おやじの背中 第七話
TBS
8月24日(日) 21:00~
全10話。岡田惠和 、倉本聰 、三谷幸喜など毎回異なる脚本家のオリジナルストーリーで、10組の俳優が父と息子、または娘を演じる。つまりホームドラマの競作である。単発の1時間ほどの枠の中で、10通りの父親像が描かれる。脚本家の顔ぶれはそうそうたるものなので、父親というものをどう捉えているか、という単純な命題において各々の理念や資質が端的に表れるという面がある。
第七話「よろしくな。息子」の脚本は山田太一(演出 清弘誠)。戸川祐介(東出昌大)がバイトする深夜のコンビニに、中年女の強盗(柴田理恵)が現れる。が、気が動転していて「金を出せ」ともろくに言えない。祐介は彼女を諭して解放する。
そこに居合わせていた客の高村浩司(渡辺謙)が祐介を呼び出し、コンビニでの対応を賞賛する。浩司は祐介の母・泰子(余貴美子)と最近見合いをし、断られていたが、その息子を一目見たかったのだと言う。浩司は、祐介に自分の一生の仕事である高級な靴作りを継いでほしいと言い出す。
ここでの父と息子は、つい昨日まで知らぬ同士である。したがって父子の間で描かれる葛藤もすれ違いも、和解もない。ただ母親に恋をした五十男として突然、現れるのだ。それについて、すでに成人した息子には、中学生の男の子であれば感じるだろう複雑な思いもない。いずれ1時間の単発ドラマでは複雑な思いを描くには短かすぎるのだろうか。
しかし、こういう男の子はいていい。母一人子一人だからといって誰もがマザコンとは限らない。いつも仕事で大わらわの母親で、本人も社会に出て世間の風の冷たさを実感したなら、人間というものへの幻想はなくても不思議ではない。だからこその中年女強盗に対する落ち着きであったと考えれば、辻褄が合う。
若い者の意外な諦念、冷静さに対し、むしろ揺れる心情が描かれるのは、その母親と五十男の方だ。いい歳だからといって、悟りすましていられるとは限らない。いい歳だからこそ、もう悟りすましてなんかいられない、ということはある。そうして、やるはずのないことをやったりもする。人によってはコンビニ強盗とか。
父と息子とか母親の再婚とか、パターン化された図式に則って心情は生まれない。あくまで個々の事情によって、複雑だろうと単純だろうと心情は生まれる。それが一貫した山田太一ドラマの理念であった。ここでは昨日まで見知らぬ同士が父子になるとき、相手に対する客観的な〝評価〟によって関係が始まり、技術の伝承によって関係が深まる。なまじっか長年、ただ顔を突き合わせて食卓を囲んでいるよりも、仕事を通して相手を見た方がよほど信頼がおける、ということもある。それは山田太一が常に描こうとする、形にとらわれない真実のあり様である。
短時間で単発のハッピーエンドのドラマで、一方では外形的に「山田太一スタイル」といったものがはっきり見える。本来的には、山田太一ドラマのセリフは独白だと思う。登場人物たちは自身の心情を精緻に、正確に語り尽くす。本当の人間関係は独白と独白との接点から生まれる。それは微かな、そして貴重な信じられる瞬間の構築である。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■