ドラえもん
テレビ朝日
金曜日19:00~
「ドラえもん」の主人公はドラえもんではなく、のび太である。それは間違いないことで、なぜならドラえもんは人ではなく、ネコ型ロボットだからだ。と言うと、イージー過ぎて通らないだろう。「鉄腕アトム」はロボットだが、紛れもなく主人公だから。
主人公の要件はつまり人間であるかないかではなくて、読者が感情移入できるような人間性を与えられているかどうかに尽きる。ロボットという設定であるが、正義感の強い小さな男の子そのものであるアトムは、あの時代の子供たちにはじゅうぶん主人公になり得た。
では、ドラえもんがネコ型だから主人公になり得ないのかと言うと、それもそうではなくて、ドラえもんがいかに万能であるにしても、やはりのび太との主従関係において従であり、その意味においてロボット的であるからに他ならない。ドラえもんの万能はただ、のび太くんの無能を補完するためのものなのである。
のび太は、見ている子供たちすべてのごとく無能であり、私やあなたのように頼りない。ポケットから何でも取り出して助けてくれるドラえもんとは、そんな無能な私たちの夢そのものである。どれほどの力があっても、本質的に主従が逆転しないのは、まさしくネコ型ロボットだからであり、ネズミが苦手というネコにあるまじき、しかし動物的な弱点を持っている。未来から来たというアドバンテージがあっても、ヒエラルキーを逆転しない、まさしく夢の安定を示す構造までも用意されているのだ。
「サザエさん」と同様に、永遠に続くかとすら思われるような「ドラえもん」にも都市伝説がある。「ドラえもん」は、交通事故で植物状態になったのび太が見ている夢なのだという。確かに「ドラえもん」は覚めない夢のようだ。のび太が見ている夢だからのび太が主人公なのであり、そして人は自分以外のものを夢に見る。長い夢の中で、誰も永遠に歳をとらない。
ドラえもんは単なる都合のいいペットではなく、少なくとものび太の友達であり、教育的配慮も施す。ドラえもんがポケットから取り出す不思議で便利な未来のツールはさまざまな騒動を巻き起こし、のび太に後悔と反省を促す結果になることもしばしばだ。「ドラえもん」は夢の SF であると同時に、ビルディングス・ロマンなのである。しかし、のび太にはいっこうに成長の跡がみられない。
成長しないからこそ、「ドラえもん」はいつまでも続く。子供にとっての夢であると同時に、大人の制作者にとっても夢のコンテンツである。子供は成長するものだ、しなくてはならないという掟を内に包含し、しかしのび太はその掟を破り、ドラえもんの期待を裏切り続ける。それこそが子供にとっての夢なのだ。誰も本当は成長なんかしたくはない。が、しようという努力、するのだという振りはしなくてはならない。子供を保護する者を失うことなく、その者もまた、成長させようという建前はありながら、甘やかしつつ永遠の楽しい時をともに過ごす。それこそが夢だ。誰にとっても永遠の夢は、テレビマンガの中でぐらい実現したっていい。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■