小森陽一流に言えば、われわれ一人一人の言語能力の水準と質は、一人一人が過去に出会ったありとあらゆる他者、他物とのかかわりの総体として規定されている。安井浩司の俳句が難解なのは、そのようにして形成されてきた言語能力の水準と質とが、私と安井とでは隔絶していることに因っていよう。
安井は『青年経』から始まって、『風餐』まで、数多くの句集を刊行してきたが、明確に誰にもわかるような形でテーマを先行させて俳句を書いてきたわけではない。その点、いわゆるテーマ主義の高柳重信や鈴木六林男などとは大きく異なるところである。そのことも、安井の俳句世界を見えにくくしている大きな理由である。
私にとって非常に見えにくい安井俳句であるが、私の言語能力の水準に何とか引っかかるような作品を選んで、蕪雑な卑見を書いてみよう。
鳥墜ちて青野に伏せり重き脳 『青年経』
「鳥墜ちて青野に伏せり」とは時間と空間の輪郭が明確で、色彩的なイメージも鮮やかである。寺山修司の俳句や短歌を思わせるドラマ性を孕んだフレーズである。だが下五では、寺山のようにドラマ性を展開しないところが、この句の特色だ。時間と空間のドラマへと展開しないで、「重き脳」という内面的な物象性へと飛躍し、統括される。「重き脳」とは一つの詩的判断、断定だ。それは一次的には青野に伏した鳥についての断定であるが、同時に「脳」そのものについての詩的断定へと拡がっていく。そこにこの句のイメージの重層性がある。今流に言えば、ポリフォニックなのだ。
麦秋の厠ひらけばみなおみな 『密母集』
この系統の句は、私には比較的読めるような気がする。
遠い空家に灰満つ必死に交む貝
ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき
叟(おきな)もし向き合えるふたつの空家
盲女来て野中の厠で瞠(みひら)かん
ここに出てくる「厠」「空家」「小屋」とは、その中に入ると何かに変身したり、何かが変容したりするあやかしの異空間なのである。古代からの農山村の土俗的な文化が築いてきたあやかしの世界、「空家」の思想とでもいったらいいだろうか。野中の村のはずれにポツンとある一軒家、古びた空家。そこは少年少女たちにとって禁忌を伴った吸引力を持つ場所であり、大人たちの秘かな野合の場所でもあった。
「麦秋」の句は、野の生命力と、エロスの生命との照応、融合であろうが、土俗的なエロスの鮮やかなイメージを満喫すれば十分であろう。安井には体験的に「麦秋」や「厠」が把握されていたはずだ。今日では「麦秋」も「厠」も体験しにくいので、若い人にはこの句は十分に伝わりにくいかも知れない。
初夏から盛夏にかけて、野一面の麦畑が黄色く稔り、汗ばみ、むせかえるような野の生命力の横溢の中、一軒の外厠の粗末な板戸を開けば、中にはおみなたちばかりが、皆しゃがんでこちらを向いていた、という光景。
犬二匹まひるの夢殿見せあえり
となれば、「空家」の思想を突き抜けた白昼夢。
ふるさとの沖に見えたる畠かな 『中止観』
この系統は、空間的イメージが鮮明な点で、私には比較的理解しやすい。
ひこばえに日本海を流れる板かな
ある沖へ魚より低く神社出づ
沖へでて洗濯板の終るかな
旅人よ茄子にかくれる高野山
これらの句に共通した点は、遠近法をきかした空間的な把握が鮮明な点だ。しかもイメージ的には、安井独特の詩的飛躍が顕著だ。「沖」の思想とでも呼ぶべきものだ。なぜ安井はこういう句を作るのだろうか。紀州のみならず、安井の育った日本海における補陀落思想とでも呼ぶべきものを安井は思っているのではないか。そう考えると納得しやすい。
栗の花劫初の犬に帰らなん 『乾坤』
安井には「旅人」思想とでも呼ぶべき存在認識が一本貫いていることは、その作品を通読してみれば、比較的見やすい。空間を旅する旅人であるとともに、時間を旅する旅人としての本源的な存在認識といっていい。だからそこには無常観というような詠嘆的な要素は入ってこない。また安井は、動植物をはじめとして、さまざまな自然現象も詠み込んでいるが、アニミズムのような汎神的な精神とは異質であろう。この「栗の花」の句は、旅人思想として、時間的に万物生成の太初の世界への思考、願望を詠んだものだろう。
