鼠、江戸を疾る
NHK
木曜 20時~
21世紀版の鼠小僧次郎吉ということだが、今回は滝沢秀明のはまり役である。この人の可能性というか、使い方?がやっとこさ白日のもとに明らかになったというか。
思えば、大河ドラマで義経をタッキーと発表があったとき、「企画、誰が渡した」などと言い合ったものだ。飲むと頼まれもしないのに、「NHK 大河ドラマを考える会」みたいになり、「一、著名な原作の映像化を繰り返す 一、信長と秀吉を一年交代でやる 一、国民的な判官贔屓があるはずの義経をやる、ちなみに主演はタッキー」というのが、その酒の席有識者委員会の結論になっていたからだ。まあ、そのときは日本全国で、企画盗まれた、と叫んでいたのではないか。そう思えるくらい誰が見てもの、はまり役だったのだが。
実際のところ、滝沢義経は退屈だった。それは配役より、脚本の問題の方が大きいだろうが。滝沢義経という企画だけで、一年はもたせられない。義経という人物に対する新たな、なおかつ説得力のある解釈があって、その解釈に滝沢くんがぴったりだ、という段階を踏む必要があった。国民的に人気のある義経だから、キレイな滝沢くんでいい、という安易なことではいかんかった。そもそも義経が兄に逐われ、目の敵にされるにはそれなりの理由があったわけだが、それが義経という人物の陰の部分から生じた因果だ、というところまで詰められなくては、脚本にならない。その陰が加わることで、滝沢くんのキャリアは一段と磨かれただろう。有識者委員会としても、猛省が促されるところである。
この滝沢鼠小僧は、それに比べると、本当に見ていられる。義経よりもパン屋よりもケーキ屋よりも、鼠小僧がぴったりというのは、どういうことだろう。今後は、犯罪ドラマのさわやかな犯人役(?)を探さなくてはならないとなると、結構大変そうだが。そう言えば昔、「S・O・S」という深田恭子と石田ゆり子、窪塚洋介も出演していた青春ドラマの佳作の冒頭、滝沢くんが下着泥ボーかなんかして逃げる、というシーンがなかったか。なかなか印象的で、よかった。
つまり滝沢くんはあまりにキレイなので、パン屋とかケーキ屋とか義経とかだと、なんかもう取りつく島がないのである。触ってもツルっと滑ってしまって、そのうち飽きるというか。かといって殺人犯では無理があるし、最初から滝沢○○という企画だと、そこに陰を持ち込むってのは難しいようだ。そういうのは、本人が最初から持ってるものを引きずり出すってのが常套だからね。だから鼠小僧、最初からの定義として泥ボー、だけど大義名分があって軽(?)犯罪化して、そう悪くはない、ってのは、滝沢くんにとっては、ホントにホントにいいのである。
赤川次郎原作だからライトな鼠小僧ではあるが、NHK の時代劇のキャスティングは安定感があって、落ち着く。確かにこの人は、時代ものだといいよね、という人はいる。現代ドラマで、細やかな内面を表現するのがやたら上手いと、時代ものにははまらない、ということもあろう。滝沢くんもまた、(いいコそうなだけに)内面が欠落した感じとか、浮世離れしたキレイさとか、時代ものに向いている。顔に似合わずいい身体をしていて、だけど義経のときにはピンとこなかった着物姿も、江戸期になってイナセにぴたっと決まっている。将来は、田村正和みたいになるかも、と思わせるのだ。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■