残念な夫。
フジテレビ
水曜 22:00~
タイトルにはまず惹かれる。「。」が意味もなく付いているのは(だいぶ古びた手法とはいえ)現代的だし、この「残念な」の使い方もまた、流行語の類いである。もとをただせばナントカ侍の「残念!!」ぐらいから広く使われ始めただろうか。それが「いわゆる『残念!!』な」人とか物とかいうように形容動詞化した。「残念」という心的な動きがそのまま修飾語になったわけだ。
この現代的用法の「残念な」には二重の意味合いが含まれているようだ。それはすなわち「惜しい」という意味合いと「問題外」という意味合いの双方である。実態としては、対象の客観的評価としては「問題外」、しかし個人的な主観としてはそれを「惜しい」と思ってはいるよ、というニュアンスを伝える言葉になっている。要するに、体よく馬鹿にするための言葉である。
そうであるならば、期待されるドラマとしては、この他人のそこはかとない意地悪な視線を踏まえたものにならないだろうか。タイトルを聞いた瞬間、たとえば同級生の夫をそう呼ばわる女たちの話を思い浮かべる。それは決して新機軸というわけではないが、ある程度の数字はとれるものだ。
実際には、ドラマのテーマはさらに新しさに欠けるものではあった。興味深くないわけではないが、「子供を産んで大変になった妻の苦労を実感できない夫」という構図に終始するなら、少なくとも子供とか赤ん坊とかを連想させるタイトルでなくてはならないのではないか。
つまりドラマのタイトルに惹かれた視聴者と、ドラマの内容に共感することを期待できる層との間に乖離があるように思えるのだ。子育てについてこられない夫は「子育てについてこられない夫」なのであって、一般的な「残念な夫」ではない。そのあたりが観ていて腑に落ちない。
そして何も流行におもねるようなタイトルを付けなくたって、子育てについてこられない夫について憤懣やる方ない視聴者、共感する層は存在する。しかし、こういうタイトルを付けてしまったことで、そのテーマに本腰で取り組む姿勢が損なわれたように思える。
子育てについてこられない夫に憤懣やる方ない女性たちの関心を取り込むなら、その切実さをもっと丁寧にすくい取らなくてはなるまい。無理解な夫は憎々しく映らなくてはならないし、そうでなければ離婚がどうこうという話には、そもそもなるまい。呑気で子供っぽい、憎めない亭主という意味で「残念」というのなら当の女房が一番、笑って済ませたいと願っているはずなのだ。
この亭主の側の立場から、家庭内の立ち位置の変化に戸惑う姿を描くならば、何もかも子供中心、子供のためと言えばすべてが通る子育てテロルの価値観に対する異議申し立てがもっと説得力をもってされてもいい。「残念」なのは夫だけなのか。そこまで子供をタテにしようとするのは、妻にも理由はないのか。と、突き詰めれば、「やっぱり二人で子供を育てたい」と元のサヤにおさまるなんて最終回はあり得ないか。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■