ゴーストライター
フジテレビ
火曜 21:00~
出版界の現状が、今までにないリアリティをもって示されている。たとえば明らかな才能、明らかに面白い作品が、なぜか新人賞の初期の段階で落とされてしまう不思議。ヒロインの川原由樹(水川あさみ)も一年間、そのような憂き目に遭い、いよいよ諦めようとして最後の一作を大手出版社に持ち込む。その姿が、売れっ子作家の遠野リサ(中谷美紀)のアシスタントを探していた編集者の目に留まる、というストーリーだ。
川原由樹の持ち込んだ小説は掛け値なしに面白いのに、なぜこれまでの作品が新人賞に引っかからなかったのか。そこはドラマでは説明されておらず、一般の視聴者はもしかするとリアリティがない、と感じるかもしれない。しかし実際は、そんなものだと聞くし、理由は誰にもわからない。文学金魚の文芸誌レビューや、編集後記に詳しいが。
ただ、このドラマで、新人賞の受賞パーティーでは、大物の選考委員たちの陰で受賞者はそっちのけ、前回や前々回の新人賞受賞者らが受付をするなど、使い走りをしている様子が描かれて、なんとなく腑に落ちる。素晴らしい作品を選ぼうなどと本気で考えている者が果たしているのか、その組織が雇い入れようという新人を選んでいるだけではないのかと、画像はストレートに暴露している。
その以前の受賞者たちが新人賞の応募作を下読みし、一次予選通過作を決めているわけで、果たして彼らに、自分より才能を感じさせる作品を残すことを期待できるのか。たとえ悪意はなくとも、凡庸な自作のことで頭がいっばい、しかもそれをよい出来だと思い込んでいる下読みさんたちの目が曇ってない保証はない。
そして川原由樹の作品を認めた編集者でさえ、自分がよいと思った作品を本にできる立場にない、と言う。編集会議では、遠野リサのハンドリング、すなわちいかに売るか、いつまで売るか、その著者生命の値踏みが主な議論だ。かつてのように、よい作家たちが出版社を支えているのではない。出版社が作家をこしらえ、管理し、さらには支配している。まあ昨今、リアルにおいても目につく、黒子であったはずの編集者の露出ぶり、勘違いぶりも理解できるというものだ。
ドラマであるからには、そのパターンにはまり、リアリティとして首を傾げるところも、もちろんある。ゴーストライターを使うことをもはや恬として恥じない業界の実態はよくわかったが、一世を風靡したほどの作家が短い追悼文すら「書けない」と頭を抱えるというのは、ないなと思う。面倒くさいからアシスタントに書かせる、というのはありだと思うが。また、一度も原稿を落としたことのない真面目な作家でも、締切りというのが何段階にもある、ということは知っている。
夢物語だと感じるのは、遠野リサの力の衰えを敏感に感じ取った読者が徐々に離れていっている、という編集会議のくだりだ。そんなに目の肥えた読者ばかりなら、日本の文学業界も安泰だと思うが。実際は読者はたいてい、その作家の作品と過ごした自分自身の時間に愛着を感じているので、そもそもあまりちゃんと読めてない。そこも見越して作家のイメージ戦略などというものもあるし、イメージが定着した作家からはファンは離れない。
だから緊迫感を作るためとはいえ、「遠野リサはあと3年!」と(飲み屋での編集者らのゴタクならともかく)編集会議で叫ぶのは、やや滑稽である。10年でも15年でも、吸えるものは吸い尽くし、作家も自らのプレステージを最大限利用して、のんべんだらりと垂れ流しているリアルの方がよほど醜悪で危機的なのだが。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■