第4回『桃山陶の精神-アロン・サイス』で取り上げた、アロン・サイスさんと瀬戸の陶工の中島勝乃利さんの共同展覧会『中島勝乃利 AARON SCYTHE COLLABORATION 2012年6月 再会』が、東京田無のトラッドマイスター倶楽部で開催されたので見に行った。ただ中島さんとサイスさんには申し訳ないが、今回は鈴木秀男さんの作品を見たいという目的があった。トラッドマイスター倶楽部のHPで鈴木さんの作品を見て興味を惹かれたのである。
鈴木秀男さんは昭和21年(1946年)、千葉県野田市生まれで今年で66歳である。昭和49年(1979年)から栃木県益子で作陶されている。ガスや電気を使わず、薪を焚く穴窯式登窯で制作しておられる。穴窯は日本では中世に確立された焼成方法で、斜面などに穴を掘って部屋を作り、その中に陶器を入れて焼き上げる。基本的に単房(一部屋)である。ただこれでは効率が悪いので、近世には連房式の登り窯が主流になった。斜面の上方に向かって複数の焼成室を作り下から焼いてゆくのである。こうすれば火を有効活用でき、一度にたくさんの作品を焼くことができる。穴窯式登窯は古い穴窯と量産可能な登窯を折衷させたものである。鈴木さんの窯は平成23年(2011年)の東日本大震災で大破してしまったが、驚くべき早さで窯を作り直して作陶を再開されたのだという。
「第1回 焼き物について」でも書いたが、焼き物は土を固めて焼いたモノである。陶器はその最も古い形態であり、日本では紀元前一万五千年前の縄文時代から基本的な制作方法は変わっていない。火を使って土を焼き固める、それだけだ。しかしこの方法で魅力ある焼き物を作るのは非常に難しい。骨董では「景色」ということをやかましく言うが、それは窯の中で土と火が作り出した偶然の変化のことである。
写真家で骨董好きだった土門拳は、「恐らく世界中のやきものの中でも、信楽大壺ほど土と火との格闘の跡をとどめているやきものはないであろう。(中略)僕の信楽大壺の鑑賞も、器体の全面にとどめられた壮烈な土と火との格闘の跡を、戦記ものでも読むみたいにたどることを覚えたときに、自分なりの方法論をつかんだと云えよう」と書いた。この土門の鑑賞法は、僕が焼物を見る際の基準にもなっている。しかし当然のことながら、現代陶芸ではそれ以外の要素が求められる。
一言でいえばそれは「作家性」ということになる。だが伝統工芸の世界で作家性ほど厄介なものはない。陶器や漆器は実用品である。乱暴かもしれないが、実用に耐えない作品を作る作家は優れた作家とは言えない。使い勝手の悪い陶器は失格なのだ。何よりも自我意識(作家性)を全面に押し出した作品を創作したいのなら、絵画や彫刻の表現の世界の方がふさわしい。なぜ土なのか、なぜ焼物なのかという問いかけへの答えが作品として表現されていなければ、それは陶芸とは言えない。
作家はまず、自分の資質に合った表現方法を的確に把握することから創作の道に入る。創作者の若い頃の試行錯誤は、自分の資質に合った表現方法を模索するためにあると言って良い。それが見い出せなければ、全ての努力が無駄になることも珍しくない。陶器には作家の手の跡は直接的には残らない。作家の意図、自我意識は火によってあらかた浄化され、最後の変化、仕上げは炎に委ねられる。その意味で陶器は、生みの親である作家にとってすらレディ・メイドだという面がある。自分の作品を客体化して見つめことができる陶工の目には、当然のことだが長い長い焼物の歴史が映り込んでくる。陶芸の世界に未踏の表現領域を切り拓くような前衛的表現はあり得ないのである。
鈴木さんは典型的な日本の陶工である。アーチストではなくクラフトマン(職人)として陶器を制作しておられる。手元に鈴木さんの筒茶碗があるが、轆轤で器体を挽いた後に、思い切りのよい篦使いで胴を削って変化を与え、口辺も削って山道(陶器の世界では段差のある口辺を山道と呼ぶ)を作っている。釉薬の使い方も巧みなものだ。口辺と見込(陶器の内側の底の部分)にはたっぷりと釉薬が掛かっている。使ってみればわかるが、口辺に釉薬のない焼き物は口触りが悪く、見込に釉薬が掛かっていなければすぐにその部分が汚れてしまう。高台(陶器の外側の底の部分)も変化に富んでいる。土の緋色も美しい。火が土に与えた変化を「戦記ものでも読むみたいにたどる」ことができるのである。
