■たましいの仕掛け■
記事は古いが「朝日新聞」(一九九三年一月一〇日付け)家庭欄「おはなし おはなし」に、河合隼雄が大橋力(別名、山城祥二)の案内で始めてパリへ出掛けてガムラン演奏に触れたときのことを書いていた。西洋の音楽は表情がとても大切で、奏者の心の豊かさを通じてその音楽を享受するが、ガムランの演奏は目に見える感情表現などはどうでもよく、個々の人の心より全体としての魂が直接聴く人の魂に作用してくる、これは心というより魂の演奏だというようなことだった。こちらは、この心理学者の、概念があいまいになり易い「こころ」と「たましい」のシンプルなレベル分けにちょっと驚いたが、このわかり易さにかまけてしまいそうにもなった。続いて彼は、「われわれがほんとうに安らぎ、心も体も全体として根づいて感じられるためには魂とのつながりを持つ必要がある」と書いている。随想だから仕方ないが、なぜガムランをより高次の魂の音楽と受け止めたのかあまり具体的でない上に、「魂を大切にするのはどんな道があるだろう」と、結句は放り出しにしていた。
ぼくはこの島に渡ると、今日はティルタ・サリ、次の日はスマラ・ラティ、さらにグヌン・ジャティと、毎晩のように土地の歌舞団を聴きまわる。彼らとて好不調があり、河合の感想にただちに同調できかねるところもあるのだが、ただガムランの演奏に惹かれてきたことの一つに、たとえプリアタンの子ガキの新舞踏に伴奏する下手くそおばさんバンドの演奏であっても、気分をよくする薬効のようなものがあるのは疑えない。それを他の音楽と比べて、鉦の音がα波を高めるのだと、大橋などは分析している。バロンの獅子頭の口中に下がる鈴の音は、演者がもろにふりかぶることになるからα波を出す効果はさらに強烈だ。もう一つには音の微妙なズレを作って、音を生かす方法がある。
これらは「魂」の一つの仕掛けだと種明かししてもいいようなもので、そうした仕掛けは、バンジャールと称する習慣ムラの共同体が昔から取り込んできたものの一例に過ぎない。バンジャールでぶらぶら暮らしていると、そうしたある種の知恵・修練から、しきたり・拘束のようなものまでいっぱい見つかる。一つ一つは成程でも済むことだが、この「ようなもの」という束が曲者で、極端な言い方なら、それは自己を失うかのように他者と一体化できるような仕掛けが多々あるということだ。それはグレゴリー・ベイトソン流に言えば、彼らの「危機」意識とかかわるのかもしれない。ぼくは心とか魂とかいうことばを使うのを意識的に嫌っていた。どうせ「魂」ということばが出てきたものなら、この際できるだけ広くとらえて、そうしたシステムの束まで魂の領域に加わるものとしておいてもいいと思っている。
河合の文章からは、デカルト以来の精神と身体という近代が作り出した考えの、批判による世界の二分法が見え隠れする。個としての精神のありようを問題にしてきた西欧思想からは、何かが脱落するのではないか。心の問題にまでは行き着くことができても、それから登りつめる魂のかかわりとなると至難なことにならないか、などなど。そこのところを解決してくれるのがアジア的なやり方だ、と言っているようだ。列島という土着の地を拠点に朝鮮半島から大陸のほうにまで思想的に目を向けている安井浩司には、そうしたアジア視点が有効に働いている。早くも、彼の第二の句集『赤内楽』には、すでに人間のシステム自体を見直そうとする兆しがみえ、次の『中止観』につながるものとなった。彼が問題にしてきたのは、一つの方法として有機体である世界と人間の修復を目指そうとするものだ。断りを入れるが、「見直し」とか「修復」とか、つい気軽に書いてしまっているのはぼく自身であって、彼にはそれを見出すための苦渋に加え、先のことばを使えば「危機」を知ったのが次の展開につながった。
