『大英自然史博物館』展
於・国立科学博物館
会期=2017/03/18~06/11
入館料=1600円(一般)
カタログ=2000円
久しぶりに国立科学博物館に行った。国立科学博物館本館の建物は本当にいい。上から見ると飛行機の形をしていることで知られるが、螺旋状に展示室が配置された内部も素晴らしい。吹き抜けはさらに魅力的だ。上野の美術館では、国立西洋美術館が先頃世界遺産に登録された。ル・コルビジェの設計が評価されたわけだが、うーん、という感じである。行ってみればわかるが、国立西洋美術館の導線はお世辞にも考え抜かれたものだとは言えない。またどうも照明が映えない。単なる予算不足なのかもしれないが、大きな油絵になると、上の方が光って見えないことがままある。モダニズム建築の典型と言われるが、モダン建築って、こんなにつまんない建物なのかなぁと思ってしまう。
そういった不満は東京国立博物館や国立科学博物館では感じたことがない。東博の本館は非常によく考えられた設計だ。照明設備が未熟だった大正・昭和初期には、天井近くの明かり取りから光が差し込んでいたはずだが、作品は見やすかったのではないかと思う。ちょっと迷路めいていて、だけど十分な広さを備えた国立科学博物館も同様である。この二つとも当時の文部省のお役人が設計したようだが、アウトラインを指示しただけで、細部を詰めることができなかったコルビジェの国立西洋よりずっとよくできている。コルビジェ先生の設計であるゆえ、前川國男らの現場組は下手に手を入れられなかったのかもしれない。
もちろん国立西洋は戦後に松方コレクションを収蔵展示するために建てられた日本初の西洋美術専門の美術館で、高い歴史的価値がある。でも東博や国立科学博の建物の方が古いし日本人が建てたんだよねぇ。それは誇れないのかな。コルビジェ設計だから世界遺産というのがなーんか気に入らないのは、あんまりいい建物じゃないよというのとは別に、御維新以降のヨーロッパコンプレックスがいまだに残っているような気がしてしまうからである。
でもまあ作品の評価は時代によって変わってゆく。そのうち東博や国立科学博物館の素晴らしさに気づく人も増えるだろう。虚心坦懐に見れば、国立西洋なんて目じゃないよということになれば、それはそれで一つの成熟なのではないかと思う。
始祖鳥
ドイツ ジュラ紀後期 一億四七〇〇万年前
大英自然史博物館所蔵品で一番有名なのが始祖鳥の化石だろう。必ず教科書に掲載されている有名な化石である。最初の標本は一八六一年、和暦では最幕末の文久元年(万延二年)に発見された。この化石が爬虫類、つまり恐竜から鳥類への進化を物語る大発見だったのは言うまでもない。ただ発掘調査が基本となる考古学や自然科学は、新たな発見によってそれまでの理論や仮説が書き換えられる学問分野である。
だから始祖鳥もまた、学問的変遷にさらされ解釈が変わっているのかなと興味津々だったが、その位置付けは今も不動のようだ。最初の発見から百五十年以上経つが、始祖鳥の化石は世界で十二点しか発見されていない。学者によって始祖鳥は飛べなかったのではないか、鳥類ではなく恐竜の一種なのではないかという見解の相違はあるようだが、今のところ羽を持つ生き物――つまり最初の鳥であるのは確かである。より古い化石が発見されてももっと進化した化石が見つかっても、始祖鳥が基準標本になる。また始祖鳥はダーウィンの進化論の証左としても重要な化石である。
チャールズ・ダーウイン『種の起源』手稿
一八五八~五九年頃
ダーウィンの『種の起源』が発表されたのは一八五九年(安政六年)のことである。『種の起源』が自然科学の分野のみならず、哲学や文学に至るまで甚大な影響を与えた本であるのは言うまでもない。自然界は隅々まで神の意志によってデザイン(創造)されたのではなく、生物の生存競争に基づく自然選択によって、自律的に進化してきたのではないかと説いたからである。無神論に基づく進化の法則が全世界に衝撃を与えた。
