NHK
9月16日21:00~
【出演】
寺島しのぶ(節子)、南果歩(彩子)、忽那汐里(美花)、役所広司(小森)、ジョシュ・ハートネット(ジョン)
【作・演出】
平栁敦子
『OH LUCY!(オー・ルーシー!)』は平栁敦子監督作品で、第42回トロント国際映画祭ディスカバリー部門出品作品である。映画業界のことに詳しくないのだが、高い評価を受けた作品でなければ出品作に選ばれないらしい。『OH LUCY!(オー・ルーシー!)』の公開自体は2018年だがドラマ版がNHKで制作されて放送された。映画版とほぼ同じキャストである。
寺島しのぶ演じる節子は趣味もなく彼もおらず、家と会社を往復する毎日を送っている独身の中年OLだ。住んでいる部屋はいわゆる汚部屋である。彩子(南果歩)という姉がいるが、彩子は節子の彼を奪って結婚し、美花(忽那汐里)という娘を産んだ。当然、節子と彩子の仲はギクシャクしている。彩子と娘の美花の仲もうまくいっていない。夫(節子の元彼)とはとっくに別れている。
姉の彩子は独善的なところのある女性として描かれている。彼女の中に倫理的とも言えるなんらかの規範があるのだが、それが他人にはわからない。たとえば節子が自動販売機で飲み物を買って飲んでいると、「連れがいるときは、普通、何か飲みますかと聞くもんじゃないの?」と嫌味を言う。節子が怒りを押し殺して「お姉さん、何か飲みますか?」と聞くと、「いらない」と拒絶するのだ。
こういう人、いるよなという緊張感あるリアリティである。ただそれが腑に落ちるためには現実に近い間が必要だ。連続テレビドラマではなかなか出しにくい。『OH LUCY!(オー・ルーシー!)』は映画を元にしたドラマであることがはっきりわかる。
姉と姪っ子しか身内のいない節子は、若い姪の美花に甘くならざるを得ない。前金で振り込んだ英会話教室の権利を買って欲しいと頼まれ、渋りながらお金を出してやる。解約はできないが受講者が変わるのはいいのだった。六十万円という大金だ。その金を持って美花は英会話教室のジョン(ジョシュ・ハートネット)とアメリカに駆け落ちしてしまう。
ジョンはまあ、よくいるなんちゃって英会話教師の一人だ。美花に代わって節子もジョンの授業を受けるのだが、アメリカン・イングリッシュを教えると言って初対面でハグされる。また金髪のかつらをつけ、ルーシーと名乗るよう求められる。英会話が上達するための「魔法」なのだと言う。
節子は確かに魔法をかけられる。ジョンにほのかな恋心を抱き、一人っきりの部屋で金髪のかつらをかぶって化粧する。ジョンにハグされて陶然とした表情を浮かべる寺島しのぶの演技は相変わらず素晴らしい。
美花から絵はがきが届いたのを機に、節子は有給を取ってアメリカに行くことにする。美花のことが心配だからだが、ジョンにもう一度会いたいからでもある。ところが「あの子(美花)はもう死んだと思ってるのよ」と突き放した姉の彩子がいっしょに行くと言い出した。
姉妹と姪という女たちの関係を描く方法はいくつもある。疎遠でも血縁には違いないのだ。ある瞬間にはどんなに親しい他人よりもお互いの心を理解し、スッと和解して打ち解け合うことができる。節子と彩子は過去に一人の男を巡って争ったわけだが、節子の元彼で彩子の夫であった男は去っていった。それはジョンも同じである。
アメリカに行ってジョンに会うと、美花とはすでに別れていた。美花の方から別れたのだった。ジョンに妻子がいるとわかったからである。それもあり、節子は強引に迫ってジョンと寝る。別れたはずなのに、ジョンは「美花には言わないでくれ」と頼む。このあたりのジョシュ・ハートネットの優柔不断な演技もよかった。日本人の女優三人と比べると巨体といっていいのだが、身体の大きさほど強い心を持っていない男を演じている。
偶然美花と再会した節子はジョンと寝たと告白する。節子を「叔母さん」ではなく「オバサン」と蔑んだように言う美花に腹が立ったからだが、ジョンを愛しているからでもある。美花とジョンが別れたと聞いていたからでもある。しかしジョンと美花が、別れてもまだお互い未練を抱いていることも知っていた。それら複雑な感情を断ち切るための告白でもあった。節子は初めて自分から行動したとも言える。彼女に魔法をかけたのはジョンなのだ。
節子の未必の故意としての悪意であり、ジョンと美花の関係は完全に終わったのだと確認するための淡い期待は、美花の「このクソババア」という半狂乱を引き起こしてしまう。二人が話していたのは崖の上だが、美花は崖から海に転落する。事故なのか自殺なのかはわからない。ただ病室で意識が戻り、彩子と節子、ジョンがいるのに気づいた美花は、節子とジョンに「Get Out!」と言う。ジョンを追いかけ外に出た節子は「I love you」と繰り返すが、「I don’t love you」と完全に拒絶されてしまう。平栁監督が『OH LUCY!(オー・ルーシー!)』で描こうとしたのは女同士の相互理解ではない。主人公節子の完全な孤独、どこにも、なにも救いのない孤独である。
作品の冒頭で節子が朝の通勤電車を待っていると、後ろで鼻歌を歌っていた男が突然耳元で「じゃあこれで」と囁き、投身自殺してしまう。節子は表情をまったく変えない。都会という地縁・血縁で結ばれていない社会で生きている以上、他人の死は自分に関係がない。ニュースを見てかわいそうにと思うことはあるが、現実には関わらない方がいいと多くの人が思っている。田舎の共同体ですら、一人の人間の生を救うことができなくなっている。まして個々に切り離された都会の人間が、追い詰められた他者の生を救えるはずがない。中途半端に関われば、自分も、追い詰められた人もさらに傷つく。
ただ自殺した男は寂しかったのだ。誰でもいいから最後の挨拶がしたかった。それがたまたま節子だったということだ。節子もまた男と同じ立場に追い込まれる。夢見て行動したことが彼女を追い詰めた。
ラストシーンは冒頭と同じ駅のプラットホームだ。いっしょにジョンの英会話の授業を受けていた小森という男が節子を救ってくれる。役所広司の抑えた演技も素晴らしかった。しかしこれはフェアリー・テールだ。ドラマがドラマチック(劇的)であるためには必要だが、現実には起こらない。起こり得るのは節子が陥るような、自分でもどうしようもない孤独だけだ。作品を見終わった後のもの悲しさはそこから生じている。
しかし人間は、節子のように行動したから追い詰められるのだろうか。行動しなくても、家族や仲間に囲まれて幸せそうでも本質的に孤独なのではあるまいか。ただ人が時に孤独を求め、だが本当の孤独には耐えられない生き物であるのも確かである。孤独を癒やすには魔法が必要なのだろうか。その魔法はどこにあり、どんなものなのだろうか。それとも孤独に耐えられる強い人になるべきなのか。答えは出ない。だからドラマが、物語が幾度も作られ、そのたびに果てしない自問自答を繰り返すことになる。秀作ドラマでした。
田山了一
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