アロン・サイス 文学金魚文大鉢と湯呑
大鉢 口径28.9×高さ5.6センチ
湯呑 口径7.8×高さ8.2センチ(最大値。いずれも著者蔵)
アロン・サイスさんの新作陶器展が、西東京市のトラッドマイスター倶楽部で開催されたので見に行った。展覧会のタイトルは「文学金魚」である。総合文学サイト文学金魚では、オープンにあたってサイスさんに「文学金魚」の墨書題字を依頼した。その際サイスさんは金魚のイラストも描いてくださったのだが、以来金魚はサイスさんお気に入りの画題になった。文学金魚がきっかけになった文様であるため、トラッドマイスター倶楽部代表の小川嘉彦さんがそれを「文学金魚文」と名づけてくださった。
今回の展覧会は、サイスさんの2014年度初の新作陶器展でもある。金魚文以外にも様々な絵付け作品が展示されていたが、やはり目を惹いたのは金魚文様の作品だった。いずれの作品も上から見た金魚が大きく描かれている。金魚好きの方には説明するまでもないが、金魚は基本的に上から見るための観賞魚である。江戸期以前はガラスの水槽は普及しておらず、口の広い陶器の鉢や甕などで飼っていた。これは金魚発祥の地である中国でも同じである。
於・トラッドマイスター倶楽部 アロン・サイス陶展「文学金魚」展示風景 その1
金魚の祖先は中国は揚子江流域で見つかった赤色変色種のフナだと言われる。遅くとも南北朝時代(西暦五世紀頃)には飼育が始まっていて、宋時代(西暦十一世紀頃)には盛んに養殖と掛け合わせが行われるようになった。日本に輸入されたのは室町時代らしい。ただ長い間金魚は、王侯貴族にしか飼えない貴重な観賞魚だった。日本では幕末になってようやく一般に流通し始め、浮世絵などにも描かれるようになるが、それでも庶民にはちょっと手が出ないくらい高価だったようである。
於・トラッドマイスター倶楽部 アロン・サイス陶展「文学金魚」展示風景 その2
中国では宮廷に専門の金魚師がいた。金魚師たちが紫禁城の中で、王侯貴族のために様々な珍しい金魚を作っていたのである。そのため清朝が亡びると中国の金魚養殖は衰退した。また文化大革命期には、金魚は封建的旧文化の象徴にされてしまった。養殖業者は粛清され、養魚場や優れた陶磁器の金魚鉢なども容赦なく破壊された。金魚受難の時代である。中国で金魚養殖が復活するのは昭和五十三年(一九七八年)の日中平和友好条約締結以降である。日本の金魚業者が中国の生産者に親魚や技術を提供したのである。
本場中国でのかけあわせはすさまじい。出目や水泡眼、獅子頭(ししがしら)や虎頭(ことう)、そしていよいよ蛤蟆頭(ハマトウ)の初型が現われる。いずれも、読んで字の如くの形をしている。清朝末期になると、デカダンは進んで、色、形、大小、皮膚形状、頭部形状、鰓(えら)の六点についてますますグロテスク、華美はきわまる。ハマトウには蛤蟆頭翻鰓(ハマトウファンサイ)が出て、いよいよ怪異、限りなくカエルに似てくる。
だれがこんなことをおし進めたのか。紫禁城の中の宮廷金魚師たちである。門外不出とされた。
一九三〇、四〇年代、ついにハマトウに真珠の鱗を持つ珍珠蛤蟆頭翻鰓(チェンジューハマトウファンサイ)が出現する。大きい。体長は二十センチある。すでに清朝は滅んで、革命の混乱期である。珍珠は真珠。珍珠蛤蟆頭翻鰓はたしかに出現したが、一瞬だった。これ以降、中国にはデカダンも洗練も玩物喪志も存在しない。珍珠蛤蟆頭翻鰓は漢文明最後の徒花だった。
(辻原登『ザーサイの甕』 『枯葉の中の青い炎』平成十七年[二〇〇五年]所収)
