今回はニュージーランド人陶芸家、アロン・サイスさんについて書いてみたい。文学金魚HPのトップページ左上にはサイスさんの手になる墨書ロゴが掲げられ、齋藤都代表の『発足の辞』にもサイスさんのイラストが使われている。実はこれは僕が提案し、齋藤さんの了解を得てサイスさんに製作していただいたという経緯がある。文学金魚オープニング前の会議で管理人の石川良策さんが、「やっぱ金魚屋のロゴ、絶対必要ですよね」と発言され、サイスさんに作ってもらってはどうかと提案したところ、それは面白いということになり依頼することになったのだ。
早速、サイス作品を扱うギャラリー、トラッド・マイスター倶楽部の小川嘉彦さんにご相談したところ、サイスさんは注文制作はしない、というよりなかなかお望み通りに作品を作れないので、お断りしているのだということだった。それでも是非にとお願いし、その場でスカイプで連絡を取っていただいた。依頼が陶器ではなく墨書だったせいか、サイスさんはあっさり引き受けてくださった。それどころかサイスさんは、イラストまで描いてくださった。墨書もイラストも複数点制作していただいたが、HPで使用しているのはその一部である。いずれ機会をみて他の作品も掲載されるだろうと思う。そういういきさつだから、齋藤さんから「いつかサイス作品について書いてください」と言われていたのだが、前回が織部陶の話だったので思いきって書くことにした。サイスさんは桃山陶に惹かれて日本にやってきた陶芸家だからである。
僕はサイスさんとはお会いしたことがない。作品に興味を持って買い始めたのが2009年か10年頃だと思うが、サイスさんは2011年の東日本大震災を機にご家族とともにニュージーランドに帰国されたのだ。サイスさんは栃木県の益子で作陶されていたが、できあがったばかりの窯が壊れ、また小さいお子さんへの放射能の影響を心配して帰国を決意されたのだという。僕はサイスさんが地震で倒壊する前の薪窯で焼いた、最初で最後の作品を何点か買った。それは以前の作品とは明らかに違っていた。それまでのサイス作品には、楽しくてたまらないというようなはしゃいだ感じがあった。それが影を潜め、作品は落ち着いた精神性を表現し始めていたのである。サイスさんは明らかに一つの試みを終え、次のステップに進もうとしていた。正直なところ、惜しいな、と思った。もう少し日本での作陶を見たかった。ただ小川さんからお聞きしたところによると、ニュージーランドで新窯が完成し、サイスさんは本格的に作陶を再開されたようだ。今年の6月にはトラッド・マイスター倶楽部で新作陶展が開かれるらしい。
サイス作品の特徴は、作為を感じさせない伸びやかな自在さにある。日本の焼物は徹底して作為を嫌う。人間が作ったに違いないのだが、土がひとりでに器の形となり、自分で釉薬をかぶって火の中で焼き上がったような作品を最上とする。そのため古来日本人が最高とみなしてきた作品は、見た目には地味な物が多い。千利休指導の長次郎作楽茶碗や唐津の奥高麗には絵すらない。だがそれは、日本的精神の核といっても良い形なのである。最も単純な形は無限の多様性に通じる。一個の石ころを詳細に眺めれば、そこに山があり川が流れ、ほとんど際限のない変化を見いだせるように、何の変哲もないように見える楽や唐津茶碗は、実は驚くほど変化に富んでいる。骨董に興味のない人は黴臭い愛玩趣味だと笑うだろうが、この微細な変化を読み取れなければ日本文化の核心は決して理解できない。人間の力で自然が秘めている無限の多様性を一つの小さな茶碗に封じ込めるのが、日本における最高の陶芸なのである。日本の陶器が土から離れたがらない理由がここにある。
古田織部指導の桃山陶は、この日本文化の核心を、多様な造形として開放しようとした初めての試みだった。そこに当時、怒濤の勢いで流入していた南蛮文化の影響があるのは間違いない。ポルトガル商人やキリスト教宣教師らがもたらした立体的かつ色鮮やかで開放的なヨーロッパ製品は、内へ内へとこもり、小さく凝縮しがちだった日本文化に外へと拡がり出す表現のきっかけを与えた。ただ織部陶はヨーロッパ製品の模倣ではない。ヨーロッパ文化はあくまで日本的精神開放のための触媒として作用した。織部陶は立体的で色鮮やかだが、歪み、ねじれている。不完全で未完成のまま、それ自体で一つの調和的世界を形作ろうとしている。それは徹底した人間の作為によって作為を超えようとする極めて高度な試みだった。楽や奥高麗が自然の静を捉えようとした芸術ならば、織部陶が表現しようとしたのは自然の動である。楽や奥高麗は偶然に優品が生み出される可能性を残している。しかし織部陶にその可能性はほとんどない。陶器にあからさまな人間の作為を加えた以上、さらなる作為によってそれを昇華・解消するほかないのである。
サイス作品はこの桃山陶の特徴を正確に捉えている。織部がヨーロッパ文化に驚いたようにサイスも日本文化に衝撃を受けている。西の人が東の織部・桃山時代を追体験することで、新鮮な驚きを作品で表現し得ているのである。僕は骨董も新作陶も好きだが、日本の現代陶芸家の作品に飽き足りないものを感じていた。また同時代に加藤唐九郎のような作家がいればどんなにいいだろうと思っていた。大げさに言えば、僕はサイスにそれまでの不満が一挙に解消されるような可能性を感じた。サイス作品は桃山陶の模倣作ではなくその精神を表現している。器体一面にアルファベットが書かれたサイスの志野茶碗を見たとき、僕は自分が求めていた理想の桃山陶に出会ったような気がした。これが本歌の桃山陶であってもいいと思った。桃山陶にはヨーロッパの食器や南蛮人をかたどったものはあるが、アルファベットが書かれた作品は存在しない。サイスがそれを作ってくれたように思ったのである。
