久しぶりの故郷。思い出したくない過去。でも親族との縁は切れない。生まれ育った家と土地の記憶も消えない。そして生まれてくる子供と左腕に鮮やかな龍の入れ墨を入れた旦那。それはわたしにとって、牢のようなものなのか、それとも・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑による連載小説第3弾!。
by 寅間心閑
二 (後半)
ワンピースに着替えながら考えている。
唐津での待ち合わせの時間を決めた佳奈美は、「じゃ、後でね」と手を振ってタクシーに乗り込んだ。電車で行けないような場所にホテルを取るわけではあるまいし、と少しだけ引っかかった。田舎の一駅は遠い。お金には困っていないとするなら、いったいあの子、どんな暮らしをしてるんだろう。また、頭の中がぐるぐると動き始めている。
大阪のような都会なら、羽振り良く暮らす二十一歳の女の子など珍しくないのかもしれない。やはり水商売だろうか。
でも、私がスナック勤務の頃に貰っていた金額くらいでは、到底贅沢など出来っこない。一人暮らしなら尚更無理だろう。もしかしたら、と暗い方向へ考えが進む。止めたいが、もう手遅れだ。特に悪い想像は坂道を転げるように加速してしまう。
もしかしたら、一人暮らしというのは私に気を遣った嘘で、本当は母親や私の知らない「父親」と一緒に住んでいて、稼いだお金は全部使えるのではないか――。実は昨晩の通夜には母親も出席していたのだが、親戚一同示し合せて私には内緒にしているのではないか――。
まずい、と思ったが手遅れだった。こめかみの辺りが痺れてくる。意識を逸らす余裕はなかった。ベッドに身体を投げ出し、痺れが治まるのを待つ。寝心地が良いからか割と早く回復はできたが、それでも虚しい時間に変わりはない。
軽くため息をつき、鏡の前で髪を整える。ワンピースとハンドバッグがちぐはぐだが、まあ仕方がない。適当なバッグがあったら買えばいいや。そう考えながら部屋を出て、唐津へと向かった。
ほぼ待たずに電車に乗れたせいで、十分ほど早く唐津駅に着いてしまった。当時、佳奈美と待ち合わせていた北口に出る。南口の方には行ったことがない。そもそもあの頃は改札口の名称など気にしていなかった。
コンビニエンスストアのATMでお金をおろし、周辺の様子を見渡していると、目の前にタクシーが停まった。大きなサングラスをかけた女性が、窓から顔を出して笑っている。
「姉ちゃん、早かあ」
「へ?」
「また、へ、って」と笑い、運転手の方に声をかける。「あのお、ここで降りまあす。お釣りは結構でえす」
間違いない。代金がいくらかは分からないが、渡した紙幣は五千円札だ。我慢できず、降りてきた佳奈美に尋ねる。
「どっから来たと?」
「え、宿から」
何気なくどこのホテルかを訊いてまた驚く。立派な庭園と美味しい食事が有名な老舗の和風旅館。一番安い部屋でも、私が泊まっているビジネスホテルの三~四倍はするだろう。怪訝さが表情に出ないよう気を付けながら、「よかとこやない」と明るい声を出す。
すっかり訛っとうよ、と笑う佳奈美は短すぎない黒のスカートにブラウス、紺色のジャケットと派手な感じではなかったが、ハンドバッグは一目で分かるブランド品、時計だって上品なアンティーク物で高そうだ。そして、ぱっちりと大きくなった目は、大きなサングラスで隠されている。
色々と訊きたいが、お金の話は生活の話になってしまうし、そうなれば何かのはずみで再び会う約束をするかもしれない。私はまだ答えを出したくないので、何も尋ねないでおこうと決めた。
もちろん実際会ってしまえば、嬉しさや懐かしさが無条件にこみあげてくる。一緒に暮らしていた時間は短かったが、当時の記憶を共有できる佳奈美の存在はやはり心強く、そして愛おしい。
それでも――、と私は躊躇する。
目の前にいる佳奈美は、当時の面影をちっとも感じさせてくれない。時間は人を変える。当然、私自身も変わった。でもこの子の変化はどこか受け入れ難い。佳奈美(仮)、という感じだ。
こんな姉の心を知ってか知らずか、佳奈美は私の手をとるようにして先を歩いていく。
「姉ちゃん、せっかく可愛かワンピースやけん、それに合うバッグば探そう」
「やっぱ合わんよね」
「でもあれよ。もう、どこに何屋があったとか忘れとうね」
アーケードの商店街をぐるぐる巡ってからバスセンターの方へ。あの頃のように歩きながら、私たち姉妹は同じことを感じていた。
「姉ちゃん、こがん狭かとこやったっけ?」
「ねえ、狭かあ」
本当は気のせいだと分かってはいるが、やはりこの町は狭くなっている。最後に二人で来たのは、私が高二、佳奈美が中二の頃だから七、八年前だ。会わなくなった明確な理由などない。一ヶ月に一度の間隔が、少しずつ広がった末の自然消滅だ。
結局、商店街に目ぼしい物はなく、行き着いた場所はあのプリクラを撮ったショッピングセンター。無難な黒い無地のトートバッグを買い、スニーカーも一足買った。レジで佳奈美は「こんなこと滅多にないし、私のわがままやけん、姉ちゃん勘弁して」と、私にお金を払わせなかった。
その言葉よりも、その佇まいに私は従うしかない。店内の照明で髪の不自然な質感がまた目立つ。大きなサングラスで顔半分が隠れた佳奈美は、私の中の「妹」像とまったく重ならない。(仮)、だ。でも妹のままでいてほしいから、私は「嬉しかあ」と鈍い声を出して微笑んだ。
「うん、私も嬉しか」顔半分が隠れたまま、無邪気な声を出す。「さあ、まずは履き替えんとね」