辻原さんは中国通として知られるが、作品の中で何度も金魚を小道具に使っておられる。『ザーサイの甕』は世にも珍しい金魚を巡る幻想譚である。清朝お抱えの金魚師が、王朝滅亡時に紫禁城からハマトウと呼ばれる金魚持ち出した。彼はそれを密かに飼育し、ついにチェンジューハマトウファンサイという世界に一匹だけの貴種を作り出した。しかし金魚師の死後、その姿を気味悪がった遺族によってこの貴種は揚子江に放された。『家族や親戚は、彼(金魚師)が残した甕のひとつに一匹の大きなヒキガエルをみいだした。しかも、体中が黒紫と城と鉄錆色の斑(まだら)になったぶつぶつだらけ、おまけに足がない。彼らは気味悪がって、長江に捨てた』とある。それが日本に泳ぎ着いたのである。
辻原さんは出典を明らかにされていないが、博学な氏のことだから、恐らく中国の書籍にこの貴種を巡る話が掲載されているのだろう。また現実にはチェンジューハマトウファンサイは存在しないが、まったくの幻想譚だとは言えない。生き物とはいえ金魚は人間が作り出した観賞魚である。当然その頂点と呼べるような〝作品〟がある。またたとえある文化が亡びたとしても、その遺風が周辺国で受け継がれていることは多い。中国、韓国、日本は東アジアの兄弟国であり、金魚に限らず様々な領域で影響を与え合っている。
現実に即せば、金魚は体型によって和金(わきん)、琉金(りゅうきん)、オランダ獅子頭、ランチュウの四種類に分類される。体型別に分類するのは泳ぎ方の速度が違うので、一緒に飼うと餌をもらえなくて死んでしまうからである。和金は縁日でおなじみの金魚である。赤いフナといった感じで、身体は流線型ですばしっこい。琉金は菱形の身体をしており、大きな尾鰭が特徴的である。オランダ獅子頭はその名の通り頭に大きなコブがある。江戸時代に長崎の出島経由で中国から輸入された金魚だが、江戸のハイカラ好みでオランダと呼ばれるようになった。ランチュウも頭に大きなコブがあるが、背鰭がないのが一番の特徴である。
和金からランチュウになるにつれて泳ぎ方は遅くなる。また背鰭がなく動きが鈍い金魚は自然界では生きていけない。ランチュウが一番人工的な金魚なのである。辻原さんの小説に出てくるハマトウは、言うまでもなくランチュウ系の金魚を改良したものである。サイスさんの金魚もまた、背鰭がなく円筒形の身体をしていることからランチュウがモデルだと思われる。つまりいずれも人間が作り出した人工的な魚である。辻原さんのハマトウは書物の中にしか存在せず、サイスさんの金魚は陶磁器の中にしか存在しない。しかしそれは人間が生み出したイデアルな金魚である。
アロン・サイス 文学金魚文大鉢見込
アロン・サイス 文学金魚文大鉢高台
サイスさんの作品は、一見大雑把なようだが決してそうではない。金魚文大鉢の高台を見ればわかるように、陶体は鉄分の多い赤土である。その上から白釉を掛けている。緑の釉薬が鮮やかに発色しているのは白釉の上から施釉しているからである。金魚文には緑釉が掛かっていないが、これは金魚の部分だけマスキングしているからだ。この方法は手間がかかる。しかしそれを感じさせない大らかな仕上がりである。
また高台内部には文字が陽刻されている。凹型を使って文字を浮き上がらせたあと、まわりの土をていねいに取り除いているようだ。この方法も非常に手間がかかる。書かれている文字は〝beginning and the end of the work of diri wiki…〟のようだが正確なところはわからない。ただ読めなくてもいいのだと思う。サイスさんの場合、文字もまた意味と模様の中間的表現だと思う。
桃山時代に突如現れ、創始者の古田織部の失脚と共に消え去った織部陶は日本陶磁の最高峰である。草庵の茶に代表されるように、日本人は自然に近い造形に至高の美を見る。なんの変哲もない、土が自然にお茶碗の形になって焼き上がったような作品が最高なのである。しかし織部陶はそのような自然美を人工の力によって作り出した。徹底した作為によって作為を超えようと試み成功したのである。
