鶴山裕司さんの新連載文芸批評『アトモスフィア文学論』『No.002 二十一世紀文学の基層-辻原登論(中)』をアップしましたぁ。金魚屋新人賞選考委員の辻原登さんについての作家論、中篇です。鶴山さんは『遊動亭円木』、『抱擁』を取り上げて、辻原さんのパスティーシュ(作品模倣)の方法について論じておられます。『遊動亭』と『抱擁』は不肖・石川も大好きな作品なので、興味深く読ませていただきました。
ほんで鶴山さんは、石川が『まだですか~』とメールするたびに、『書きにくい、とにかく書きにくい』と返信されていました。『難しいってことですか?』とお聞きしたら、『難解だということは全くありません。何を書けばいいのかわかっているのに、それを評論という形でまとめるのがとても難しい作家だと思います』という返事が戻ってきました。で、仕上がったので、スカイプ会議の時に『お疲れさまでした』と言うと、『評論1本にこんな時間かけてたら、今年もまたなにもできないよ』とプリプリ怒っておられた(笑)。
でもま、純文学系の作家の場合、月産原稿枚数は50枚から多くても100枚程度だと思いますよ。それに作品であれ批評であれ、ある対象についてきちんと書かないと、書いたことになりません。さすがに小説文芸誌ではほぼないですが、詩誌では何度も同じ対象についてto be continuedの評論を掲載している作家がたくさんいます。あれはいただけない。
不肖・石川、文芸誌に比べて詩誌のレベルが低いと何度か書いていますが、別にけなしているわけではありません。詩人のみなさんはもっとよく考えなさい、ということです。作品もそうですが、評論もチャンスは一回です。最初に書いた評論に、批評家の基本的な思想はほぼ出ます。何回書いても最初の思想を超えることはまずありません。むしろ何度も同じ対象について書けるということは、対象を批評的に捉えきれていないことを意味します。評論に関しては、ある対象について書くのは一回だけ、それも50枚以内という決意を固めれば、プロの批評書きに近づけると思います。
■ 鶴山裕司 新連載文芸批評 『アトモスフィア文学論』『No.002 二十一世紀文学の基層-辻原登論(中)』 ■