エジプト・ギリシャの昔から、広義の西側世界では自然科学の研究が盛んだった。歴史の荒波にさらされ一時は忘れ去られたが、医学、数学、天文学、物理学などが驚くほどの精緻さで研究されていたことが今日ではわかっている。ガリレオ(一六四二年没)のように、地動説を唱えて宗教裁判にかけられた科学者もいる。ガリレオ宗教裁判については謎が多く、有名な「それでも地球は動く」という彼の言葉も今では後世の脚色だと考えられている。またガリレオは無神論者だったわけではない。ただ当時は多くの人々の心の中で、科学と宗教は分離していなかった。
その科学・宗教分離のメルクマールになったのも『種の起源』である。もちろん十九世紀後半でも科学と宗教は完全に別ではなかった。そのためダーウイン派は白眼視され、明治維新で欧化主義を国是とした日本に、エドワード・モースのような無神論的進化論者らが大量に招聘されたりしている。西側キリスト教圏と比較すれば日本は無神論の国だった。実際、唯一の神を世界創造主と考えない日本では、あっけないほど素直にダーウインの進化論が受け入れられた。また進化論を基礎とする日本人の考古学者、人類学者、植物学者らが次々と生まれた。世界は狭くなっていたのである。
ビーグル号の航路
ダーウィンは書斎の研究者ではない。一八三一年十二月から三六年十月まで、ほぼ五年をかけて世界を一周し、各地で昆虫、植物、動物、化石などの標本を採集した。マゼランによってすでに一五二二年に世界周航航路は明らかにされていたが、危険を伴う旅だった。ビーグル号はまだ帆船だった。
ダーウインはフィールドワークによって、地球上の各地で気候や生態系に合わせた生物が生息していることを発見した。イギリス帰還後、ダーウィンは二十年以上をかけて調査結果を整理して『種の起源』を書いたのである。ただ自然科学の発展を後押ししたのはダーウィンのような現場の研究者だけではない。いわゆる広義の〝種の起源〟――人類や生物の起源と発展を明らかにしたいという知的興味は同時代の多くの人々の心を捉えていた。
キリンの頭
アフリカ ウォルター・ロスチャイルド・コレクション
大英自然史博物館のコレクションに、第二代ロスチャイルド男爵、ウォルター・ロスチャイルドの膨大なコレクションが含まれていることはよく知られている。ロスチャイルド家は銀行業で財をなし、第一次世界大戦から二次大戦にかけては、イギリスの国策をも左右するほどの政商だった。ただウォルターは子供の頃から自然科学に強い興味を示し、早々と実業から手を引いて蒐集と研究に没頭してしまった。ウォルターはロンドン郊外のトリングに私設博物館を作り、コレクションを展示して研究の場とした。その多くが今は大英自然史博物館に寄贈され、今は大英自然史博物館鳥類部門となっている。ウォルターの研究は玄人はだしの本格的なものだった。
キリンの頭はウォルターの膨大な剥製コレクションの一つである。ノミの研究で成果を上げたウォルターからすれば、何もキリンの頭を紹介しなくても、ということになるかもしれないが、この剥製は巨大さと、ストレートに言ってしまえばその残酷さで見る人の目を奪う。人間に置き換えればいわゆる生首だ。自然科学者としてのウォルターの功績とは別に、彼の研究がヨーロッパ帝国主義によって成立したのは事実である。ウォルターはその膨大な富を使ってイギリスにいたまま、世界中から標本を集めた。植民地にいたヨーロッパ人だけでなく、日本人の蒐集協力者もいた。
ヨーロッパ帝国主義とは植民地時代のことである。ヨーロッパ列強は中東から東南アジア、東アジアの広大な地域を植民地化した。南北アメリカもイギリス、フランス、スペインなどの植民地だった。そこで生まれた膨大な富を、本国の一部の富豪が享受していたのである。大航海時代以来のヨーロッパ人の世界制覇の夢が、まがりなりにも実現したのだ。また〝世界〟という視点は人間の認識系を変える。自然科学の発展は、つい先頃まで続いた、人間による動植物の制覇、世界創造解明の第一歩でもあった。
リチャード・オーウェンとモアの全身骨格