ただ陶工が陶器はあくまで実用の器だと思い極め、不特定多数の買い手にとって使い勝手のよい作品を作ることを目指すなら、このあたりが限界なのである。鈴木さんの作品は変化に富んでいるが、これ以上手を加えれば嫌みになる。持ち主を選ぶ焼き物になってしまう。市場との折り合いまで考え抜かれた陶器というと、なんだか後退的な印象を与えるかもしれないが、そんなことはない。陶芸の歴史を振り返れば一目瞭然だが、市場を無視した陶器などかつて存在したことがないのである。また鈴木さんの仕事は恐らく早い。確信をもって器体を整えている。それは優れた陶工に必須の要件である。同じ形、同じ雰囲気の作品を量産できなければ陶芸家とは言えない。
鈴木秀男作 焼締筒茶碗 平成23年(2011)~24年(12年)
直径8.8×高さ8.7センチ(いずれも最大)
そんな純粋職人の雰囲気のある鈴木さんが、陶器のオブジェを作った。トラッドマイスター倶楽部で展示されている『土あるいは時の顔』シリーズである。最大でも高さ15センチ、直径10センチほどの円筒形をしていて、手びねりで人の顔をかたどった作品である。東日本大震災で壊れた窯を再興した際に、趣味で作り始めたのだという。鈴木さんは「益子の店ではこういう作品は扱ってくれないから」とおっしゃっていたが、トラッドマイスター倶楽部の小川さんが預かって販売し始めたのだという。小川さんによると、ある日鈴木さんの工房を訪ねると、人の顔のオブジェがずらりと並んでいて、それは「異様であると同時に壮観でもあった」そうだ。
『土あるいは時の顔』シリーズは熟練の陶工の手になる的確な造形だが、どことなく荒い作りである。彫刻家が粘土で塑像を作る時のように、土が足された跡がそのまま残っている。仕上げは当然火である。厚い作りなので、焼き切れ(陶器を焼成した時に入る罅で通常は失敗作になる)ができる可能性が高いのだが、そんなことは気にせずにどんどん焼いたようだ。炎によって巻き上げられた自然釉(灰釉)がたっぷりと掛かっている。それがこの作品の変化の全てである。作品はみな炎によって焼き清められたお顔をしている。
なぜ鈴木さんが『土あるいは時の顔』シリーズを作り始めたのか、僕は知らない。東日本大震災の後に開始された作品だから、なんらかの鎮魂の意識が働いたことは容易に想像できる。しかし動機はなんであれ、問題は常に作品なのである。絵画、彫刻、陶芸の世界では言葉で説明し尽くすことができる作品ほどつまらないものはない。言葉での解釈を拒み、そこからいくらでも言葉を紡ぎ出せる作品がアートの世界での良作なのである。もし『土あるいは時の顔』シリーズにぬるい抒情がまとわりついていたら、僕はこれらの作品に惹かれなかったと思う。
鈴木さんが作り出した顔は寡黙である。目を閉じ口をきつく結んでいる。死者というより高僧の面持ちである。僧侶というと老僧を思い出される方が多いだろうが、宗教者が円熟に達するのは四十代から五十代の壮年においてである。まだ存分に体力と気力があり、自己の邪念や社会の不正と闘うことができる年代に宗教者はその認識の頂点に達するのだ。鈴木さんが作り出した男たちの顔は壮年期のそれだ。目尻が吊り上がり強い意志を秘めているが、それを内にこらえて耐える人の顔である。
優れた日本の陶工は、作品で直截な自我意識を表現することを目的としない。そのような陶工が、用の制約を離れ、自己の内面を覗いた時にこのような造形が生まれたのだろう。目を閉じ口を結び強い意志を秘めて、だがこころもち顔を上げて世界と未来に対峙するその姿は、火によって内へ内へと焼き固められる陶芸でしか表現できないと思う。『土あるいは時の顔』連作は職人によるアートと呼ぶのにふさわしい。