各句集の後記を並べ読みすると、各句集が彼にとって霊峰登頂の何合目に当たるか判断できるように一貫性をもって書かれていることとその筋道の太さにおどろく。下手なつづら書きなら、以下のようなものとなろうか。
危機としての人間存在の側から道をのぼりながら、「〝もどきの思想〟を興しつつ」「熾烈な居直り」(中止観)を果たし、さらに「未見の旅に赴いた」(密母集)。そこに「わが生命の東洋的源泉を確信」(同前)し、「霊的に上昇していくことの意味」(牛尾心抄)を問うた。「あわよくば魂をこそ救い果た」(乾坤)し、「大いなる〈空無〉」(氾人)を「抱き、かつ抱かれる」(汝と我)ことを願った。少なくともそこに、作品たちが「新しいアニミズムの意志と、汎生命的なものの主宰性を呼吸」(同前)するところをみられたい、とするものだ。
だから『安井浩司全句集』(沖積舎一九九三年刊)は句集寄せ集めのオムニバスではなく、他の作家たちの全句集とは全く意味を異にする。ここまでくると俳句はなお叙情をまといながらも、何をなしているかを読みとることになる。安井はこれを「〝叙事〟の全機能」(『風餐』)という。
安井はいままで問題作を作ったこともなければ、ましては表層万能とみえる現代状況に食い込んでくる作家でもない。「がんらい私の詩は状況に対して自己主張することや対世界を攻め落とすことを嫌う」(『乾坤』後記)という言葉に出会ったとき、ぼくなど、詩が状況に対して自己主張できる微妙さにあきれ果てているし、対世界を攻め落とすことははじめからできっこないと思っているから、書きつけられたのは、低エントロピーによる、思想で立つの詩(俳句)の方法論的困難さからの克服を吐露した発言だと思ったほどだ。彼は一つのエコシステム(生態系)へと少しずつエナジーを注入することだけに賭けてきた静かではげしい作家なのだ。
■意識というシステムから■
人間は一般にその人がみたいと思うものを見るのであって、それ以外のものは見ない。これは意識的な生き方で、むしろそうなるように意識に従った生きたかをしてきた。敷衍すると意識と目的はぼくらの種の特徴だった。その意識の最も先端の「みる」は無警戒に俳句に数多く登場し易い。西東三鬼は初心者向けに平板な「みる」を句の中にまで持ち込む不用意を戒めた。松尾芭蕉の「もののみえたるひかり・・・」はものとの交感の機微を一歩進めて説いたものとも解すことができる。当然ながら安井には安易な「みる」使用の句は極端に少ない。有っても否定だったり、〈阿母をみるにせあかしやに眼がひとつ〉のように、「みる」ことの怪しさを再確認するものだったりする。安井の句の中の動植物達の奇態さに気づく者は多いが、平板な「みる」を超えたいわば思念で透視した先で読むなら、句中の動詞が引き受ける生態学的なかかわりがより大切だ。奇態な句々は合して、安井の意識システムの糸の束をなしている。そんなところを踏まえた「生態学的安井動植物句鑑」を作る奇特な者はまだあらわれない。
ぼくは意識下の世界ですでに知っていることを意識のレベルで発見するということに一生の大半を費やしているのだろうか。それは文化的レヴェルから生理的レヴェルにまでも及ぶ大事業だ。フロイドは夢を「無意識の王道」といった。そこには芸術から宗教心まで組み込んでもいいほどの無意識の広大な世界がある。傑物フロイドが間違ったのは、無意識をすべて意識へ上昇させて処理できるとした過信からで、彼は無意識を扱っても意識的人間の優位さを保ちたかったのだろう。ぼくらの目的意識も生をつくる切れ端に過ぎないと考えれば、意識だけでなく、精神の全体にかかわるようにしないといけない。安井にはユングの評価を聞きたいのだ。
