言いにくいことをハッキリ言うTV
テレビ朝日
月曜 24:15~
ハッキリマンが極論をかまし、爆笑問題の太田光および反論チームがそれに立ち向かう。最後にスタジオの観覧者が極論を支持するか否か、投票を行う。深夜に放映されていた『侃侃諤諤』という番組のリニューアルとのことである。爆笑問題の田中が、コンプライアンス担当として加わり、危ない発言にブレーキをかけるそうである。
ネット社会で、言いたいことが言いにくい世の中になり、そこへ一石を投じたいという意の制作の発言があり、感慨深かった。ほんの少し前までは、テレビこそが綺麗ごとしか言えないメディアであり、本音を通すことを倫理とするのが出版だったのだ。
もちろん爆笑問題の田中がコンプライアンス担当に立とうと立つまいと、テレビ番組でそれほどの爆弾発言がオンエアされる可能性などない。しかし、それがまだしも本音に見えてしまうほど、昨今のネットでの自主規制は進んでいるということだろう。
一方でネットは言いたい放題の悪意の塊りの場でもあることは、よく知られている。が、それをそのよく知られた悪評高いスペースに囲い込んだ後、一般的かつ汎用的であることを目指すツールでは、管理する側も利用する側も訴訟などのトラブルを恐れ、発言には自主的にチェックが入るようになっている。書き手も読み手も素人であり、ときに子供ですらあるのだから、それは当然、かつてのテレビの放送コード以上に必要なことだ。
そしてかつての出版人のコードは、良心に従って常に本音を語る、少なくともそれを倫理として信奉することであった。批判された側もプロの書き手であるならば、司法に頼るなど恥とし、同じ土俵で正々堂々と反論した。そのジャッジは「観覧者」であるところの読者が決めたのだ。それは罵り合いではなく、正規の試合であった。出版人たちから、そんな社会性や美意識が失われたのは出版不況以降だ。悲しいかな、貧すれば鈍するということに過ぎない。
「言いにくいことをハッキリ言うTV」の第一回は日本映画の今後というテーマだったから、おそらく様々なカルチャーについての論者が登場するのだろう。が、それは下手をすると、文化版の『朝まで生テレビ!』に過ぎなくなってしまう。政治や国家と違い、カルチャーについては関係者以外、本当のところどうでもいいので、シラけ気味になる怖れもなくはない。
そうなるとやはり「女性誌は女子をダメにする」とか「女35歳以上は恋愛結婚できない」とか、『朝ナマ』臭のない女性向けテーマがよいのではないか。あまりアツいギロンになっちゃっても、爆笑問題を起用した番組コンセプトから外れることだろうし。
そして女性たちは存外、極論によって決めつけられることに寛容である。少し前には「負け犬、負け犬」などと自分たちで言い合って喜んでいた女性たちは、もう慣れてると言うか、成熟していると言うか。ただ、ディベート仕様であるからには、ときにはカッとなってもらわなくては困るかもしれない。その点については、ロンブーのあの『格付け』の巧妙な仕掛けには、ちょっとおよびそうではないのが残念なところだ。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■