深夜食堂3
TBS
火曜 深夜1:11~
3年ぶりに帰ってきた、という第3部。人気シリーズとなっているということだが、その第1回を観て驚いた。眠い目をこすってしまったと言うか、良くも悪くも真夜中の悪夢のように思えた。既視感があるような、ないような、あまりにもベタな人情もので、その程度たるや人情ものにもかかわらず背筋が凍った。ある意味、すごい傑作かもしれない。
実際、人気シリーズになっているのだから、傑作に違いないのである。ただやはり驚くべきなのは、どのフェーズで人気が出たのか定かでない、評価しようとすればするほど人気の源から外れてゆく気がする、というところだ。それほど複雑な面を持っているのに、そのことを毛ほども感じさせない。それがすごいのか、あるいは思い過ごしなのか、やっぱりよくわからないのだ。
たとえば今シリーズの第1話では、深夜零時から朝まで開店している深夜食堂に、元歌手(美保純)がやってくる。夫を亡くした哀しみからステージを離れた元歌手は、久しぶりにマスター(小林薫)のメンチカツが食べたくなったと言う。が、思い出に涙して食べきれない。一方で、常連客の一人の妻が癌で入院。病人のわがままから、CDが絶版となっている元歌手のヒット曲が聞きたい、と言う。常連客は元歌手に、歌ってくれるよう頼むが拒絶。しかし結局、マスターや当の病人の励ましで、快気祝いの席に現われた元歌手は8年ぶりに歌う。
驚くべきは、何ら意外性のない、このベタな展開の最後に、元歌手の美保純が劇中歌としてそのヒット曲というものを最初から最後まで歌いおおせる、ということだ。当然のことながら、この歌にも何ひとつ批判性も現代性もなく、また本当のところ、ヒットしそうな要素もまるでない。「あまちゃん」とは違うのである。
そしてこの第1話のタイトルは「メンチカツ」なのだが、それについての意味のあるエピソード、つまり第1話「メンチカツ」が「メンチカツ」でなくてはならない理由は一つもないのだ。「ハンバーグ」であっもいいし、「コロッケ」でも大差ない。最後に油がはねて「アチチ」というところを「あっ、コゲてる」、「肉汁が溢れて」という美保純のセリフを「じゃがいもがホクホクで」とでも置き換えれば、何の問題もない。
つまり「深夜食堂」は、そのタイトルから視聴者が期待する、食にまつわる、それゆえに偏っていてもかまわない深夜の物語、という文脈を外し、ありきたりの「ドラマ」をこれでもかと見せつける。完全な掟破りであり、ポストモダンを脱構築したらモダンに戻ってしまった、とでも言うべき顛末なのだ。
私たちが観てきた深夜の食ドラマなら、美保純が歌っている間に、メンチカツのレシピなり、その詳細なレポートなりで盛り上がるところである。深夜とはいえ膨大な数の視聴者に肩透かしを食らわせる、その度胸の企画は、ただものではない。
ちらりと原作漫画を見ると、やはりテレビとは雰囲気もニュアンスも異なっているようだ。「深夜食堂」はさらに映画化もされるようで、ベタ人情もの恐るべし、と言うべきか。ますます目が離せない、あるいはもう観たくない、その二つの間を揺れ動き、心は千々に乱れるのである。
田山了一
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