20世紀検証シリーズ No.3『ようこそアトリエ村へ!池袋モンパルナス展』
於・板橋区立美術館
http://www.itabashiartmuseum.jp/art/
会期=2011/11/19~12/01/09
入館料=600円(一般) カタログ=1200円
評価=総評・80点 展示方法・80点 カタログ・80点
板橋区立美術館(以下板美)はその名のとおり、東京都板橋区が運営・管理する公立美術館である。広大な赤塚公園の中にあり、少し離れた場所に板橋区立郷土資料館がある。板美は20世紀初頭の避暑地のモダニズム建築を思い出させるような、低層(2階建)で雰囲気のいい建物である。今回は『20世紀検証シリーズ No.3 池袋モンパルナス展 ようこそアトリエ村へ!』である。先に評価を言ってしまうと総評、展示方法、カタログともに平均点の80点です。まったくもって僭越ながら、これはちょっと甘めの点数であります。入館料もカタログ代も安く十分楽しめましたが、期待していたほどではなかったのです。板美のスタッフの方々は限られた予算とマンパワーで精一杯奮闘されたと思いますが、もう一踏ん張り企画を練り込んでいただきたかった。
地元の人間以外はあまりなじみがないかもしれないが、池袋モンパルナスの名は美術業界ではよく知られている。諸説あるので煩雑な定義は避けるが、池袋モンパルナスは戦前に、現在の池袋駅西口周辺に点在していた画家たちのアトリエ付き住宅群の総称である(その範囲は広く有楽町線要町駅から千川駅あたりまで)。命名者は詩人の小熊秀雄で、小熊は昭和13年(1938年)に「サンデー毎日」に詩とエセー『池袋モンパルナス』を発表した。この中の詩に当時19歳で戦後作曲家・ジャズピアニストとして活躍した松井八朗が曲を付け、アトリエ村の住人たちは放歌高吟したのだという。小熊がこの一帯のアトリエ村を池袋モンパルナスと呼んだ理由は単純である。フランスセーヌ川左岸のモンパルナスは大学街カルチェ・ラタンに隣接した丘の多い町で、貧しい芸術家たちが集っていた。池袋のアトリエ村もそれに似ていた。立教大学を通り越すと高島平に続く丘陵地帯で、多くの貧乏芸術家が住んでいたのである。また池袋モンパルナスはその後実際に、小熊が期待と憧れを込めて付けた名のとおりの芸術家村に育っていった。
池袋モンパルナスからは綺羅星のような芸術家が巣立っていった。とても全員の名をあげきれないが、画家では福沢一郎、麻生三郎、靉光、松本竣介、吉井忠、寺田政明、古沢岩美、難波田龍起、北川民次、吉原義彦、丸木位里・俊、長谷川利行、熊谷守一らがアトリエ村とその周囲に住んだ。詩人では小熊の他に、瀧口修造、高橋新吉、山之口獏らが画家たちと交流を持った。変わり種では円谷プロの初期ウルトラマンシリーズで怪獣デザインを手がけた高山良策がいる。バルタン星人など、僕たちが記憶している円谷怪獣のほぼすべてが高山のデザインである。彼らが有名になったのは戦後だが、今ではそれぞれに個展が開かれ評伝が書かれるようなビッグネームである。
これだけの芸術家を輩出したのだから、当然美術業界の注目度は高く、池袋モンパルナス関連の展覧会は過去何度も開かれている。宇佐見承氏によるノンフィクション大著『池袋モンパルナス-大正デモクラシーの画家たち』(集英社)も刊行された。しかし今ひとつ盛り上がりに欠け、何度展覧会を開いてもその名は一般に浸透していかない。その一番大きな理由は、池袋モンパルナスが芸術家たちが住んだ地域の総称であり、ダダイズムやシュルレアリスムなどのような運動体ではなかったことにあるだろう。しかしそれを言い出せば本家フランスのモンパルナスやモンマルトルも大同小異である。池袋モンパルナス展が開催されるたびに、宝の山の匂いはするが、発掘方法がわからなくて周囲をぐるぐる歩き回っているような印象を受けるのである。
今回の板美展覧会で注目されるのは、板美学芸員・弘中智子氏による画家・吉井忠の日記の発掘である。遺族の了解を得て吉井の昭和11年(1936年)から20年(45年)の日記が初めて公開されたのである。吉井は池袋モンパルナスの中核画家たちが集った福沢一郎主催の美術文化協会の会員だった。福沢は瀧口修造とともに、昭和16年(41年)に危険思想の持ち主として特高に検挙されたが、吉井日記にはその前後の状況が克明に記されている。吉井が懇意にしていたのは福沢、麻生三郎、寺田政明、高橋新吉らで池袋モンパルナスの全体像を把握できるものではないが、第一級の新資料である。しかし会場に吉井作品のコーナーが設けられ、カタログに吉井日記が掲載されてはいるが、この目玉資料を十分に咀嚼した展覧会にはなっていなかった。観覧者がカタログを買って隅々まで読むとは限らない以上、もう少し冒険して新資料の意義を強調しても良かったのではなかろうか。しかし板美独自の貴重な新資料の発掘である。
