ん~十月号は「官能の色彩」特集ね。大衆小説誌では定番のソフト・ポルノ小説特集よ。どの大衆小説誌でも定期的に組んでるわね。毎回文字でエロス、というよりエロを求める人ってまだいるのねーと思っちゃう。需要がある限り商品を提供するのが資本主義社会ってものですけど、判で押したようなエロ小説が多いですわ。お題のエロを糊塗するためか、妙に高尚なTipsがまぎれ込んじゃうのがさらにお下品ね。エロの地平を抜けない小説なら宇能鴻一郎先生のお作品の方が清々しかったわ。宇野先生のエロ小説は笑えたわよ。
性欲は人間の基本的欲動ですけど、どーも文学とは相性が悪いのよ。男女じゃなく男同士、女同士の性関係でもいいんですが、結局は閉じた人間関係を描くわけね。閉じた関係のSEXは他者から見れば多かれ少なかれ特殊ですが、小説ではそれは基本的に目的ではなくて手段よね。人間関係を描くためのサブ素材としてあるわけ。だけど刺激が強く、読者もSEXシーンに気を取られてしまう傾向があるから、いつの間にか目的化しちゃうのね。
エロを題材にすると、性行為以上の高い観念を設定してないと、つまんない小説になっちゃうって言ってもいいと思うわ。エロ小説の傑作って、野坂昭如先生の『エロ事師たち』とかほんの少ししかないわ。エロだって仕事にしちゃえば無味乾燥なものよ。仕事としてのエロの主題は、〝生きる〟ことを巡る高次概念がお作品に設定されているってことですわ。
その点、同じ人間の基本欲動でも食べ物なんかを素材にすると、妙なハードルが生じにくくてよござんす。まー野坂先生の手にかかると、性も食べることも人間の生の根幹に関わる主題になっちゃうけど、たいていの場合、食は愉楽として語られるわね。味はSEXと同じでいくら説明しても人それぞれという受け取られ方しかしないけど、匂いや色、光は別ね。最初から抽象の地平に抜けているの。根源的欲望の上に、始めっから抽象の主題が設定されているのよ。これを活用しない手はないわ。
ガラスの向こう側は夢の世界だった。
数え切れないほどの透明のキューブがキラキラと揺れるシャンデリアの下、全身を白に包んだ女性達は一様にうつむいている。ガラスに映り込む新緑が、白のカンバスに模様を描いていた。一歩中に足を踏み入れると、入り口の柔らかなマットにスニーカーが沈んだ。忙しそうに働く人々は、こちらに顔を向けると笑顔を見せて頭を下げていく。金色に縁取られた鏡台で、男性に肩をマッサージされているママの切なげな表情が鏡に写った。
(中江有里「シャンプー」)
中江有里先生はアイドル芸能人としてデビューなさいましたが、現在では文筆家としてもご活躍中です。「シャンプー」は短篇ですが秀作ね。冒頭のシーンでお作品の主題がはっきり示されていますわ。主人公は中学二年生になったばかりのミサトです。ママは水商売のお店を経営していて、パパは理容師ですが二人は離婚しています。パパには定期的に会っていますがミサトはママと暮らしています。引用はお作品の冒頭で、財布を忘れたママに、行きつけの美容室までミサトが届けに行くシーンです。
美容室の素敵な匂いや色や光が、ミサトに大人の世界を垣間見せています。誰もがいつかはその世界に足を踏み入れなければならないわけですが、思春期に差しかかったミサトはそれを強く意識しています。「シャンプー」は一種のビルドゥングスロマンですわ。ママの肩をマッサージしているのはタケルという若い見習美容師です。お店ではまだシャンプーやマッサージしか任せてもらえませんが、美青年で「王子」というあだ名で呼ばれています。ミサトはタケルにほのかな恋心をいだいています。ただママもタケルもミサトとは別の世界にいます。ミサトはパパとの約束で、女の子なのにまだパパの理容店で髪を切っもらっているのです。
「どう、見えた?」
「見えます。とっても・・・・・・いいです!」
手ぐしで整えたヘアは、絶妙なシルエットでまとめられていた。自分では決して出来ない、雑誌のカタログに出てくるような仕上がりだった。タケルの指が、量が多くて硬いミサトの髪質まで変えてしまったみたいだった。
「いいっしょ。似合うよ」