はこべらや人は陰門へむかう旅
は、より肉体的に生成の根源へと遡行するものだ。
「栗の花」の句の、「劫初の犬に帰らなん」の修辞は、安井には失礼な話だが、もしかしたら、「帰りなん」あるいは「帰らばや」という自己の意思や願望を伝える表現ではなかったのか。少なくとも、私は意味的にはそのように一人で理解し、納得している。永田耕衣の俳句に時たま見かける古典文法の破格を、有無を言わせず、詩人の美学に従わしめる、あのやり方である。
御燈明ここに小川の始まれり 『阿父学』
稲の世を巨人は三歩で踏み越える 『霊果』
安井には仏教的な転生思想は希薄である。いわゆる宗教的なにおいは安井俳句からは伝わってこない。この二句に見られるのは異界との往還思想とも呼ぶべきものである。幽界が同時に明界の原初現れるのが前句である。後句は稲作文化の中を大足でノッシ、ノッシと歩いたあのダイダラ坊という巨人の伝説を踏まえた民俗学的な思考であろう。
漆山まれに降りくるわれならん 『阿父学』
藤の実に少しみえたるけさの我 『密母集』
汝も我みえず大鋸を押し合うや 『汝と我』
河原枇杷男の場合、観念的自我としてのわれ、あるいは河原の分身としてのわれが、対他存在としてはっきりと分かれているか、あるいは他の存在物と一体化しているのが特徴だが、安井の「われ」は河原とは異なった現われ方をしているようだ。普段は自分にも見えないわれが、ふと見えてくるときがある。それは存在の中にあったものが、そこから抜け出したり、浮き出したりするようにして見えてくるという在り方をしている。安井のわれの発見とは、未分からの分化的な発見である。「汝も我みえず」の句は、それとは異なり、対他存在としての我も汝もお互いを見ることが不可能だという存在認識と、そういう存在として互いに関わっている在り方を詠んだものだろう。
人とねてふるさとの鍋に風あり 『中止観』
花曇る眼球を世へ押し出せど 『汝と我』
前句は安井がめずらしく風土の中に安らかに身を横たえた句で、大岡頌司の土俗的な郷愁俳句に最も近づいたものと言っていい。だが、安井にはこういう率直な郷愁を誘う句はほとんどない。去る二月に開かれた「安井浩司を囲む会」の席上、安井は、寺山の『田園に死す』をきっぱりと否定する自己の軌跡を語った。大岡頌司の路線とはきっぱりと分かれた方向を意識的にとってきたのだろう。
後句は、読みようによっては、めずらしく社会性を感じさせる句である。安井には、いわゆるイデオロギー的に社会性を志向したような句はほとんどない。「眼球を世へ押し出せど」という表現には、社会性へとふくらむものを表現自体が内包している。その点で、めずらしく目が留まったのである。
淋しさに寄れば孟夏に揺れる花 『乾坤』
最後に日本人の伝統的な美意識に素直に触れ、かつ主体と客体の合一という伝統的な作句方法に素直に従っているような句を挙げておこう。こういう伝統的な書き方でも、存在の淋しさに十分肉薄できるのである。
蓼の花わきに淋しき犬の妻
という句もあったと思う。『安井浩司全句集』(沖積舎)が目下、行方不明なので、テキストはやむをえず、立風書房の『現代俳句集成』を使った。この句は、テキストに載っていないので記憶で書いた。あるいは表記その他、誤りがあるかも知れない。
以上、安井浩司がさまざまな方向に、広く深く放射する俳句の一端を、私が何とか読めるものに絞って綴ってきた。こういうわかりやすい句の他に、実は、私ごときにはとても読めない句がたくさんある。混沌とした世界が背後の闇に広がっていて、それが安井俳句をぶ厚くしていて、大きな魅力になっているのであるが、それについては別に、炯眼の士が解き明かしてくれるであろう。長年、同世代の友人として近くにいたからといって、他者がよく見えるというわけではないのである。
川名大
(『未定』第70号・1996年・特別号・特集 安井浩司より転載)
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