鈴木秀男作『土あるいは時の顔』シリーズ 平成23年(2011)~24年(12年)
直径10.3×高さ15.1センチ(いずれも最大)
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サイスさんの作品は、ニュージーランドに帰国して最初から窯を整えたという事情もあって、過渡期という雰囲気だった。良質の陶土も入手困難なようで、ほとんどが磁器だった。磁器製の抹茶碗という、日本ではほぼあり得ない作品を入手したが、陶器よりも篦使いなどがよくわかって面白い作品になっていた。ただ当たり前のことだが陶器と磁器では制作方法が大きく異なる。磁器では炎による釉薬の変化はほとんど期待できない。絵付けも文字通り絵として自己主張しながら磁肌に浮かび出てしまう。サイスさんの新作の絵付けは簡素だが、絵が全面に押し出されてしまう磁器ではこのくらいが限界なのではないかと思う。
サイスさんの新作を見た方は、日本時代よりもよりポップになったという印象を受けるだろう。それが新たな制作環境の影響なのか、サイスさんの内面の変化を表しているのかはわからない。ただ日本人の僕たちが欧米文化の影響を受けながら、やがては日本文化の本質に回帰していかなければならないように、日本の織部焼にインスピレーションを受けて作陶を始めたサイスさんも、いずれは自己のアイデンティティを見つめなければならない時がくるはずである。この作家はしばらく苦しむかもしれない。
アロン・サイス作 八咫烏(やたのからす)染付碗 平成24年(2012年)
直径10.3×高さ15.1センチ(いずれも最大)
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中島勝乃利さんの作品は、僕にはまだその核心的な部分をつかめたという感じがしなかったので今回は触れない。ただ決して否定的な意味で言っているわけではない。作家の創作の核心のようなものは、作品を眺めているうちに、ある日突然理解できるような種類のものなのだ。自分自身によって、あるいは他の誰かによって、この作家の創作の中心的思想がいつか理解できる日が来ることを楽しみにしている。
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『続続・言葉と骨董』は基本的には骨董の陶磁器についての連載エセーだが、あくまで僕が見て触れた範囲に限定されるにせよ、これからも新作陶磁器について書いていこうと思う。多くの人が感じているように骨董の世界は権威主義的である。安物から名品に至るまで、全ての作品には長い歴史と各時代の目利きの判断に裏付けられた明確な序列がある。潤沢に金があり信頼できる骨董商と取引できるのなら、誰でも名品を買える世界である。本棚に文学全集を並べて悦にいっていた一昔前の成金のように、骨董を買うことで日本文化を理解した気になれるのである。
しかし一番難しいのは、いつの時代でも海のものとも山のものともつかぬ新作の中から優れた作家と作品を見出すことである。同時代に優れた創作者が現れるのは奇跡的なことだ。運がよければ何十人でもそういう人間を見出すことができるだろうし、運が悪ければ三十年も五十年も不作の時代が続くだろう。ただそのような創作者が同時代に現れたときには、できれば見落としたくないものだと思う。
骨董はもちろん、新作陶磁器を見る僕の目が優れているのか、曇っているのか、僕自身にはわからない。ただそれについて書けば、自ずとその正否は明らかになってゆくはずである。優れた創作者は常にギリギリのところで仕事をしている。それを評価する者が、何のリスクも負わずに批評することなど許されない。まず作品を買うこと、少し無理をしてでも買うこと、そしてそれについて、できる限り考え抜いて書くこと。僕の美術作品に対する姿勢はそのようなものだ。
鶴山裕司
(写真撮影・タナカ ユキヒロ)
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