日本テレビ
水曜22:00~
【出演】
綾瀬はるか、広末涼子、本田翼、西島秀俊ほか
【原案/脚本】
金城一紀
【脚本】
八津弘幸
【音楽】
得田真裕
綾瀬はるかは不思議なところがある。まず何でもはまる。何でもできると言うより、はまるのだ。はめた方を褒めたい気が起きるのだが、何でもはまるなら褒めることはあるまい。もちろん他の女優さんも、いったん役に付けば他のキャスティングは考えられない、というふうに感じることは多い。ただその場合、理由を述べることができる。演技力とか、声がセリフに合っているとか。
綾瀬はるかの場合には、あまりその理由が思いつかない。むしろ最適のキャスティングではないような感じもする。そしてその最適ではない感じが、なんとなく他のキャスティングを不可能にさせる。つまりどことなく素人臭いのだ。演技が下手というのではないが、上手さを感じさせない。上手さを感じさせないということが、これはあり、という感覚に結び付くと言えばよいだろうか。
綾瀬はるかの最初の印象は、あの難病の少女の役で形づくられたので、儚げなイメージがまず出来上がった。顔を見ると、だいじょうぶかあ、と声をかけたくなった。そして儚げな雰囲気は今も続いてある。ただそれは難病からくるものではなく、いつまでも抜けない少女っぽさから生じるのだとわかってきた。これでもかという演技力ではない、素人臭さもつまりは少女のものだ。
このような少女っぽさが、どこにあってもいい、どこにでも見られるというのは時代の特徴かもしれない。すなわち綾瀬はるかは、演技力とそこからくる存在感によって女優として立っているというより、時代の要請としてそこに置かれたように思われる。お人形さんのようだ、というのは悪口とはかぎらない。リカちゃん人形だって時代の要請で、時代を具現化する存在だった。
ドラマは荒唐無稽である。元工作員の妻がおとなしくしておられず、様々な事件に首を突っ込む。夫は実は彼女を見張っていた公安職員だった。見どころとしては、綾瀬はるか演じる妻の周囲とずれた感じ、そしてアクションシーンの立ち回りだ。儚げな綾瀬はるかのアクションは確かにいい。アクションというのは骨太の女にやらせるものじゃない、とあらためてわかった。
骨太ではないが胸は豊かで、アクションシーンではそこが見せ場でもある。が、ドラマは男の視聴者をターゲットにしているストーリーではない。女が観ていて、そのアクションシーンでの胸の大きさはしかし嫌味ではなく、なんとなくいいな、と思えるような微妙な大きさでもある。そのへんも女優に与えられた才能の一部、ということになるだろうか。容姿も声もすべてが才能なのだから。
綾瀬はるかの一番いいところは、その与えられたものの中に充足し、演技力やエゴによって何かを付け加えることなく、そこに存在させられている、という雰囲気だろう。そういう工作員がいるとしても、本人のせいじゃない、という感じ。すなわちそんな工作員はリアリティがない、という反発を無意味にしてしまう。夫の方は、そんな公安職員いるわきゃない、と思うのだが。
あらゆるドラマの最終回と同様に、ここでも工作員の妻と公安職員の夫は向かい合って語り合い、それによってドラマの来し方を説明し尽くそうとする。それがいつものように空々しくても、綾瀬はるかのせいではない、と思えるのは人徳の一種だろうか。若い女優はあまり思想や知性を振り回さない方がいい。どうせたいしたことは言えないのだし、お人形さんとして在ろうとする直観の方がずっと知的なのだ。
山際恭子
■ 金城一紀さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■