ルーズヴェルト・ゲーム
TBS 日曜
21:00~
ドラマはホンだ、と言ってきた。それはそうなのだ。が、ドラマは難しい、と思う。あの「半沢直樹」の原作者、池井戸潤の小説のドラマ化だが、数字が落ちているという。と言ってもまだ2桁で、その事実を知らずに観たが、やはり、うーん、と考えてしまった。狙いはわかる。わかるだけに、難しいものだ、と息が漏れる。
「半沢直樹」を彷彿とさせるビジネスストーリー、追い詰められたメーカーの話で、そこに野球部の存続が絡む。一粒で二度美味しい、はずである。また主演は唐沢寿明。江口洋介も準主役で、キャスティングもダブルの厚み。さらに香川照之、石丸幹二、手塚とおるといった「半沢直樹」の俳優が次々に登場。大ヒットドラマ「半沢直樹」とダブる設定で、もちろんスタッフも、ということらしい。うん、いないのは半沢直樹だけだ。
そうなのである。画面を見た瞬間、「あれ、『半沢直樹』?」と思ってしまう。それで当然、主人公の半沢直樹、すなわち堺雅人の姿を探してしまうのだ。結果、与えられるものは喪失感。あまロスならぬ半沢ロスが再び。我々が観たいのは半沢の続編だーっと、寝た子を起こすようなもの。
言うまでもなく、唐沢寿明は堺雅人以上のキャリアのある、しかも名優である。あの「白い巨塔」など忘れられない。江口洋介も話題作への出演が数多い。そのふたりをして、堺雅人の「穴」を埋めさせるような結果になるのは、あまりに気の毒である。番宣用のスチールなど見ても、唐沢寿明の眉間の皺も顔つきも、半沢直樹をなぞっているように映ってしまう。しかも堺雅人みたいな爽やかさがなく、オモい。なんだか「美味しんぼ」のようなマンガ、パロディじみてもいる。
そして画面が切り替わり、野球チームの話となると、いきなり緊張感が途切れてしまう。野球は野球であって、実ビジネスの生きるか死ぬかに関わらせるのは、あまり得策ではないのではないか。ここのところは、特に書物と映像の差が出ている気がする。原作を本で読んでいるときには登場人物に感情移入し、いわばともに過ごしているわけだから、野球であれ何であれ、真剣な心情、モードを持続させることができる。それができなければ、そもそも作家が同じ一冊の本の中に書かない。しかし映像は一瞬だ。一瞬で視聴者を取り込むこともあるが、一瞬で白けさせることもある。
普通のドラマとしては力作であっても、意識するのが「半沢直樹」というオバケ番組であるならば、通常の視聴者層以上のものを想定する必要が出てくるだろう。あのものすごい数字は、通常想定される視聴者、自身もビジネスマンであるところのお父さんたちだけでは叩き出せない。いまや社会進出を果たした女性たち、社会を知ろうとする若者たちという、いわば女子供を巻き込んだ数字だ。彼らもまた、実ビジネスの切った張ったを理解することはできる。が、野球なんぞには興味はない。これは絶対に言える。いっさい、ない。
ダメ押しが蛇足になる、ということはある。ビジネスマンたるお父さんたちにとってはさらなる楽しみになるはずの野球チームの話題が、別の視聴者の興を削ぐとは、ダブルであること、必ずしも盤石を意味しないということだ。まだ低視聴率というわけではない「ルーズヴェルト・ゲーム」がしかし落とした数パーセントは、これらの視聴者である気がしてならない。「半沢直樹」は女の出てこないドラマだ、と誰かが言っていた。ビジネスウーマンが2人、後はバンカーの妻たちだ。女特有のドラマが入り込んで弛緩させることなく、男も女も普遍的な経済の価値観で動き、それが女性の視聴者をも納得させた。
価値観がダブルであれば、世界は膨らんでしまう。企業のトップから一派遣社員まで視点も上下する。どんな物語があれ、野球チームを持つような会社で、一派遣社員のクビをどうするか、トップ以下が騒ぐというのは、やはりリアリティに欠ける。リアリティとは実際に起き得るかどうかでなく、その必要性、説得力のことだ。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■