星隆弘さんの連載演劇批評『星隆弘の難しい演劇評』 『No.013 『光のない。(プロローグ?)』』をアップしましたぁ。エルフリーデ・イェリネクさん原作で、小沢剛さん作・演出のF/T13イェリネク連続上演の劇評です。星さんは『No.010 地点『光のない。』(F/T12・その5)』でもイェリネクさん原作舞台を取り上げておられますので、そちらの方もこの機会に是非お読みください。
今回の舞台は無言劇です。ただ言葉が存在しないわけではない。開演前から終演に至るまで、様々な書かれたテキストが舞台に登場します。声として発せられることはありませんが、膨大な言葉の集積の上に『光のない。(プロローグ?)』は成立しているといふことです。星さんは『「表象は、上演は失敗する」と本公演に予言を与えるのは、入場して最初に目にする展示作品に写された『光のない。(エピローグ?)』の結末部である』と書いておられます。なぜ〝失敗する〟のかといふ理由は単純でしょうね。『光のない。(プロローグ?)』が福島原発事故を題材に書かれた作品だからです。
不肖・石川、イェリネクといふ作家が大好きです。難解で、時にはむちゃくちゃ混乱していてその上饒舌ですが、この作家、〝信用できる〟と思わせる数少ない前衛作家です。作家に良心があるならなんらかの形で福島原発事故に言及せざるを得ない。しかし感情的にであれ思想的にであれ、その総括はほぼ不可能です。イェリネクさんは真正面から福島原発事故に向かい合い、かつとりあえずの結論ではなく想念の渦巻きとしてそれを表現した。原作を無言劇とした小沢剛さんの演出も非常に優れていると思います。
福島原発事故を含む東日本大震災の記憶は、今のところ被災者のドキュメントや被災文学者の声を中心に表現されています。しかしそれらがこの災害の本質を衝いているとは言い切れないでしょうね。寺山修司は今では戦後作家として認知されていますが、従軍文学者に激しく反発しました。寺山は〝青春文学〟を提唱しました。その背景には言葉は悪いですが、〝戦争に行ったのがそんなに偉いのかよ。俺らは若くて無限の可能性があるんだ〟といふ、経験を特権にすり替える一部の文学者たちへの反発があったのです。
大震災の被災者の方々には心からお見舞い申しあげます。また嫌味ではなく、たとえば本が売れることで以前の生活を取り戻せるなら素晴らしいことだと思います。しかし一方で、わたしたちはこの災害がもたらした変化を長い時間をかけて探究していく必要があります。
今活動している文学者が、いわゆる戦後文学や戦後詩を思想や表現の基盤としていると言ったら物笑いの種になるでしょうね。しかしはっきり状況が変わったのは、高度情報化社会が始まった1980年代後半からです。それに呼応するように日本と周辺国の軋轢が高まっています。もしかすると日本の戦後が本当の意味で総括されるのは、これからかもしれません。そのくらい一つの問題が与える影響は長くて深いわけです。星さん、また刺激的な演劇評をお願いしますですぅ。
■ 星隆弘 連載演劇批評『星隆弘の難しい演劇評』 『No.013 『光のない。(プロローグ?)』』 ■