池田浩さんの文芸誌時評 『 No.013 すばる 2013 年 07 月号』 をアップしましたぁ。高橋源一郎さんと川上弘美さんの対談 『大切なことはすべて夜に起こる』 を取り上げておられます。高橋さんは 『銀河鉄道の彼方に』、川上さんは 『七夜物語』 というファンタジー小説を書いておられるので、〝ファンタジー的なるもの〟を巡る対談のやうです。池田さんは、『 「夜」 とはすなわち 「無意識」 であり、つまりは文学と芸術の前提の前提のような話で、すべては無意識から発生するということだ。が、それなのに存外 (失礼)、新鮮で面白く読める』 と書いておられます。
トリビアといふほどの話ではなく、たいていの人が知っていることですが、宮沢賢治は熱心な日蓮宗の信徒でした。彼が所属していたのは国柱会という宗団です。戦前は宗教的情熱に燃えた宗団で、二次大戦中の日本のスローガンになった 〝八紘一宇〟 を最初に提唱したのは国柱会です。満州国樹立に尽力した陸軍中将・石原完爾が敬虔な国柱会信徒であったのは有名です。山本俊則さんが美術展時評で取り上げた藤牧義夫も国柱会会員でした。賢治は政治的にはノンポリですが、日蓮宗の中核教典 〝法華経〟 に深く帰依しました。法華経は言うまでもなく闇と光の教典であります。
ファンタジー小説を検証するとき、〝夜=無意識〟 が議論になるのは当然のことです。この無意識は子供の純粋な夢想にもつながるわけで、だからファンタジーは現世の枠組みを超えることができる。ただそれでは荒唐無稽なオハナシにもなりかねないわけで、〝夜=無意識〟 の核となるような 〝観念〟 も必要になる。優れたファンタジー小説には核となる観念があるわけです。この観念が賢治の場合、法華経に深く関連していた。〝夜=無意識〟 はファンタジー小説の入口に過ぎず、そこから思念を深化させないと、上滑りのモノガタリを書くことで終わってしまふかもしれませんよ。
■ 池田浩 文芸誌時評 『 No.013 すばる 2013 年 07 月号』 ■