ファースト・クラス
フジテレビ
土曜 23:10~
一瞬、韓流かと思った。そのぐらいベタである。と、あれ、沢尻エリカじゃね? ってか、女優さん皆、日本人だし。しかもかなり豪華。昔から面白い番組がないと言われている土曜、しかも深夜離れした気合いの入り方。ただ、ベタである。韓流の焼き直しか再放送並みに。
新しいとすると、ヒロインをいじめる敵役がたぶん、全員そうだという可能性があるところだろうか。下町の洋装店でボタン付けしていた主人公(沢尻エリカ)がファッション誌「ファースト・クラス」の編集部で働くことになる。そこでは女性たちのヒエラルキーがあり、全員が他人を妬み、蹴落とそうとする。他人と自分を引き比べて、少しでも自分が上に立とうとし、さりげなくそれを誇示することを最近の流行語でマウンティングと言うそうで、その価値観に基づいた各人の心の声がナレーションで流れる、という啓蒙?的ドラマでもある。
マウンティングという用語はもともと、動物が性交時に相手の体に上ることを指すそうなので、こういう社会的な小競り合い、それも女性同士の、という状況の説明にあまりぴったり来るとは思えない。ただ、犬の小便かけ、マーキングと似たような語感で、動物的な感じを揶揄する意図もあるなら理解できる。
動物的であることを強調するとは、それが本能だと言いたいのだろう。つまりそこには本当のところ、損得勘定は働かない。計算高いようでありながら、理性は機能していないのだ。そんな小競り合いが結局、何の得にもならないことは、たとえばそれら従業員を上から見ている経営者であれば、手に取るようにわかる。そもそも、そういう従業員同士の小競り合いなど、今に始まったことではない。
なのにそんな流行語になるということは、学生も含めたヒマな人々、特に女の子のプライベートや遊びの場面で目につくようになった、ということだろう。ドラマで女性ファッション誌の編集部というベタな職場が設定されたのは、潰れようと売れようと本当のところは社会に影響のない、一皮剥けば遊びと大差ない仕事だからに過ぎない。
人間関係を過剰に気にするようになったという若い人たちだが、シビアになった表面とは裏腹に、それはむしろ幼児化の結果のように思われる。小競り合いや鞘当ては太古からあるものであっても、それを独自の、しかも新しい文化であるかのような勘違いはかつてはなかった。人というものはこういうものだ、と学び、ネガティブな側面として認識されたものである。女性誌の編集部だの、セレブな女子高だからといって、単なる嫉妬が大手を振れるカルチャーに化けることはないのだが、幼稚な特権意識にはそう思えるのだろう。
マウンティングだのカーストだのといったものは「格付け」と解釈されているようだが、するとあのロンブーのテレビ番組のコーナー、「格付けし合う女たち」を思い出す。あれが人気だったのは、何もかもが白日のもとに晒されているというテレビならではの感覚からだった。このテレビドラマでは、それが女性たちの内心の声、ナレーションに取って代わられているということか。
そして誰もが、少なくとも大人になれば気づくことだが、最も上に立つのは格付け一位の者ではなく、格を与える者たち、マウンティングとやらを外から眺める立場の者たちだ。ヒエラルキーの内と外を往還する意識を知性のある誰もが持っている以上、争ってみせるのはショーでありドラマであり、サービスである可能性が高い。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■