殿様も犬も旅した 広重 東海道五拾三次 保永堂版・隷書版を中心に
於・サントリー美術館
会期=2011/12/17~12/01/15
入館料=1300円(一般) カタログ=2500円
評価=総評・80点 展示方法・80点 カタログ・80点
サントリー美術館は公益財団法人サントリー芸術財団によって運営されているが、母体はもちろん総合飲料メーカー・サントリーである。長い間赤坂見附のサントリービル内に美術館があったが、2007年に六本木の東京ミッドタウン内に移転した。ちなみに設計は隈研吾氏である。サントリー美術館はなんといっても日本最大(ということは世界最大)の江戸ガラスのコレクションで知られる。それだけではなくサントリーは『泰西王侯騎馬図』(いわゆる南蛮屏風)などの優れた日本美術コレクションでも有名である。洋酒メーカーとして出発したせいか、サントリーのコレクションにはどこかハイカラな香りがする。他の私設美術館のように著名なコレクターとして歴代経営者の名前が挙がることはないが、会社のイメージに合った筋の良いコレクションを持つ美術館である。
私設美術館はどこでもそうしているが、サントリーの展覧会は館蔵コレクションを中心に他の美術館から優品を借り出すものが多い。それができるのは所蔵品の質が高いからで、わかりやすく言えば借りた見返りとして貸し出すことができる美術品が数多くあるのだ。ちょっと私設美術館のありかたを考えさせられるポイントである。ただこの方法では、どうしても展覧会がこじんまりしがちである。しかしその分、スタッフの創意工夫が必要になるというおもしろさがある。
今回は『殿様も犬も旅した 広重 東海道五拾三次 保永堂版・隷書版を中心に』である。サントリー所蔵の『隷書版東海道』と栃木県那珂川町馬頭広重美術館蔵の『保永堂版東海道五拾三次之内』を並べて展示する企画である。作者・歌川広重は幕末の浮世絵師で、天保四年(1833年)に保永堂から出版した『東海道五拾三次之内』で名所絵師の地位を不動のものにした。ただ広重は保永堂版のほかに生涯に20種類以上もの東海道モノを描いている。その中の秀作に嘉永二年(1849年)刊の『隷書版東海道』がある。題字が隷書で書かれているのでこの名がある。『東海道五拾三次之内』でも『隷書版東海道』でも描かれている宿場町は同じだから、16年の時を経て広重の筆がどう変化したのかを比較してみようという展覧会である。
浮世絵は保存状態などによってかなり印象が変わってしまうが、サントリーの『隷書版東海道』も広重美術館の『保永堂版』も鮮やかな色彩を残す優品だった。両者を並べ、それとは別にモノクロで複写した紙に、絵の中の地名、人物、物などを解説したパネルが置かれていた。解説自体は目新しいものではないが、長い説明文を掲げるよりもわかりやすい展示方法だった。初摺の他に、後摺、変わり図なども展示されており、浮世絵というものの実態がよくわかる展示にもなっていた。浮世絵はいわゆるアーチストが一点物として制作した美術品ではない。一種のブロマイドであり、人気が出て刷り増しするときには、版の摩耗状態や世間の評判などによって図柄や摺り方が微妙に変えられてゆく。初摺の方が絶対にいいということはなく、保永堂版『蒲原』などは広重の代表作の一つだが、後摺の方が明らかに優れている。
展覧会場の一角には、広重が天童藩(現・山形県天童市)からの依頼で描いた肉筆画(いわゆる「天童広重」)と、円山応挙画の『青楓瀑布図』が展示されていた。応挙が展示されたのは近年の研究で、広重が円山四条派の技法を学んだ形跡があると指摘されているからだと解説にある。サントリー所蔵の『青楓瀑布図』は実に見事で力強かった。しかし僕は広重は肉筆画家としては平凡な画家だと思う。線も色も弱く、応挙的な円山四条派の精神に学ぶところがあったとは思えない。広重は東海道連作で、技法的には様々な和漢の粉本を参照し、西洋の遠近法をも取り入れていることが知られている。円山四条派からの影響を大きく取り上げるのは無理があるのではないだろうか。江戸八州河岸定火消同心を若くして隠居して浮世絵師になった広重は、自分の技量の限界をよくわきまえていたように思う。広重の筆は他の人気浮世絵師ほど自在ではない。広重の大胆な構図と思い切った省略法は、弱点を長所に変える発想の転換から生み出されているように感じるのである。
総評、展示方法、カタログともに平均点の80点です。大がかりな展覧会ではなかったですが十分楽しめました。展示もすっきりしていて神経が行き届いていました。カタログも必要十分な内容です。サントリーでは2010年に『歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎』というとても刺激的な展覧会を行っています。これからもおもしろい浮世絵の企画展を期待しています。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■