近世になって再び織部陶が注目され、多くの陶工がその再現に挑んだ。日本の陶工が取った方法は織部陶の技法を真似ることだった。職人(クラフトマン)らしく、制作方法を身体で覚えることでその精神に至り着こうとしたのである。しかしこの方法で織部陶の精神に肉薄できたのは加藤唐九郎しかいないと僕は思う。技法を習得すれば、確かに桃山時代に作られた織部陶そっくりの作品ができる。だがその先に精神の問題があり、その把握が織部陶の難しさなのである。
乱暴な言い方になるが、桃山時代の織部陶に明確な制作ルールなどないと思う。始まったばかりで勢いがあった茶の湯と、当時の制陶技術の高さ、それに南蛮文化の影響を強く受けた時代精神が織部陶を生み出した。また残っている作品が織部陶の全てだとは言えない。むしろ無限の可能性を感じるからこそ、多くの陶工が織部陶に魅了されるのである。だから織部陶の精神を把握すれば、桃山時代に作られた作品(本歌)以外の形や色を持つ作品も作ることができるはずなのである。しかしたいていの場合、本歌の桃山陶を離れた途端に無惨な作品になってしまう。
サイスさんは、恐らく初めて桃山陶の精神から作品制作に入った作家だと思う。誤解を恐れずに言えば、最初からサイスさんの作品は本歌の桃山陶に似ていない。しかし桃山時代の陶工が、新鮮な時代精神を維持できていれば作ったであろう作品を制作している。このような陶工がニュージーランドから現れたことはなんら不思議ではない。
桃山時代がそうだったように、ある文化は異文化と接触することで輝きを増す。本家中国では滅んでしまった金魚が日本で生き残ったように、桃山陶の精神はサイスさんによって理解され受け継がれたのである。外からの視線の方がある文化の本質を的確に射貫くことがある。言語、民族、宗教などの違いは大きな衝突を生むことががあるが、それらが均一になれば人間精神の発展は止まってしまうだろう。
アロン・サイス 文学金魚文湯呑
アロン・サイス 文学金魚文湯呑高台
人間は人間存在についてのプロである。人間が作った物に対して、人間ほど繊細な感覚を働かせることができる存在はいない。だから僕たちは骨董の真贋を見分けることができるのであり、今現在作られている作品の中で、どれが優れた物なのかを判断できるのである。ただ後者が誰の目にもわかるようになるには長い時間が必要だ。僕は桃山陶の精神を最も良く理解している作家はサイスさんだと思うが、その証明はなかなか難しいだろう。ただ無責任に言っているわけではない。
簡単に言えば、もしサイスさんがダメな作家ならそれは僕がダメな作家だからだ。僕が今までに書いた文章、これから書くであろう文章、あるいは僕が集めた骨董なども全部ダメだということだ。そう考えていただいてかまわない。別にサイスさんと心中しようとしているわけではない。これは純粋に僕個人の問題である。
お金を出して物を買うのは簡単である。お金があればブランド物やおいしいお酒や料理、気持ちの良いサービスなどたいていの物が買える。しかし美術品に関しては、単にお金を出して物と交換したというのではすまない。買い手の審美眼が試される。それはある個人の全人格に関わるような問題なのだ。美術品を買うときは、そのような覚悟がなければつまらない。僕はサイスさんの作品で、僕の審美眼を試しているのである。
鶴山裕司
(写真撮影・タナカ ユキヒロ)
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