たぶん人間というシステムが目的意識にだけ縛られていれば、人間自体を破壊していく要因になってしまう。思考の操りに巧緻さをみせる詩人安井は、より解放のサインとなるエコロジーとか参加という概念に踏み込まない(注・ここでの「エコロジー」と「参加」には初源的な知に組み込まれていたものを指さない)。フロイドが無意識を汲み上げて意識の解剖台に乗せたのなら、安井は無意識の通過性あるいは透過性とでもいうような回路をみつけていったように思う。
表現としては回路という名はトーテミズムとかアニミズムとか呼ばれるものに接近する。無意識界に怪しい動植物が育つとして、これを「霊的」などということばだけで処理するにはケアを要する。ものに霊がついているのではないからだ。それでは従来の自然と人間、精神と身体との二分法と変わりがない。人間の下界の岩や木や魚が霊的存在と認識するところにはじめてアニミズムが成り立つ。ぼくのほうから言えば、内在する精神は身体に在るのではない。もっとシスティマティックな関係性のなかに在る。自分とその対象物の関係の、回路という名のネットワーク、それは個人的レベルでの忘我的ないし自我的ビジョンではない。内外有機的多様の交歓があってはじめて安井の句が原初的な知に彩られることをみるべきだ。そこでは精神をめぐる知が、いかなる意味からも美的認識というかたちになる。
■「汝と我」あるいは自己の他者性■
これは知恵の句だが、だいぶ以前に、安井の、
鳥渡る烏波尼沙陀もふろしきも
という句をみつけ、『ウパニシャッド』の有名な命題「汝はそれである」をかぶせながら鑑賞したことがあった。以来句に「ふろしき」が出てくるたびに面白く読めたのだったが、このあたりから「汝と我」意識の覚醒が強くなったようだ。一例をあげ句集名にもなった「汝と我」の関係をみる。
汝も我みえず大鋸を押し合うや
という句がある。お前がみえないなら俺もみえない。別の言い方なら〈有耶無耶の関ふりむけば汝と我〉だ。また〈麦刈って我とかれを束とせり〉という混同もあり、さらに「汝と我」の混雑ぶりは他にもあって、たしか暗黒舞踏ぶりに女装した安井を思わせる句まであった筈だ。
安井にとって「汝と我」は二者の相対的ないし対立的関係ではない。「汝と我」は接近し、スキンシップを示すどころか存在をあいまいにしながら重なりもする。もともと「汝」ということばは「我」の反映で認識される「なむち」であり、「我」と近似の語彙であった。一昔前まで使われていた「手前(「てまえ」あるいは「てめえ」)」も、彼我の分離が十分ではないことばと気づくだろう。オルタビオ・パスならこれらを「自己の他者性」に加えてきっと喜ぶ筈だ。パスは『弓と竪琴』(一九五六年初版/牛島信明訳国書刊行会八〇年刊)の「詩的啓示」の後半部で、「彼我未分」「(自己の)他者性」「空無」など安井が好みそうなキーワードを多用し、詩的インスピレーションについて一気呵成の激白をしている。
この文章に結論はない。何をもって優れたというべきかという問いかけがあるにしても、長く認められている優れた思想は照射力が強い。安井はそんな思想を入手したばかりか、その詩化をなし遂げた。ぼくは、C・マクフィーやJ・ベロまたG・ベイトソンやM・ミードなどの足跡を求めてパリへ渡るものだから、かつて反体制の教祖的役割も担わされたベイトソンにこと寄せて、安井浩司の俳句と思想の敷衍をしたに過ぎない。近似のタブローのもとで読みかえも一興だろう。いま思想は人の時代への関心のありようで忽ち衣装を変え、変貌をきたす。俳句の行方くらい読めそうだが、読まない。文学などというものは、あるときはどこで何を外すかという逸脱でさえ意外な果実をつけたりもするからだ。列島北方にモンク安井浩司の存在を認知するにやぶさかでなく、それは俳句界を憂える者の慰籍の一つなのは確かなことだと思う。
阿部鬼九男
(『未定』第70号・1996年・特別号・特集 安井浩司より転載)
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■