ただ誤解を招くような言い方かもしれないが、サイスは日本の陶芸家の基準では決して技術的に上手い作家ではない。サイスよりも轆轤や絵付け、焼成が上手い作家はいくらでもいる。だからサイスの特徴は、その勘の良さ、核心を掴む直感的能力の鋭さにあると言える。日本の陶芸家は基本的に職人(クラフトマン)である。轆轤を挽き絵付けを施し陶器を焼き続けるうちに、過去に作られた作品の神髄を身体と精神が自然に体得していくのを待つのである。唐九郎を始めとする日本の名工の多くはほぼそのようなタイプの作家である。彼らの仕事はいわば正面中央突破の試みであり、大成すれば技術的にも精神的にも非常に優れた作品を生み出すことができる。しかしそれには長い時間がかかる。また途中で投げ出せば、中途半端な作家性が露わになった作品を作ることで一生を終えてしまうことになる。
陶芸家である以上、サイスもまたクラフトマンだが、日本的な意味での職人ではない。日本の陶工が職人として仕事を始めアーチストに成長してゆくのとは逆に、サイスはアーチストがクラフトマンになった陶工である。アーチストが自分に最もふさわしい表現形態として陶芸を選択したのである。それはサイスだけではない。ヨーロッパの陶工ではルーシー・リーやハンス・コパーなどもサイスと同じように根っからのアーチストである。リーやコパーはとても控えめな性格で、自己の作品について多くを語りたがらなかった。コパーにいたっては、自分の創作メモなどを死後焼却するよう遺言し、彼の創作の秘密を探ることができる資料は全て焼き捨てられた、またリーとコパーは墓に入るのを拒み、同じ丘の上に散骨するように遺言して実行された。彼らは陶工として文字通り土に還ったのである。そこにあるのは極めて強靱なヨーロッパ精神である。自我意識表現が主流のヨーロッパに背を向けるようにして、彼らは自由で個性的な表現が大きく制限される陶芸を選んだ。サイスにも同じことが言えるだろうと思う。
サイスさんは嫌がるかもしれないが、僕が小川さんから聞いた話をまとめておけば、1971年生まれで今年41歳、180センチを超える大男で、トラッド・マイスター倶楽部のHPに掲載された写真ではモヒカン頭だが、気は優しく、ビールをたくさん飲まなければ初対面の人とはうまく話せないほどの人見知りだそうである。日本人の奥さんがいる。お子さんもいらっしゃるが、何人かは聞き忘れた。お父さんはニュージーランドの先住民族マオリ族の方で、お母さんはイギリス人のハーフだそうだ。アンチ・キリストで、クリスマスも祝わない徹底ぶりだという。仕事場には19世紀末の哲学者ニーチェの本が置いてあり、ときおり開いて読むのでページは泥で汚れている。サイス作品にはアルファベットが書かれているものが数多くあるが、読もうとしてもほとんど意味が通じない。なぜなんでしょうと小川さんに尋ねたところ、一種のアナグラム、あるいは隠し文字になっているらしい。器体に文字を書くときに、単語をバラバラにして散りばめているのだという。いつか何を書いているのか聞いてみたいものだと思う。
表現の中核は陶芸だが、アーチストらしくサイスは絵画や木工品も制作する。特に篆刻は見事である。篆刻は旅館や茶室の入り口に、旅館名や茶室の雅名を彫って掲げた板を思い浮かべてもらえばよい。簡単そうに見えるが篆刻は難しい。魯山人はまず篆刻の名手としてその名を知られるようになった。魅力ある篆刻を彫る作家は本当に少ないのだ。書道とはまたちがう強い文字表現が求められるのである。サイスの篆刻を見ていると、相変わらず勘がいい、ずるいほどいいとこ取りをする人だと思う。この作家は環境が変われば作風も変化していくだろう。どう変わっていくのかは僕にはわからない。ただ優れた表現者を持った同時代人の特権として、ハラハラドキドキしながらその変化を見守る価値のある作家だと思う。
織部茶碗 口径12.5×高さ10センチ(いずれも最大)
*サイスは注文すればカラフルで楽しい共箱も作成してくれる。
志野茶碗 銘・夕陽(せきよう) 口径11.7×高さ9センチ(いずれも最大) 2010年
*サイスが東日本大震災で倒壊した益子の薪窯で焼いた最初で最後の作品。
織部水差 口径18×高さ15センチ(いずれも最大)
BOOK型皿 縦16.8×横30.4センチ×高3.4さ(いずれも最大)
巻物型皿 縦11.2×横34.5センチ×高さ4.3(いずれも最大)
福島第一原発 板に墨絵 縦23.8×横97センチ×高さ4.5(いずれも最大)
*サイスは東日本大震災が起こってから帰国する前での間に、家族とともに美濃(名古屋だったかもしれない)の知り合いの元に短期間滞在した。本作品はその時に制作された。古くなり捨てられていた、轆轤で挽いた陶器を天日で乾かすための板に、墨で福島第一原発が描かれている。商品として制作されたものではなく、サイスが帰国前に「お好きな人がいたらあげてください」と言ってトラッド・マイスター倶楽部の小川さんに託した作品の中の一点。ギャラリーを訪問した際に鶴山が譲り受けた。
鶴山裕司
(写真撮影・タナカ ユキヒロ)
■ トラッドマイスター倶楽部(アロン・サイス作品取り扱いギャラリー) ■
■鶴山裕司詩集『国書』■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■