館内の一階にある広いフードコートで、新しいスニーカーに履き替える。
「姉ちゃん、ちょっとビールば飲まん?」
「いや、私はよか。遠慮せんでどうぞ」
「もしかして姉ちゃん、お酒飲めんと?」
「あんまり強くないとさ。ちょっと飲んだらすぐ眠くなるったい」
相手の目を見ながら、堂々と嘘をつくのは緊張する。実はお酒は何でも好きだし、旦那から「燃費、悪いな」とからかわれるほど滅多に酔わない。今は妊娠中だから飲まないだけだ。
じゃ遠慮なく、と紙コップに入った生ビールを飲み、スマホをいじる佳奈美。私はアイスティーを飲み、脱いだ靴とハンドバッグをトートバッグにしまった。
「姉ちゃん、今とは言わんけど、いつか東京に行った理由ば教えてくれん?」
お礼を言おうとしたタイミングで投げかけられた佳奈美の言葉は、少し懐かしかった。(仮)が思わず外れそうだ。この子は中学生になってから、こういう人を試すような言い方をすることが増え、その都度イライラしたことを思い出す。うん、と短く応じた後、改めてバッグとスニーカーのお礼を言うと、大きなサングラスのまま「やめて、水くさかあ。結婚祝いもちゃんとするけん、安心して」と笑っていた。
久々にプリクラを撮ろう、と提案したのは私の方だ。あの頃と同じく、フードコートの隅っこに機械がある。佳奈美は右側に四十五度傾いた文字で、画像の上に大きく「祝・再会!」と書いた。予想どおりサングラスは外さなかった。
ショッピングセンターを出る。空の暗さはあまり変わらなかったが、街灯が点いたせいで、すっかり辺りは夜めいていた。
「靴の具合、どう?」
「うん、大丈夫」
「よかった。じゃ、そろそろタクシーばつかまえんとね」
大きな十字路で二人並んでタクシーを探す。平日だからか、車の通りは少ない。
「東京は車多か?」
「それは大阪もやろ?」
「それもそうたいね」
他愛ない会話をしながら、夜なのにサングラスをかけた佳奈美を盗み見る。やっぱり横顔にも見覚えはない。もしかして、(仮)どころか、佳奈美になりすました別人だったりして……。いや、あの子のことだ。友達に自分の振りをさせ、どこかに隠れてこの様子を見ているのかもしれない。
「姉ちゃん」
「ん?」妙な想像をしていたから、ばつが悪い。「なに? タクシーいた?」
「私ね、目ばいじった」
「へ?」
「整形したと」
「よかやない」変な間が出来なくてよかった。「今時は普通やろ?」
「そう?」
「そうも何も、自分で決めたっちゃろ?」
まあね、と笑いサングラスを外した佳奈美は、反対車線のタクシーをつかまえた。当たり前だが面影はない。横断歩道を渡って車に乗り、太ちゃんから聞いた料亭の名前を告げると、車は真っ直ぐ走り出す。
「店の場所、知っとったと?」
「何で?」
「いや、わざわざ向こう側の車ば停めたけん」
整形の話を引きずりたくないので尋ねたが、スマホで調べたと言われて話が終わった。その後ずっと、佳奈美は窓の外を黙って眺めている。新しい顔で見る故郷はどんなものなんだろう、と遠くなる唐津城を目の端で追いながら考える。車内には小さい音でラジオがかかっていて、九州地方だけの天気予報が妙に懐かしい。
車は大きな川にかかる橋の上を走っている。あまり馴染みのない眺めだったが、それでも何となく分かってきた。この橋を渡りきれば、私たちが六年間だけ一緒に暮らしたじいちゃんの家の近くへ出る。多分、佳奈美は覚えていないはずだ。そういう情報はスマホで調べられない。
橋を渡り終え、大通りに出ると急に派手な建物や看板が増える。予想外の明るさに驚くが、昔もこんな感じだったのかもしれない。あの頃は夜に出かけることなどなかった。中でも一際明るい建物は大きなゲームセンターだ。これが今朝、電車の中で耳にした「憧れの先輩」のバイト先だろうか。
ほとんど記憶にないはずの風景を眺める佳奈美に、胸の中で語りかけてみた。
――変わったのはあんただけじゃない。この街だって整形しまくってる。
車が料亭の前へ着くと、佳奈美は私を手で制し「お釣りはいいです」と五千円札を出した。まただ。料金は二千円に満たない。何でそんなことをするのかと、車から降りた後ろ姿を呼び止める。振り向きざまにあの子は「ごめん」と頭を下げた。
「ばってん姉ちゃん、何も言わんどって」
「……」
「別に私が稼いだっちゃけん、よかろ?」
危ない。この子、爆発するかもしれない。そう思い「いや、違うとよ」と微笑んでみる。
「ほら、私、専業主婦だけん、ま、羨ましかったとさ」
「姉ちゃんも仕事すればよかたい。自分で稼いで、自分の好きなように使ってさ。ね、誰にも迷惑ばかけんでさ、そいが本当によかよ。本当にそう思うっちゃん」
一気にまくしたてる姿を見ながら、いったいこの子に何があったんだろう、と初めて佳奈美の過去に想いが向いた。本当は色々としなければならない話が、私たちの間にはたくさんある。でも、もう遅い。店はすぐそこだし、約束の時間を二、三分過ぎている。
「そうね。やっぱり働こうかな」
そう告げると、佳奈美は「そうたい」と満足気な表情になり、「見て見て、ずいぶん立派なところやない」と店の入り口を指差した。
(第04回 了)
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* 『松の牢』は毎月07日に更新されます。
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