モアの全身骨格はニュージーランド 完新世 約五〇〇年前
大英自然史博物館の基礎を作ったのは、優れた比較解剖学者・古生物学者として知られるリチャード・オーウェンである。政治家でもあったオーウェンは、十八世紀初頭の医師で自然史研究家だったハンス・スローンの七万点を越えるコレクションが大英博物館に買い上げられたのを期に、新しい博物館の建設を提言した。アルフレッド・ウォーターハウス設計で一八八一年に完成した建物が、今の大英自然史博物館本館である。
オーウェンは化石を元に、初めて「恐竜」の名称を付けた学者としても知られる。すでに絶滅種だったモアの全身骨格と一緒に写るオーウェンの写真は、彼の写真の中で最も有名なものの一つである。オーウェンは解剖学者としての知識から、モアは飛べない鳥だったと断定した。オーストラリアやニュージーランドでキーウィなどの飛べない鳥が実際に発見されるのは、オーウェンが論文を発表した後のことである。
オーウェンとダーウィンが不仲であり、激しく対立したことはよく知られている。学問的な見解の相違ばかりではない。二人を対立させたのは極論を言えば宗教観である。オーウェンは動植物が変化し進化して来たとしても、そこには大いなる神の意志があるという思考を堅持した。それに対してダーウィンは無神論的で、自然淘汰と環境適合が変化と進化の基礎だと考えた。ただキリスト教神学を棚上げすれば、二人の論争は今日まで続く根深いものである。
晩年のダーウィンは、自らの理論が「進化論」と呼ばれることを嫌悪した。彼は教会には通わなかったが、完全な無神論者だったわけではない。生物は自然選択による淘汰で生き残るとは考えたが、そこに何らかの法則があるかもしれないことまでは否定しなかった。その法則の主宰者が神だとは考えなかったということである。つまりダーウィン理論は帝国主義や産業革命と歩調を合わせた無際限の進化論ではない。実際、進化という側面でのダーウィニズムは今日では否定されつつある。
ネアンデルタール人のゲノム
初期の採集と標本の比較研究を中心とする自然科学は、今日ではDNA解析にまで進んでいる。ネアンデルタール人のゲノムまで分析されており、その結果は九十九パーセントまで現代人のものと一致するのだという。しかし残り一パーセントが現代人と類人猿を分けた可能性もある。またそれが環境変化による自然適応的なものだとは限らない。突然変異が劇的に生物を変えた可能性も高い。そこに法則はあるのか。恐らくあるだろう。ただそれはまだ見出されていない。
自然科学の研究成果によれば、地球上の生物は過去五回の大絶滅を経験している。その大絶滅を生き残ったわずかな種の子孫がわたしたちを含む今の生物ということだ。研究者の中には地球は六度目の大絶滅へと進んでいると考える者もいる。そうかもしれないし、もうそういったことは起こらないかもしれない。
ただ人間という種に限定すれば、一度始まった動きを止めることは誰にもできない。文明の利便性をすべて捨てて原始への回帰を叫ぶ人もいるが、賛同する人は少ない。人類は新たな発見と発明によってしか、危機を食い止めることができなくなっている。石油に代わる効率的で安全な燃料が発明されれば二酸化炭素放出量は減るかもしれない。原発に代わる大規模発電システムが生み出されれば災害リスクは減る。しかしそれを生み出せなければリスクは残る。
またわたしたちが、バラ色の進化という未来に懐疑的になっているのも確かである。人間の発展と膨張のサイクルを、どこかでバランスあるものにした方が良いと考え始めている。ただもしそんなことが可能だとしても、その原動力は科学を始めとする学問成果からしかもたらされないだろう。わたしたちは人間の学問的良き意志を信じるほかない。大英自然史博物館所蔵品の多くは今ではもう骨董品だが、十九世紀から始まり未来へと続く学問の遺品でもある。
鶴山裕司
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