コンパクトミラー越しにタケルの笑顔がのぞく。カメラのフラッシュを浴びたように眩しく感じ、ミサトは思わず目を閉じた。(中略)
「これ、ありがとうございました」
借りたコンパクトミラーを返した。片側にスワロフスキーの装飾が施してある、高級そうなミラーだった。
(同)
ミサトは同級生の女の子三人と、夏休みに海に遊びに行きます。ママには内緒です。海の家に行くと、タケルがエプロンをして働いていました。「知り合いがここ経営してるんだ。ピンチヒッターで呼ばれたんだよ」とタケルは言います。たわいもない話をしているうちに、タケルがふとミサトの髪に目を留め、手ぐしとピンで簡単に髪をセットしてくれます。初めて美容師の手で整えられた髪です。同級生たちはうらやましがりますが、このささいな出来事が、ミサトにとって思いもかけない事件につながってしまいます。嫉妬と羨望から、友達の一人がミサトにはイケメンの美容師の彼がいるとSNSに書き込んで、学校でイジメにあってしまったのです。
「恒子さんには、話したの?」
ミサトは首を振る。ママに話しても仕方がない。いじめを受けた側に原因がある、と言いかねない、と告げた。
「そんなことないと思うけどな。恒子さんは強いから、いじめられる者の痛みはわかんないかもね」
二人は小さく笑った。笑顔が消えるとタケルはミサトの目を見た。
「おれは自分で考えて、自分を守った。ミサトちゃんもそうしないといけない。おれ味方になるから・・・・・・助けが必要なら、いつでも言って」
「どうしたらいいんですか。助けてほしいんです」
(同)
ミサトはタケルが髪を金髪に染めて登校し、それによってイジメがピタリと止んだという話を聞いて、自分も髪を赤く染めて学校に行きます。友達は驚いてとりあえずイジメは止んだのでした。仲良しだったはずなのに、SNSにミサトとタケルのことを書き込んでイジメを引き起こしたショウコは、海に行ったもう一人の友達のカオリといっしょに謝りに来ます。「ごめんね。あたし、ミサトの名前は書いてない・・・・・・」「ショウコはちゃんと正直に話して、またミサトと仲良くなりたいって思ってるのは、本当だからね」と二人は言います。
ミサトは「本当のことって何だろう。人は表面では普通でも、中で何を考えているかはわからない。ショウコもカオリも、多分自分も。タケルもそうなんだろうか」と考えます。イジメはそう簡単にはなくなりません。また明日は自分以外の誰かが唐突にイジメに遭い、自分もイジメる側の一人になっているかもしれないのです。タケルが言うように、「自分で考えて、自分を守」る以外にその対処方法はありません。ただ「人は表面では普通でも、中で何を考えているかはわからない」という認識は大人への第一歩でしょうね。
「こんなのすぐ落ちる!」
「え・・・・・・?」
「洗えば落ちるスプレーだから」
「・・・・・・タケルがやったの?」(中略)
ママは何か言いたげな表情のまま部屋へ戻っていった。なぜだかママを前ほど怖いとは思わなくなっていた。(中略)しばらくして着替えと化粧を終えたママがあらわれた。
「バック、とってくれる?」(中略)
「お小遣い、パパからもらってるの?」
「何、急に・・・・・・」
「足りないなら、あげるわ」
カバンから財布を取り出すと、中から黒いものが落ちた。(中略)
ミサトはママの手から逃げるように、床に落ちた黒いものを拾った。スワロフスキーが施されたコンパクトミラー。
ママが好きそうなデザインだった。
(同)
母親との親子関係にイジメを取り混ぜ、その上大人の世界への第一歩を主人公に歩ませているという意味で、十分すぎるほどのエンタメ要素を盛り込んだお作品だと思います。大衆小説では一つの主題だけじゃダメなのよ。飛び道具は二つ以上必要ね。一種のどんでん返しを二つ、三つ仕掛けられる作家がいい作家ってことになるかしら。あとは残酷さね。人間関係の残酷さが際立てばさらに素晴らしいお作品になると思いますわ。それには長さが必要でしょうね。是非中江先生の長篇のお作品を読みたいと思いますわぁ。
佐藤知恵子
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