなりCDを買うなりしてくれ、という姿勢だ。駆け出しのミュージシャンなら絶対許されない。ある意味やりたい放題なわけだ。ボブ・ディランがニールに輪をかけてやりたい放題のミュージシャンであるのは言うまでもない。
ただそれは若い頃にギターとブルースハープだけで音楽を作り、数人の観客の前で毎日毎日歌い続けてきたミュージシャンが〝大人〟になった姿なのではないかと思う。一九六〇年代、七〇年代、二〇〇〇年代とロックビジネスは恐ろしいほど巨大化してミュージシャンは貴重な商品として管理されるようになった。そんな社会の中で〝自由〟でいるためには音楽ビジネス業界と対等に渡り合える力をミュージシャンが持つ必要がある。ニール・ヤングやボブ・ディランの自由は、世界の片隅でかたくなに自由を守ろうとする表現者のそれではない。巨大な社会と渡り合ってきた大人子供が行き着いた、剣呑でもある自由だと思う。彼らは吹きさらしの表舞台にぽつんと立っていて、なおかつ自由だから偉大なのだ。
先日、ボブ・ディランが今年のフジロックに出演することが発表された。単独コンサートで東京ドームが一週間くらい満杯になるディランが、なぜロックフェスに参加するのか、例によって理由は一切明かされていない。しかし出たかったから出演することにしたという以上の理由はないだろう。彼はどこでコンサートをやるのか自分で決められる。ディランが来るのに断るプロモーターは世界中探してもいない。そうやって彼は自分の自由を行使している。
ニール・ヤングとボブ・ディランはけっこう仲良しのようだ。ディランのトリビュートコンサートで実質的なホストを務めていたのはニールだった。ニールのステージはラフだが、ディランのように原曲がわからないような演奏をすることはない。ファンの期待など知らんというふうに、マイナーな曲ばかり演奏することはなくちゃんとヒット曲も演奏してくれる。セットリストはあるだろうが、「あの曲やってくれよ」と叫べば応えてくれそうな雰囲気だ。巨大なアリーナでも、数十人のライブハウスでもいいじゃないかという姿勢が伝わってくる。ニールは明るいが剣呑で自由だ。ステージ上で平気でギターをチューニングし始めて、「ちょっと待っててね」と笑いながら観客に言うオジサンのニールはすごくかっこよかった。
岡野隆
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■