アテクシ、マーサ・スチュワートさんのお料理番組を見るのが大好きなの。特にお気に入りなのはお菓子のレシピね。アメリカのお料理ってああた、大迫力よ。マーサさんが大きなカマボコみたいなバターを半分に切ってお鍋に入れちゃったりすると、ドキドキするわ。ちょっと味見して「うーん、おいしいわ」なんて言ってるのを見ると、クラッと気が遠くなるわね。そりゃそうよ、そんだけバターとお砂糖入れたらパンチのある味になるわよ、ってツッコミ入れながら目が離せませんの。あ、アテクシはそんなにお菓子をいただきませんのよ。だって太っちゃうじゃない。マーサさんの番組を見ながらヨダレを垂らしてるだけで十分でござーますわ。日本のお料理番組でお菓子作りしてるのを見ると、「ええぃ、もっと砂糖とバター入れたらんかいっ」と怒りたくなるわね。食べたら日本のお菓子の方がおいしかもしれないけど、視覚満腹中枢を刺激しないのよねぇ。
でもアテクシみたいな趣味って女性に多いかもしれませんわねぇ。そりゃ料理人は男性が多くて最近ではお料理男子も増えていますわ。でも殿方のお料理って、結果重視のようなところがあるわねぇ。過程を楽しむところがないというか、微細なところに楽しみがないっていうかね。あ、ジェンダーとかめんどくさいお話をしてるわけじゃござーませんのよ。世界観の作り方っていうか、物語の紡ぎ方の癖のようなものね。結果重視じゃなくて、材料が自ずから一つのお料理になってゆく楽しみみたいなものよ。スーパーでお買い物している素敵な女性の買い物籠の中身を、思わずじーっと見てしまうような癖って、あんまり殿方はお持ちじゃないわよね。
アテクシ、お仕事で出かけた時に、部下の男の子とチェーンのイタリアン・レストランに入りましたの。そしたらおスパフェアをやっていて、チェーン店では珍しくポルチーニのパスタがござーましたの。「いいわね」と思って注文したんですが、どー見ても入ってるのがマイタケなのよ。
Q:「青年①よ、これはポルチーニだと思うかぇ?」
A:「ふつーにキノコのスパゲッティじゃないんすかぁ」
Q:「青年②よ、君はどう思う?」
A:「わたくしはポルチーニを見たことがございませんです」
「青年①、②、おまいらクビ!」という問答がありまして、怒り心頭に達したアテクシは店長を呼びましたの。店長さんはメニューのちっこい文字を指さして、「ポルチーニが在庫切れになりましたら、別のキノコに変えさせていただく場合があります」とのたまわったわね。「てめぇふざけんじゃねー」とアテクシが大暴れしたのは言うまでもありませんわ。ポルチーニとマイタケの食感の違いわかってんのかこのタコ、具材が違ったらどーやったってマイタケ・スパだろうがコノヤロッ、とまでは言いませんでしたけど、マイタケおスパはアテクシの前から姿を消して、アテクシはその店の定番メニューを注文し直しましたことよ。キノコならポルチーニでもマイタケでも同じってのは、男のデリカシーのなさよ、ねぇ、奥様っ。
おかしい。何かが変だ。視覚が、嗅覚が、主婦の勘がそう訴えている。
よくよく見入って、気がついた。カブがカブらしくないのである。
らしくない?
いや、たしかに一見はカブだ。たしかに白い。たしかに弓状のカーブを描いている。けれどもカブにしては透明感がありすぎるし、カブ特有のなめらかな質感も欠いている。むしろざらざらと粗い印象さえ受ける。(中略)
「・・・・・・うそ」
念のため、もう二片ほど慎重に吟味してみるも、その食感も味わいも、やはりダイコンのそれだった。(中略)
これはどうしたことなのか?(中略)
まちがいない。ここにあるのはやっぱりカブのサラダなのだ。なのに、カブが入っていない。代わりにカブより安価なダイコンが入っている。
(森絵都『カブとセロリの塩昆布サラダ』)
今号では森絵都先生の『カブとセロリの塩昆布サラダ』がアテクシには大受けでしたわ。できるなら先生の所に行ってがっちり握手したいくらいよ。専業主婦の早月清美は息子が巣立ち、夫が中間管理職になった頃から、夕食すべてを手作りすることはやめて、一品くらいは出来合いの惣菜で済ませるようになっています。今日もデパ地下でカブとセロリの塩昆布サラダを買って帰ったのですが、中に入っていたのはダイコンだったのです。これは大事件よね。ここから清美と社会、いや世界を敵に回した壮絶な戦いが始まります、というのはちょっと大袈裟ですけど、こういう立場に立たされた主婦は孤立無援よねぇ。
「その上、早月様がお買い上げになったサラダの代金は、私どもが責任をもって返金させていただきます」
「はい?」(中略)
慇懃でありながらもその物言いは威圧的で、これでいいだろう、これが目当てなのだろうと高みから見下ろされた思いがし、清美は受話器をもつ手を凍らせた。(中略)
「返金は、けっこうです」
気がつくと口が動いていた。(中略)
「こんなことになって、私はまだ夕食も口にしていません。お宅のテナントが百六十グラムのカブに対して三百グラムのダイコンを入れたサラダを販売した結果が、これです。できるだけ早く、ちゃんとカブが入った〈カブとセロリの塩昆布サラダ〉をうちまで届けてください」
「お宅へ?」(中略)
「来てくださるまで待ってます」
有無を言わさぬ清美の語勢に、北里主任がこくんと息を呑むのが聞こえた。
(同)
清美がデパートに電話すると、地下惣菜売り場の主任の北里から折り返し電話がかかってきます。平謝りなのですがちっとも誠意が感じられません。清美が引き下がらないと、面倒なクレーマーだと思ったのか、「代金はお返しします」と言って話を打ち切ろうとします。読んでるだけでアテクシまで頭にきちゃう展開よね。でも現実はこういった対応がおおござーますわ。そりゃ難癖つけてお金をもらおうといった不逞な輩もいますわよ。だけど通り一辺倒の対応じゃクレーム処理のプロとは言えないわね。清美は「ちゃんとカブが入った〈カブとセロリの塩昆布サラダ〉をうちまで届けてください」と言います。おわかりになる? お金の問題じゃないの、カブとセロリの塩昆布サラダが食べたいのよ。それを買った時点から、お夕食の組み立てすべてが決まってるの。
もちろん森絵都先生の『カブとセロリの塩昆布サラダ』は大衆小説ですから、このほかにも読者をドキドキさせたり心配させたりするプロットがお作品の中に仕込まれていますわ。だけどこの小説のポイントが、一生の中でのほんの小さなポイントに過ぎないお夕食の、そのまた微細なお総菜一品へのこだわりにあるのは確かね。その小さな小さなこだわりから物語が生まれてゆくの。それは物語というものを考えさせるこだわりよね。切った貼ったの事件ばかりが物語じゃないわ。また森先生の『カブとセロリの塩昆布サラダ』は、仕立て方によっては十分純文学になるわね。だって何かの本質に届いてるもの。深刻そうなテーマなら純文学になるなんて大間違いよ。それに森先生のお作品を楽しんで読むのは女性が多いと思います。小説を読むの読者の多くは女性なのよ。女性読者がほしい殿方作家様は、研究なさってみてはどうかしら。
佐藤知恵子
■ 森絵都さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■