生誕100年 ジャクソン・ポロック展
於・愛知県立美術館 東京国立近代美術館
http://www-art.aac.pref.aichi.jp/
会期=愛知県立美術館 2011/11/11~2012/01/22 東京国立近代美術館 2012/02/10~05/06
入館料=1500円(一般) カタログ=2500円
評価=総評・80点 展示方法・80点 カタログ・80点
東京国立近代美術館(以下国立近代)は独立行政法人国立美術館によって運営・管理される国営美術館である。現在の館長は元文化庁官僚の加茂川幸夫氏である。東京千代田区の北の丸公園内にあり、休憩室から皇居のお堀と緑を眺めることができる。フィルムセンターと工芸館の別棟があるが、美術館のある本館は谷口吉郎氏の設計で昭和44年(1969年)に竣工した。東西の洋画を中心にコレクションされており、日本の洋画コレクションの質の高さでは日本屈指だろう。国立近代に行かれた際は、是非常設展を見て回られることをお勧めする。岸田劉生の最初期の麗子像を始め、日本の洋画の名画に触れることができる。また国立近代は戦争絵画の一大コレクションでも知られる。暗い歴史を思い起こさせるのであまり人気はないが、それらも日本美術の一角を為す貴重な美術品である。
今回は『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』である。ポロックは1912年に生まれ、56年に自動車事故で44歳の若さで亡くなったアメリカを代表する画家の一人である。アクションペインティングの画家と言ったほうがわかりやすいかもしれない。アクションペインティングはイーゼルに立てかけたキャンバスに筆で描くのではなく、床にキャンバスを敷き、その上から絵の具を垂らし、飛び散らせ、擦りつけて制作する絵画である。ハンス・ネイムスが1950年に撮影したポロックの制作風景は有名である。フィルムの中でポロックは、床に敷いた巨大なキャンバスの周囲を走り回りながら、缶の中の絵の具を筆で撒き散らし、叩き付けるようにして制作している。ネイムスが撮影したフィルムは人々に強烈な印象を与え、ポロックとアクションペインティングの名を有名にした。ただポロックが「アクションペインティング」という絵画概念に収まる画家であるかどうかには議論の余地があると思う。
制作中のジャクソン・ポロック ハンス・ネイムス撮影 1950年
アクションペインティングは美術批評家のハロルド・ローゼンバーグが初めて使用したタームで、対象を描くより絵を描くアクション(行動)自体を重視する絵画を指す。作品よりも芸術行為を重視する新たなアート概念であり、ここから1960年代のハプニングなどが生まれていった。しかしポロックが芸術行為自体を重視した節はない。彼にとって重要なのは常に作品であり、彼の絵がどんなに従来の絵画手法や概念とかけ離れたものであっても、ポロックは古典的な意味での画家だった。ハプニングアートを代表するヨーゼフ・ボイスについても同様のことが言える。ボイスはハプニングという用語を嫌い「アクション」と呼ぶのを好んだが、彼の初期のアクションはアクション(動く、行動すること)の不可能を表現していた。全てのアクションは試みられた、どう動いても無駄だという、極度に抽象的な緊張の中に初期ボイスのアクションはあった(後期ボイスのアクションはパフォーマンスとして様式化される)。ポロックもボイスも過去の分厚いアートの歴史の先端に立つ画家の絶望を抱えている。その絶望の深さが、時に堰を切ったような奔放な芸術表現を生んでいるのである。
今回の展覧会ではポロックの芸術を「初期」「形成期」「成熟期」「後期・晩期」の4つに分類し、その全貌を紹介している。ポロックは不慮の事故で亡くなったわけだから、この分類は彼の人生を死から遡って起承転結の物語に仕立てただけのものだが、ポロックが変化し続けようとした画家だったことはわかるだろう。ポロックは18歳でニューヨークのアート・スティーデンツ・リーグに入学し本格的な絵画の勉強を始めた。まず田園風景を好んで描くアメリカの伝統的な地方主義(リージョナリズム)の画家ハート・トーマス・ベントンから古典的絵画手法の指導を受け、シケイロスらメキシコ壁画画家たちから大きな影響を受けた。またミロやピカソら同時代の前衛巨匠画家たちの仕事の意味が次第に重くのしかかるようになった。ポロックは「くそっ、あいつが全部やっちまった」と叫びながら、ピカソの画集を床に投げつけたのだという。
『Birth(誕生)』 1941年
初期のポロックの絵は意味的にも技法的にも過剰である。多くの要素を一枚の絵に詰め込もうとしている。『Birth(誕生)』ではキュビズムの技法を使い、ポロックが生涯関心を抱き続けたアメリカンインディアン(ネイティブアメリカン、すなわちアメリカの原像的アート)のトーテムを表現しようとしている。ポロックは、アメリカ文学の古典『白鯨』(ハーマン・メルヴィル著)をモチーフにした作品も描いている。またメキシコ壁画の影響から、ポロックの絵には初期から大作傾向が見られる。ポロックはアメリカ的要素(南アメリカを含む)を、なんとかアメリカ独自の現代的方法で表現しようと苦闘していた。