大多数の池袋モンパルナスの画家たちの努力は戦後になって実を結ぶ。戦後に彼らは熱気に満ちた当時を懐かしく回想するのだが、そこで交わされた議論などは既に失われている。しかし池袋モンパルナスを読み解くキーポイントが、福沢が持ち込んだシュルレアリスム絵画と第二次世界大戦へと向かう切迫した状況にあったのは間違いない。吉井日記にはこの2つのポイントがはっきりと書かれている。戦後、日本にシュルレアリスムを紹介した功績はほぼ瀧口一人に集中し、従軍画家として戦争を描いた画家たちは戦争協力者として指弾されるようになるが、吉井日記はそのようなステレオタイプな思考を突き崩すような示唆に満ちている。
吉井の日記から戦前の瀧口が、シュルレアリスムの理論家として、また最新前衛芸術の紹介者として、池袋モンパルナスの画家たちと頻繁に交流していたことがわかる。しかし瀧口は戦後になると、正面からヨーロッパの影響を受けた戦中・戦後生まれの若い芸術家たちの元に去り彼らの指導者となっていく。それは池袋モンパルナスの画家たちも同じで、彼らはシュルレアリスムなどの影響を脱した作品でそれぞれの芸術を大成させていった。池袋モンパルナスが未分化の芸術的坩堝だったという証左だが、そこに日本現代美術史の一つの分かれ目があるのは確かだろう。瀧口と池袋モンパルナスの画家たちの分離は偶然ではなく本質的差異によって起こったものである。瀧口的前衛は基本的に純ヨーロッパ・アメリカ的なものである。まだ試みられたことのない新たな表現を求めていた。池袋モンパルナスの画家たちはそうではなかった。彼らの多くは洋画家だが、シュルレアリスムなどの最新芸術運動に学び、日本画をも含む過去の作品の表現をも取り入れようとしていた。池袋モンパルナスの画家たちにとっては前衛が作品制作の最終目的ではなかったのである。
吉井日記を読めば、福沢を始めとする池袋モンパルナスの画家たちが、シュルレアリスムなどの最新ヨーロッパ芸術を取り込むことが、結局は日本文化の発展につながり、広い意味での国益となると考えていたことがよくわかる。その意味で時局の影響を受けているが、彼らを国粋主義者と呼ぶことはできない。彼らはノンポリである。当時、吉井の周囲では次々に仲間の画家たちが徴兵されていた。吉井は「動員令がくるかもしれない。(中略)まとまったいい仕事をしないで(中略)行くのは一寸淋しい」と書いている。また戦場絵画展を見た時の印象を「印象に残った作家、藤田嗣司一人だ。(中略)普通の絵の悪い人はああいふテーマを扱はせてもだめなものだ」とも書き残している。そこに体制批判意識はない。吉井は徴兵を義務と考え、戦争絵画をあくまで画家の表現の場と捉えている。
池袋モンパルナスの画家たちは政治家でも思想家でもない。画家を職業にした市民である。自分たちの意志ではどうにもならない厳しい状況の中で、彼らはなんとか絵を描き続けようとした。それを後から戦争協力と批判するのは簡単だが、画家はどんな状況でも絵を描き残そうとする動物である。戦争絵画と十把一絡げにするのではなく、そろそろ一つ一つの作品の丁寧な鑑賞が必要なのではあるまいか。また池袋モンパルナスを代表する画家の一人で戦病死した靉光は、『眼のある風景』や徴兵前に書き残した孤高な『自画像』で戦争批判をしたのだと一般には理解されている。しかし本当にそうだろうか。そこには吉井が書いたような「まとまったいい仕事をしないで(戦争に)行くのは一寸淋しい」という感情も込められていたのではあるまいか。絵の読解は多様であっていいと思う。
これは僕の勝手な印象だが、日本には「絵描きさん」と呼ぶ方がしっくりくる芸術家がいるように思う。「画家」がartistやpainterの訳語で帰国子女的な匂いを放っているとすれば、baseballが野球と訳され日本独自の発展を遂げたような意味での日本独自の絵描きさんたち、と言えばわかっていただけるだろうか。どうも池袋モンパルナスの画家たちは絵描きさんたちだったように思うのである。洋画家だが彼らは欧米芸術と日本の伝統的絵画をほぼ等分に取り入れている。また日本の熱心な絵画コレクターには絵描きさんタイプの作品を好む人も多い。瀧口の「タケミヤ画廊」が扱う作品ではなく、洲之内徹の「現代画廊」が好んで取り扱ったような作品である。
絵描きさんたちは絵を描くことが何よりも好きだ。本業の洋画のほかに日本画や水墨画まで描いてしまう。ヨーロッパ的な絵画鑑賞方法に慣れた人たちは思想や概念で彼らの絵を読み解こうとするが、ご本人たちはそんな読みにきょとんとしている。言葉の及ばない色と線と形が彼らの表現のすべてなのである。洋画というとどうしても「前衛」を思い浮かべがちだが、実際には現代でも絵描きさんタイプの画家が大半なのではないかと思う。彼らの絵を正しく理解するためには従来の鑑賞法を少しだけ変えた方がいいと思うのである。
板美では『20世紀検証シリーズ No.1 新人画会』『20世紀検証シリーズ No.2 福沢一郎絵画研究所 進め!日本のシュルレアリスム』、それに今回の『20世紀検証シリーズ No.3 池袋モンパルナス展 ようこそアトリエ村へ!』と定期的に『20世紀検証シリーズ』を開催している。今後も新資料の発掘や新しい切り口での展覧会を期待しています。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■