HERO
フジテレビ
月曜 21:00~
あの「HERO」が帰ってきた。というわけで、数字は20%前後を行ったりきたりしているようだ。一話ごとに、20%に乗ったか乗らないかで盛り上がるというなら、それも狙いと言えるのかもしれないが。もし万が一、下り坂だと逆効果なのは言うまでもない。
とはいえ、かつての「HERO」を観ていたら、一度は観ようと思うだろう。懐かしくて嬉しいのと、イメージが変わってがっかりするのとの拮抗にはなるだろうが、ようは新しい世界観にいかに早く視聴者を巻き込んでいけるか、ということに尽きるだろう。前の作品の記憶に惹かれて、チャンネルを合わせてくれているうちに、勝負を決めなくてはならない。
こういうことって前にもあった、それも「HERO」どころでなく強力にあった、と思い出すのはあの「刑事コロンボ」だ。最初の頃(原作があった)の素晴らしかった記憶に惹かれ、わかっていても、何度後悔しても、あのテーマソングが流れてくるとチャンネルを変えることができなかった。まるで呪縛であった。それも仕方がない。第一シリーズの「刑事コロンボ」はすべてを見抜く、まるで恐ろしい神だった。
実際、「刑事コロンボ」ほど、シリーズ化による劣化のひどさを目の当たりにさせたものは思い当たらない。「高速道路のカメラが捉えていたのは別人だった、犯人はこのトリックを果たしてどうやったのか…。それは、お面を被っていたのでした」というのには、さすがに呆れた。そんなアホな筋書きのドラマにも、あのコロンボがあのレインコートで、登場するのだ。そのことの不思議に目をこらすしかなかった。その無残を知るからこそ、コロンボのパロディでもあるとされた「古畑任三郎」は長々とシリーズを続けることをしなかったのだと思う。
しかし、こう言っては何だが、もちろん「HERO」はそのプロットにおいては「刑事コロンボ」ほどの面白さはなく、したがって劣化しようにも、それほどの落差を怖れる必要はないかもしれない。しかしドラマの魅力は、同じ犯罪ものでも様々に異なる。
初代「HERO」でいまだに記憶しているシーンは、意外にもヤンチャな検事のキムタクではなく、松たか子のものだ。「反省してください」と、かつて若い女性事務官に言われたことを根に持った出所者が彼女を脅す。恐怖の果てにやっと解決するが、彼女は沈黙した後、決意を持って再び言う。「反省してください。」
初代「HERO」の魅力は、リズムのある、しかし真摯さを失わないキムタクと松たか子のやりとりにあり、そこには若さの透明感や哀しみがそこはかとなく漂っていた。だからこそキムタクのアンちゃんめいたジーパン姿も納得できないことはなく、また宇多田ヒカルの主題歌が耳について離れないほどマッチしていた。
そういうものは一回限りで、なかなか自己模倣することは難しい。もう松たか子もいないし、宇多田ヒカルの胸が震えるようなテーマソングもすでにない。ならばいっそ成熟してしまったら、どうなのだろう。黒髪の九利生検事がスーツを着ていたら、彼の本質は損なわれるのか。年齢を重ねた者が若作りするよりは、むしろ若々しく、何も変わっていないことを強調できたのではないか。それにはもちろん制作する側に、変わってほしくない本質は何なのか、ということが把握されている必要があるが。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■