ポロックは「この百年の重要な絵画はフランスで生み出されたという事実は認めます。アメリカの画家たちは最初から最後まで、現代絵画の核心を大方捉え損ねてきました」「アメリカ人はアメリカ人であり、その人の絵画は、その人が望もうと望むまいと、当然その事実によって規定されるでしょう。しかし、現代絵画の根本的な問題は、国ということとは関係がありません」と述べている。アメリカは世界で初めて自由と民主主義を国是に建国された誇り高い巨大な島国であり、第二次世界大戦前までのモンロー的孤立主義政策からもわかるように、自国の中に閉じ、独自の文化を育むことに満足しがちだった。しかしアメリカ文化の大半はヨーロッパ文化の焼き直しに過ぎなかった。ポロックはそれを世界標準の美術に引き上げようと努力した画家の一人である。
その映画的実人生とセンセーショナルな画風から、ポロックは深く考えることのない行動の画家だと思われがちである。しかし彼は少なくとも絵画については熟考の人だった。アメリカ現代アートがポロックから始まると言われるのは間違いではない。ポロックはアメリカ文化とヨーロッパ先進前衛芸術との統合を目指していた。
『Untitled』 1946年
ポロックは1940年代中頃からいわゆるアクションペインティングの技法を用い始め、40年代後半にはそれを完成させた。ポロックはこの時期の絵画について「私の絵画はイーゼルから生まれるのではない。絵を描く前にキャンバスを張ることはめったにない。(中略)床の上では、私はより気楽でいられる。より絵に近くに、より絵の一部であるように感じられるのである。なぜなら、このようにすれば、その回りを歩き回り、四方から制作して、文字通り絵画の中にいられるからだ。これは西部のインディアンの砂絵師の方法に似ている」と語っている。ポロックはアクションペインティング的技法の絵を制作することで、それまでは主題表現としても、世界標準の前衛アートという意味でも、拒まれ、埋めがたい距離を感じ続けていた「絵の中」に初めて存在することができるようになったのである。
ポロックの技法がシュルレアリスムの無意識の開放理論に影響されているのは言うまでもない。彼は初めて絵画的苦悩から解放されて、絵と一体になれた喜びを表現している。またそれは極めてアメリカ的な光景でもある。孤立主義から世界の警察官を自認する超大国主義へと舵を切ったように、アメリカは極端から極端へと動く国でもある。その伝統はポロックの中にも脈打っている。雑誌『タイム』は「カオスだ、くそったれ」というタイトルの記事を掲載してポロックの絵を批判した。それに対してポロックは「カオスなんかじゃない、くそったれ!」という電報を送りつけて反論したが、彼の技法がそれまで抱えていた問題を一挙に解決しようとした極めてラディカルなものだったのは確かである。ポロック以降の抽象画家の作品と比較すれば一目瞭然だが、彼の絵は繊細に美しい。ポロックは古典的意味での美と秩序を求めており、アクションペインティングはその通過点的技法に過ぎなかったのである。
1950年代初頭から56年に死去するまで、ポロックは抽象画的技法をベースとしながらも具象画への回帰を試み始めた。アクションペインティング的技法を試みた時には「無秩序なカオスだ」と批判的した美術界は、ポロックが具象的表現を模索し始めると、それは前衛絵画からの退行だと新たな批判を開始した。ポロックもまた苦悩を深めることになった。1954年頃からポロックはほとんど絵を描いていない。ポロックの繊細な精神に批判が重荷になっていたからだが、具象的抽象画という難題の前に、新たな絵画的苦悩を抱え込んでいたからでもあった。ポロックはさらなる新表現方法を求め続けていた。彼は「テクニックは単に、何らかの表明に到達するための手段に過ぎないのです」と述べている。
『Untitled』 1950年
ポロックはアメリカ現代絵画史の中で最も愛されている画家の一人である。若い頃からのアルコール依存症、破れかぶれのような絵画表現による思いもかけない大成功、しかし成功すればするだけ孤独で不安な心を抱えていった彼の姿が多くのアメリカ人の共感を呼ぶのである。国立近代のポロック展のチラシには「評価額200億円!!」という文字がゴシック体で印刷されている。それは欧米のオークションで成金たちが付けた冗談のような価格に過ぎないが、このような法外な金額は画家の心を蝕み、絵を見る人たちの目をどうしようもなく曇らせる。
多くのアメリカ人は、ポロックに訪れたようなアメリカン・ドリームをじっと見つめ、自分の中でその夢を反芻している。しかしそれは必ずしも幸福な夢ではない。アメリカン・ヒーロー、ヒロインの内面は暗い。マリリン・モンローやマイケル・ジャクソンなど、誰もがうらやむ成功を手にし、それゆえに恐ろしい孤独に陥っていくスターをアメリカ人は愛する。そこにアメリカの光と影があり、アメリカの夢と倫理がある。ポロックの短く劇的な生涯とその激しい芸術の軌跡は、これからもアメリカ人に愛され続けるだろう。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■